大海に消える
多重魔法を維持するのに精一杯で、奴の攻撃に気付けなかった。血を流しすぎて体がフラつく…せめて意識が切れるまではあの怪物を抑えないと。
グラつく視界の先で臨戦態勢のカルカが、なぜか構えていた拳を下ろす。その様子を見たハウンドが高揚感を孕んだ声で青年に問いかける。
「おや?どうしたんだい?先程の決意表明といい、何かとっておきの秘策でも見せてくれるのかい?だとしたら僕ワクワクしちゃ……!」
「「え?」」
男の口舌を棒立ちで聞いているように見えたカルカだったが、突如踵を返すと少女を小脇に抱え、陽光がさす下水の出口へ向かって走り出した。青年の突然の奇行に、目を白黒させるエリノラとハウンド。少女は抱えられたまま、苦虫を嚙み潰したような表情で走るカルカに問いかける。
「ちょ!あんたどうしちゃったの!?急に逃げだ―」
「うるせぇ!これは逃げてんじゃねぇ!いいから黙って抱えられて―ろッ!」
ガキーンッ!
エリノラの言葉を遮るように逃走の二文字を否定したカルカは、直後背後から迫っていた刃を振り向きざまに弾く。見ると拘束の解けた屍鰐とハウンドが背後から迫っていた。
「何をするかと思えば!ここまで来て逃走―」
「うっせぇんだよっ!バーカ!」
背後から殺そうと迫る刺客の言葉を遮り、子供じみた罵倒をするカルカ。その足は速度を落とすことなく断崖の出口に向かって突き進む。
「そのうちぶっ飛ばしに戻って来っから、首を洗って待ってろやボケ犬!!」
耳元でチンピラの様な捨て台詞を吐く青年が、何をしようとしているのか察したエリノラは、傷が痛むのも忘れて止めようとするが、一切聞く耳を持ってくれず、むしろ走る速度を速めていくカルカ。
「行くぞエリ!しっかり掴まってろよぉ!!」
「ちょちょちょちょちょちょ!!嫌ぁあああぁあぁああ!!!」
そして二人は薄暗い下水道から、絶壁に面した大海原へと飛び出した―
―飛び出した二人に向けハウンドは再び尾棘を放つが、その刃は虚しく空を切った。二人の所在を確認するため、犬頭蓋の男は崖際に立ち眼下に広がる荒波を注視する。
「…変だな。」
異変を感じ取ったハウンドは頭蓋の奥で目を細めた。その視線の先に逃げ出した二人の姿はない。
不自然だ…この高さから下まで落ちるのに大体五、六秒はかかるはずだ、僕がここに立つまでに二、三秒しか立っていないはずだから、あの二人が着水する瞬間が見えないと計算が合わない。仮に計算より早く海面にたどり着いていたとしても、こんな高所から水面に叩きつけられれば…いや、あの男なら生きてそうだな。
しばらく海面を見つめていたハウンドだったが、スルリと踵を返すと残念そうに独り言を呟きながら歩き出した。
「上手く逃げおおせたのか、はたまた誰かが助けたか…。まぁ戻るって言ってたからそのうち会えるか。…拳闘士カルカ、僕と再会するまで君が天に召されていないことを陰ながら祈ってるよ。」
そして異形の怪物を連れた男は、再び青年と相まみえることを願いつつ、薄暗い下水道の奥へと消えていった。
取り敢えずこの話で第一章は終了です。次話は閑話を挟んだのち、カルカの加護や、エリノラの師匠とその弟子たちが登場していく予定です。




