奇妙な老人
試合開始の合図と同時に先手を取ったのは青年カルカだった。
不気味な笑みを浮かべたまま真っすぐ突っ込んでいき、赤錆色の布を巻いた拳を魔物の頭に叩き込む。
しかし魔物に一切ダメージを負った様子はない。攻撃が通用せず、相手の目の前に躍り出る形になった青年はスコルピラーの頭突きをまともに喰らい、リング際の金網まで吹き飛ばされる。
青年カルカは幼い頃から強者に憧れ、いつからか誰よりも強くなりたいと願うようになった。だがカルカは生まれてから一度も勝ったことがない。なぜなら彼は…恐ろしく弱かった。
卓越した技術もなければ、常人を凌駕する力もない。なのに彼は強くなることを諦めない。
ある種の狂気じみた妄執に取りつかれた男、それがカルカという人間だ。
スコルピラーに吹き飛ばされ口から血を流しながらもなお、不気味な笑みを浮かべ闘争心の宿る目で拳を構える。そこに知略や駆け引きはなくただ単純に目の前の敵を屠るという本能のみが存在しているようだった。
「おいトゲ虫野郎!俺はまだくたばってねーぞ?さっさとかかって来いや!」
血を吐きながらよろよろと立ち上がったカルカは大声で眼前の魔物を挑発する。その狂気じみた自殺行為に会場中の人間が、青年がイカれていることを確信した。
カルカの挑発を受けてか、金切り声のような咆哮を上げたスコルピラーは巨体に似合わぬスピードで突進攻撃を繰り出す。直撃すれば致命傷は免れない、にもかかわらずカルカは嬉々とした表情で真っ向から迎え撃つ姿勢を取る。
その正気の沙汰とは思えない光景に会場の全員が青年の死を悟った瞬間、奇妙なことが起こった。
予想外の出来事にカルカだけが驚いた表情を見せる。
「どうなってんだ?」
目の前には先程まで自分に向かってきていた魔物が、鋏状の大口を開け、飛び掛かろうとした姿勢のまま静止していた。周囲の観客たちも同様に様々な表情を浮かべたまま止まっている。
かく言うカルカ自身も口と目は動くが、どんなに力を込めても体はピクリとも動かない。
自分以外が静止した世界で、どうにかして動こうと躍起になっていると背後から聞きなれない声が聞こえる。
「はぁ~。…おい小僧、正気かお前?俺様が止めなきゃ死ぬとこだったぞ。」
「ぁあ?誰だ?余計な事すんじゃねぇよ!」
カルカの背後で喋っていた男がゆっくりと彼の視界に入って来る。
それは地下街の路地裏に居るようなただの老人だった。ボロボロの布切れを纏い、わずかに見える顔からは薄汚れた白髭が伸びている。
老人の口調と見た目が合わないことに、違和感を感じたカルカは眼前に立つ人物に疑問を投げかける。
「おい、あんた何もんだ?ただの小汚いジジイじゃねぇだろ。」
「ん?ああ、この体はその辺で拾った借り物だ。俺様達はこうして人間の体を通して話す決まりなんだ。」
「答えになってねぇぞ!ちゃんと話聞いてんのか?」
「まあそう急ぐな小僧。…ゴホン!えー、俺様は力を重んじ戦士を愛する神々の一柱、人は俺様を暴力の神と呼ぶ。」
「はぁ?神だぁ?頭大丈夫か爺さ―」
疑問を口にしかけたカルカは、顔を上げた老人を見て絶句した。老人には両目がなかった、正確には空虚に空いた眼窩に赤い小さな光が灯っているような状態だった。どう見ても異常だ。
「どうし…ああ、この目か?神が常人に憑依するとこんな風になるんだが、特に害はないから気にするな。」
時間を止めた神を自称する奇妙な老人。普通なら気が動転する状況だが、青年の思考はもっと別の所にあった。
「なあ?あんた神なら強いんだろ?だったら俺と勝負しようぜ!」
予想外の言動にさすがの神も面食らった様子を見せるが、すぐに冷静な態度で話し出した。
「その意気は買うが…お前今も動けないじゃないか?このままなら必然的に俺様の勝ちなんだが。」
「ざけんな!俺が負けんのは死んだ時だけだ、それ以外は負けじゃねえ!」
「ああそうかい…っとそんな事を話しに来たんじゃなかった。」
話の通じないカルカにあきれた様子を見せた暴力の神は本来の目的に話を戻す。
「おい小僧、お前名前は?」
「あ?カルカだ、それがどうした?」
青年の名を聞いた自称暴力の神はボロいローブをばさりと広げると、大仰な態度で喋りだした。
「戦士カルカよ!俺様、暴力の神の加護を受ける気はないか?」
「……加護ってなんだ?受けるって事はお前の技か何かか?」
さすがの神も頭を抱えた、青年カルカは想像以上に残念な子だったのだ。