第六話
宜しくお願い致します。
雑多なざわめきの音が、声が聞こえてくる。
戸惑いや不安の感情を含む声、焦燥に駆られて何かを叫ぶ声、そんな声が、僕の周りから聞こえてくる。
目を開け見えたものを一言で表すと、異常だった。
レンガで舗装された地面に座り込み落ち込んでいる様子の人やそれを慰めている人、興奮して何かを叫びながら暴れている人とそれを抑えようと囲んでいる人達、頭を抱え込んでいる人など、異様な光景が目に映った。
僕はパニックに陥りそうになった。しかし、向こうにいる見覚えのある少女が、不安そうに周りをキョロキョロと見渡し、彷徨っているのを見て少し落ち着きを取り戻した。そしてその少女に近づき、出来るだけ驚かせないように声を掛けた。
「うぅ…どうしよう。どうしよう…誰か…」
「ヴィヴィさん。ヴィヴィさん!」
「…あっ、ユグさん! よかった! どうしよう! どうすればいいのかわからないんです!」
ヴィヴィさん、プレイヤー名はヴィヴィアンという少女は声を掛けるとこちらに気づいたが、僕の腕を掴んで激しく揺さぶり始めた。
「おっと! ヴィヴィさん落ち着いてください! どうしたんですか! なんか他の人達も変な様子ですが。とりあえずログアウトしましょう? それから一日くらい間を開けてログインし直しましょう」
「…ないんです…」
「はい? すみませんもう一度…」
「ログアウト出来ないんです! 帰れないんです! うぅぅ」
「へっ? そんな馬鹿な。いや、とりあえずここじゃなんですからどこかへ移動しましょう! ねっ!?」
僕はヴィヴィさんの腕を掴んで引っ張った。
とにかく一端ここを離れたかった。こんな異常な状況の中にいるとろくなことにならないのは明白だし、今何が起こっているのか分からないから一度静かなところに行き冷静になって考えたかったからだ。
しかも、知り合いのヴィヴィさんの様子もおかしいので、安全なところに連れて行かねばならないと思った。
幸い、ここがどこかはわかっている。
ここは、この都市の中心に位置するゲート兼モニュメントのある広場であり、モニュメントは大きく太い幹に無数の枝と葉がつけられ、林檎のような果実が豊かに実っている樹木の像であった。つまりここはアルフヘイムだろう。
大型アップデート前の自分はマイハウスがあるヴァナヘイムでログアウトしたはずなのに、なぜこの都市にいるかはわからないが、まぁ大型アップデートによってなにか変わったのだろう。
変わったと言えば、先ほどから気になっていた。なんか妙にリアリティがある。VRと言えどもここまでリアルだっただろうか。レンガ造りの道を踏みしめる足から伝わるレンガの硬さ、鼻腔に伝わる風の匂い、そして今掴んでいるヴィヴィさんの腕の感触。それらすべてが鮮明に感じられるようになっている。
それに気づいたとき、心の底から悍ましい何かが沸き上がり、僕は眩暈を感じた。
「(ありえない。何かの勘違いだ)」
僕の頭の中はその言葉に埋め尽くされてしまった。
しかし今はこの場を離れることを最優先とし、必死になって歩いた。
「…さん? ユグさん! どこまで行くんですか? ユグさん!」
その大きな声に意識が戻される。
「す、すみませんヴィヴィさん。ちょっと考え事をしてました」
すぐに謝り、辺りを見渡した。
広場の喧噪は遠くなり、人もまばらになっていた。辺りは暗かったが街灯のおかげで薄暗いという程度であった。
「もう、こっちが呼びかけても全然返事してくれないですから、心配しましたよ。まぁ私もそんなユグさんを見て冷静になれましたけど。…本当、ありがとうございました。あのままユグさんに連れて行ってもらわなかったら危ないところでした」
ヴィヴィさんはお礼を言って、こちらに頭を下げてきた。
「いえいえ、こっちこそありがとうございました。ヴィヴィさんみたいに知り合いがいなかったら、僕もパニックになってましたよ」
「…ふふふ」
「…あははは」
僕とヴィヴィさんはお互い安心したのか、笑みがこぼれた。
少しして、僕から話題を振った。
「ところで、これは一体どうしたんでしょうか? ログインしたら変な状況だったみたいですし。そういえば先ほどログアウト出来ないと言ってましたよね?」
「はい、そうなんです。私もログインしたら周りの人たちがパニックになってて、何かのイベントかなと思ったんですけど、どうやら違うみたいでして。それでメールとか情報掲示板を見ようとしたんですけど、メールボックスには何もなくて、情報掲示板のメニュー欄が開けなくなっていたんです。強制ログアウトを試そうとしたのですが、出来なかったんです」
「強制ログアウトも!? ちょっと待ってください。確認してみます!」
僕はいつも通りシステムウィンドウを開いたが、確かに掲示板を開くことが出来なかった。また、ログアウトコマンドを探したが、いつものところになかった。
「強制ログアウト!」
と叫ぶがこれもできなかった。
「…本当ですね」
「ですよね、だからどうすればいいのかわからなくて、しかも周りもパニックになっているからつられてしまって私もパニックになっちゃって…」
「うーん、どうしましょうか? 運営は何も言ってこないし。というかそもそもこれ不味いですよね。なんか感触あるし匂いも感じるし」
「そうなんです! さっきも腕を掴まれている時もちょっと痛みがありましたし」
「あっ、すみません!! 大丈夫ですか!?」
「いいえ、大丈夫ですよ。それよりも、確かこれって違法でしたよね?」
「はい、詳しくは分からないですけど、匂いや感触はもちろん、痛みなんてあるのはまずいです。戦闘中にショック死する危険性がありますからね」
「そうですよね。もしかしてこれって電脳誘拐じゃ…」
「あり得ますね。今までの運営のことを考えたら信じられない…いや、そのために親切にやっていたのか。運営に問い合わせしようにもシステムウィンドウのメニュー欄になければ何にもできないですし。その可能性が濃厚ですね」
「うわぁ、やっぱり。どうしよう」
「とにかく、僕たちができることは運営からのお知らせを待つしかないですね。とりあえず、他にも知り合いがいないか探しましょうか?」
「うーん、そうですね。焦っても仕方ないですよね。本当、ユグさんがいてくれてよかったです」
「うん? 何でですか?」
「だって、こんな状態なのに冷静でしっかりしているので、頼りになりますよ」
「あー、いや僕も正直焦っていますよ。こんなことをしているうちに仕事は大丈夫なのかとか色々不安で仕方ないですし。本当」
「でもすごいですよ。私なんて一人じゃ何もできないんですから」
「まぁ、人それぞれですよ。僕みたいに能天気な人もいれば、ヴィヴィさんみたいになってしまう人もいます。大丈夫ですよ。少なくとも広場にいた人達よりはマシです」
「はい、ありがとうございます」
と、僕とヴィヴィさんは話をした後、知り合いを探しに歩き出した。
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