天は青年に二物を与えた
「クソ!あのジジイめ、言いたいこと言ったらさっさといなくなりやがって!」
ゆっくりと動きだした時間の中でカルカは、忽然と現れ消えた自称神の老人に対し文句を垂れる。周囲の時間はゆっくりとだが確実に元の速度に戻りつつある。
「まあ、まずは目先のコイツを片付けないとなぁ!」
そう言うと青年はニヤリと笑いながら、眼前の魔物目掛けて拳を繰り出した。
青年と魔物が交差し、周囲に衝撃波が広がる。
目を開けた観客たちが目にしたのは黒く変容した拳を打ち据える青年と、大口を開けたまま額の甲殻を砕かれた魔物の姿だった。
『キシャァァァア!!』
思わぬ反撃に体をくねらせ痛みに呻く虫魔物を横目に、青年カルカは自分の体に起きた異変に目を輝かせていた。
なんだこれ!?俺の腕、デカいトカゲみたいになってんぞ!それに物凄く感覚が冴えてる感じがする…これが神の力か、すげぇ!
見れば青年の肘から手にかけて大きな黒い鱗のようなもので覆われていた。魔物の緑色の体液で濡れた自分の拳は以前より一回りほど大きくなり、指先には鋭い鉤爪が生えている。それに周囲を感知する能力も向上しているようだった。会場内の人間は勿論、耳をすませば会場の外を歩く足音まで聞こえる。
体の中から力が沸き上がってくる感覚…、こんなに気分が良いのは生まれて初めてだぜ!!
カルカは自分の体に起きた変化を確認するとより一層、邪悪な笑みを浮かべ、拳についた体液を振り払う。そして痛みに悶える虫魔物に向かってゆっくりと歩きだした。
「おうおう、さっきはよくもぶっ飛ばしてくれたなぁ?今度はお前の番だ…行くぞ?」
カルカはそう言うと、横たわったスコルピラーの傍で拳を低く構え力を溜めると、ブヨブヨの横っ腹目掛けて全力のパンチを放つ。
先刻の一撃よりはるかに重いカルカの拳は、ぼってりとした魔物の腹を大きく外側に向けてへこませ、弾けさせた。
周囲に緑色の臓物が降り注ぎ観客席から悲鳴が上がる中、青年の下品な笑い声が響き渡る。
「ギャハハハハハッ!最っ高だぜ、この力はよぉ!次はどいつだぁ?さっさとかかって来いよ!!」
突如として起こった、劣勢だった青年の勝利に観客たちはどよめき沸き立つ。そして混沌とした観客席の中から緑の臓物に塗れた男がリングに上がって来た。
煌びやかな衣装にでっぷりと肥えた体、手には様々な宝石をあしらったいくつもの指輪を嵌めている。いかにも裕福そうな男だ、どこぞの貴族だろうか。
「貴様ぁっ!ワシの可愛いスーちゃんをよくもこんな姿に…。」
突如リングに上がって来た甲高い声で唾を飛ばしながら怒鳴りだした。どうやらこの男はあの虫魔物の飼い主だったようだ。身体に付いた臓物を手に取り、俺に怒りと悲しみの籠った眼を向けている。
…いや、なんで殺し合いに出場させたんだよ。金持ちってのは馬鹿なのか?
「…許さん!許さんぞきさ―」
「うるせぇっ!」
飼い主の男は緑の臓物を握りしめながら呪いの言葉を吐こうとしていたが、耳障りな声にイラついたカルカの拳に呆気なく殴り飛ばされた。
「なんだぁ?もういねぇのかよ!…じゃあ片っ端から強そうなやつを、ぶちのめしてくかあぁ!」
この日商業都市エンデル地下の賭博市場は、一人のイカれた青年によって壊滅させられた。