エピソード 05
私は目の前の光景に、声が出なかった。
崖の上で手を離したら、下で私を受け止めようとしてくれた青年のところへすごい勢いで落ちる、と思ったのに。
最初は浮いていると思ったけど、これは違う。
私の体は、銀髪の青年の腕に到達する直前に、まるで時の流れがゆっくりになったかのように降りていって、彼の腕の中に収まった。
「おっと。
あんた・・・魔法使いかよ。」
私を見つめるその男性は瞳は金色で、整った顔立ちをしていた。
美形だし、すごく素敵な人。
見惚れていたけど、体が密着していることに対して、羞恥心が湧いてくる。
それにムチで打たれた背中の傷も、痛くなってきた。
お、降ろしてほしい!
私は目を白黒させて、顔を赤くしながら降りようとする。
あ、もう普通に動ける。
は、早く降りなくちゃ!
顔が近いんだもの!
「魔法使いではありません!
す、すみません!
申し訳ありません!!」
私は何度も謝った。
「謝りすぎだぜ、あんた。」
と、言って、彼は呆れた顔をしながら私を降ろそうとして、そのまま動きを止めた。
「静かに。」
その男性は私を抱えなおすと、鋭い視線を後ろに向けた。
その顔はどきりとするほど真剣で、こちらも大人しくなり、私もその視線を追う。
あ・・・!
視線の先には、雨の音に紛れて、先程と同じように人型の泥人形が、唸りながら地面から立ち上がるのが見える。
沢山いる!!
「泥土の精霊に通じることができる術者がやってるな・・・。
倒せはするが、この雨ではキリがねぇ。」
その男性は、私を抱えたまま引いてきた馬に飛び乗ると、一気に走らせた。
泥人形は地面から這い出して、追いかけてくる。
「しっかり掴まれ!」
と、彼は言う。
私は頷いて、彼にしがみつく。
泥人形は数を増やし続けて、ずっと追いかけてきた。
「おかしい・・・!
こいつら全然一時停止を起こさねぇ。
どんな術も必ず発動前後に、一度は止まるのに!」
と、彼は後ろの様子を確認して呟く。
それから目を閉じると、
「火の精霊よ・・・、今、この馬にさらなる俊足の力を与えたまえ。
我が敵から、遠ざけたまえ。
スピドゥ!」
と、唱えた。
すると、馬がみるみる加速して、泥人形たちが離されていく。
は、早い!
怖い!
「おぉっとぉ!
いつもの倍の速さだぜ。
あんた、何かしてるのか?」
「い、いいえ。」
「俺は、馬の筋力を上げる魔法をかけただけなのに、この速さは尋常じゃない。
支援スキルを発動したのか?
ありがとうな。」
彼のお礼の言葉に、私は驚いて彼を見る。
ありがとう・・・?
私に言ったの・・・?
「なんだ?
どうかしたか?」
私の困惑した視線に気づいた彼は、怪訝な顔で見つめ返してきた。
「あ、いいえ・・・。
その、すみません。
なんでもありません。」
と、私が謝っていると、
「俺は別に責めてるわけじゃないぞ?
むしろ助かってるんだ。
これだけ、やつらとの距離が開いたんだからな。
並の術者じゃないな、あんた。
上位魔法を使いこなせるのか?」
「ま、まさか!
私は何もしてません。
距離が開いたと言うなら、もう・・・。」
「油断するな。
こっちだって、いつ一時停止するかわからないんだ。
もうすぐ、俺たちの隠れ家にたどり着く。
そこはクロスノスが結界を張っているから、その中なら安全だ!」
と、彼は叫ぶ。
「い、一時停止?
クロスノス?」
と、私は尋ねた。
この人も止まることがあるんだ。
止まるのが普通なんだよね・・・。
「クロスノスは、俺の友人だ。
・・・おかしいな、今日は俺の時間が止まらない。」
そういいながら、彼は自分の黒い腕輪を見ている。
何か仕掛けがある腕輪なのかな?
好奇心が湧くけれど、ぐっと抑え込んだ。
質問ばかりすると、ノアム理事長はたくさん鞭で打ってきたもの。
この人だって・・・わからない。
そう思いながら、自分の体が熱いことに気づいた。
なんだか・・・体が熱っぽいな・・・。
風邪・・・ひいたのかな。
どうしよう・・・働けなくなったらゴルボスを呼ばれてしまう・・・。
あの人は私の毛皮を狙ってる。
嫌だ・・・。
死にたくない。
「おい、どうした?」
彼が私の異変に気づいたようだ。
「ごめんなさい・・・ちゃんと働きます・・・。
だからゴルボスを呼ばないでください・・・。
あそこへは帰らない・・・。」
と、私は気が遠くなりながら言った。
「は?
おい、しっかりしろ!
もうすぐ結界の中に入る!」
彼がそういうと、私たちが乗る馬は透明な膜のようなものを通り抜けた。
雨に濡れなくなり、結界の中に入ったことがわかる。
私が後を見ると、遥か向こうの方から私たちを追ってきた泥人形たちが、やっと透明な膜のところまで追いついてきた。
さっきより数が増えてるわ。
ゾッとするような光景だ。
でも、彼らがその膜に触れようとした途端、雷に撃たれたかのように光線が閃いて、悲鳴を上げながら、次々と崩れていった。
彼はその様子を一瞥すると、私を抱えて馬を降り、洞窟のような家に入っていく。
「クロスノス!
来てくれ!!」
と、大声で彼が叫ぶと、奥の方から見知らぬスラリとした背の高い男性が出てきた。
ダークグリーンの長い髪を後ろで一つに束ね、三つ編みに編んで垂らしている。
目は紫色で眼鏡をかけていた。
怖いくらい綺麗な人・・・。
熱で浮かされながら、そんなことを思った。
「おやおや、カミュン。
ラ・テルス魔法研究所の異変を見に行くと、言っていたのに。
女の子をお持ち帰りするなんて、隅に置けませんねー。」
と、クロスノスと呼ばれた男性が、にこにこと笑いながら言っている。
「そんなんじゃねぇよ。
途中で、泥土の精霊を使役した泥人形に襲われているのを助けたんだ。
彼女は、さっきから体が熱っぽい。
診てやってくれ。」
と、私を抱えた男性が言う。
カミュンて言うんだ・・・この人。