家庭用ブラックホール
「タカシ。お母さん、お弁当の準備で手が離せないから、このゴミ袋をブラ箱に捨ててきてくれない?」
「ええ、嫌だよ。あれ、すっごく怖いもん。吸い込まれる時の音もうるさいし、真っ黒な中身も気持ち悪いよ」
「何言ってるの。もう小学2年生なんだから、そんな情けない我が儘言わないで。学校でもブラ箱は安全だって習っているでしょ?」
「担任の夏目先生は、『世の中に絶対安全なんてものは存在しない。どんな技術も過信しちゃダメだ』って言ってたよ」
「まあ、困った先生ね」
ブラックホール。極めて強い重力を持ち、光さえ飲み込んでしまう高密度の天体。そのあまりにも強大な力が、まさか家庭のごみ箱として使われる未来が訪れるなんて、おそらく数十年前の人間は夢にも思わなかったでしょう。
人類は地球上で人工ブラックホールの作成に成功した後、お手軽な処分場として利用する計画を立案しました。発表当時は、もし制御装置が誤動作を起こした場合、暴走したブラックホールは地球そのものを飲み込んでしまう恐れがあるとして大反対されたそうです。でも結局のところ幾重にも施された安全策と大量の産業廃棄物の処理問題に後押しされて、業務用ブラックホール処分場が各国で建設・稼働されはじめました。
さらに軽量化・量産化されたブラックホール制御装置は家庭用のゴミ箱として販売されるようになりました。それなりに値が張るものの、一度購入すれば半永久的に面倒で煩瑣な分別やゴミ捨て作業から解放されることを考えれば妥当な価格だと思います。最近では排水設備にもブラックホールを用いる家庭も増えているらしく、隣の奥さんの自慢も聞き飽きたので、我が家もそろそろ検討すべきじゃないかと夫に相談しています。
とにかく、今やブラックホールは人類に欠かせない必需品となりました。中には未だに危険性を指摘してブラホ処分場の閉鎖やブラ箱の販売停止を求める署名を行う活動家もいますが、時代錯誤も甚だしいという他ありません。ひょっとすると、タカシの担任の先生もそういった変わり者の一人なのかもしれません。
息子の代わりにゴミ袋を玄関先のブラ箱に放り込み、キッチンに戻りしばし考え事をしていたその時、何かが軋むような音が聞こえました。ですが、慌てて確認しに行くと、先程と変わらず何の変哲もない直方体がそこに堂々と鎮座しているだけでした。
ああ、私ったら、息子にあんなことを言っておいて変な妄想に怯えてしまうなんて恥ずかしい。今までたった一度だって事故が起きたことはないのに。これも学校の馬鹿な担任教師のせいね。後でクレームの電話を入れておかなくちゃ。
次の瞬間、耳をつんざく轟音と共に、私の頭上には綺麗に晴れ渡る青空が広がりました。