鎖と水と宝石と
自分自身、楽しんで書いた作品です。
拙い文章ですが、読者様にも楽しく読んでいただければ幸いです。
色鮮やかな草花が湿った風に押されるようにして、気だるげにからだを揺らしている。紅く大きな太陽が濃くオレンジ色の光を地上に残して、海へ沈もうとしていた。
メイリアは箒を動かす手を止め、作業着の袖で額の汗を拭った。
彼女の家から百メートルほどのところにある人気のない駅には、民家や木々の黒々とした影が横たわっている。
「汽車、遅いなぁ……」
この頃は工房の前を掃除し終わるくらいには駅に着いていたのだが、今日はまだ高く澄んだ汽笛の音さえ聞こえてこない。
「なにかトラブルが起きていないといいけど……」
ちらりと線路の行く先を見やってから、ガラガラと大きな音をたてて工房の重い木の雨戸を閉めた。
すっかり日も落ちて、夕食を終えたころ、ようやく重く地面を揺らして鉄をこするような音が聞こえてきた。
これほど遅れたのは久々だったので、メイリアは様子を見に行くことにした。
「わたし、ちょっと駅の様子を見てくるわ」
勢いよくドアを開けて出ようとすると、
「メイリア、今夜はもう遅いから、もし困っている人がいたら家に泊まってもらいなさい」
父のオーグが言い、
「気を付けるのよ」
母のナラが声を掛けた。
「はーい。それじゃあ、行ってきます」
駅に着くと、ちょうど乗客たちが汽車から降り始めているところだった。大きく膨らんだ買い物袋を提げている人や、仕事帰りらしき人が足早に降りてくる。運転手のドルトさんに何があったのか聞きに行くと、
「途中でヒツジの大群に邪魔されてね」
と、そっけなく教えてくれた。
特に大きなトラブルがあったわけでもないようだったので、メイリアはほっと息をついた。するとそのとき、
「すみません、この近くに宿などはありませんか?」
一人の青年が声を掛けてきた。
見たところ、メイリアより二つか三つ年上だろうか。落ち着いた不思議な雰囲気を漂わせているので、実際はもっと年上なのかもしれない。見たことのない服装で、その布地は長年旅をしたように色あせ、裾は破れている。
メイリアがみとれていると、青年は首をかしげて、
「あれ? あなたはこの村の人、ですよね?」
確かめるように言って、メイリアと目を合わせた。
「あ、す、すみません!! そうです。あの、私の家がすぐ近くにありますから、もしよかったら、その……泊まって行ってください」
どぎまぎしながら、「父が、困っている人がいたら、そうするように言っていましたので……」などと目線を逸らして言い添える。
「本当ですか? じゃあ、お言葉に甘えさせていただこうかな」
青年は弾むような声で言い、
「あ、僕は旅の者でニヤドと言います。よろしくお願いしますね」
と微笑んで名乗った。
「わ、わたしはメイリアです。父の工房で工芸師見習いをやっております。こちらこそ、大したことはできませんけど……」
メイリアは軽く頭を下げた。
「いえいえ、泊めていただけるだけで十分ですよ」
「で、では、こちらです」
すでに道には人影もまばらになり、風が肌寒くなってきている。
歩き始めて少しすると、
「あの、」
メイリアは恥ずかしそうに小さな声で話しかけた。
「? なんでしょう」
「その……敬語じゃなくていいです。ニヤドさんの方が年上でしょうし、敬語だと緊張、しちゃうので」
頬を赤らめて俯くと、ニヤドはくすくす笑った。
「それじゃあ、そうします。君ってずいぶん恥ずかしがり屋なんだね」
メイリアは顔を真っ赤にした。
日が暮れて、星々や月、民家の灯りが点々と暗い夜道に輝いている。お互いの顔がはっきり見えるほど明るくなくてよかったと、メイリアは心から思った。
いくつかのランプが照らす家の中へ入ると、ニヤドの風変わりな容姿が鮮やかに見えた。彼の肌はよく日焼けしているが、眼は美しい緑色で、おまけに耳の先が、噂に聞くエルフか妖精のように尖っている。
「君は旅人だと言ったが、出身はどこなのかね?」
四人でテーブルを囲み、香りの高い草花のお茶を飲んでいるときにオーグが尋ねた。
「僕はもっと西の端の方にある、砂漠に囲まれた小さな集落で生まれました。見た目でわかったでしょうけど、ある妖精の一族の生まれです」
ニヤドがにっこりと笑って答えると、メイリアは好奇心に目を輝かせた。
「わたし、妖精というと、とても小さい人々の話しか聞いたことがないわ」
メイリアが急に饒舌になったのを見て微笑みながら、ニヤドはゆっくりと言葉を紡いだ。
「僕の一族はみんな人間くらいにはなります。でも、大人になっても、人間の平均身長よりはだいぶ小さいですけどね」
「そうなんだ……。妖精にもいろんな妖精がいるのね」
それからは、とりとめのない世間話や、汽車が止まってしまった時の話をしたりして、夜が更けていった。
「メイリア、明日は村を案内してさしあげなさい」
オーグが飲み終わったカップをテーブルに戻しながら言った。
「え? でも、仕事が……」
「明日は休んでいいから、行ってきなさい」
メイリアが迷っていると、
「メイリア、そうしたらいいわ。たまには息抜きも必要よ」
ナラも優しく背中を押すように言うので、ようやく小さく頷いた。
「お心遣いありがとうございます。メイリア、明日はよろしく」
ニヤドの明るい声と笑顔に、メイリアも思わず表情を緩めた。
「はい、こちらこそ」
+ +
翌日、二人は遅めの朝食をとってから、村をのんびり一周した。
空は青く澄み渡り、小鳥たちが元気にさえずりながら飛び回る。日差しが暖かく、そよ風が気持ちいい。歩いて回るには絶好の日和だ。
まずは大通りなどにあるいろいろな店を簡単に紹介して回り、エルフが住むという森の前を通った。ニヤドは遊び回る子供たちに好奇の目で見られて囲まれてしまい、長々と立ち話をしたりもした。
途中、陽気なハールーンさんが経営する、コーヒーがおいしい喫茶店で一休みした。
「僕はこの村がとても気に入ったよ。みんなが一つの家族のように暮らしていて、とっても温かいもの」
ニヤドは目を細めてコーヒーを啜る。
「そういってもらえると、本当に嬉しいわ」
他のお客用にコーヒーを淹れながら、ハールーンさんは息子のアムルがキョウという少女と、北の山に住むドラゴンを退治しに出かけたと話した。メイリアはもちろん、ニヤドもこれには驚いた。
「それって、かなり危険じゃないですか?」
メイリアは落ち着かなげに椅子に座り直した。
「大丈夫、大丈夫! あいつらのことだ、そのうち元気に帰ってくるさ」
ハールーンさんは笑って答えたが、
「うーん……だいぶ危ない冒険だけど、魔法使いがいるならまだ安心、かなぁ」
ニヤドも曖昧に微笑んだ。
「僕はこっち方面に来たのは初めてなんだ。だけど、ドラゴンには是非とも会ってみたいな」
彼は無邪気に笑ってそう言った。
「そういえば、一つ、気になっていたことがあるんだ」
突然、思い出したようにニヤドはメイリアに顔を向けた。
「? 何かしら?」
「君、マリアンナという名前を知らないかい?」
なぜか真剣味を帯びた口調であることに怯みながら、
「知らないわ」
と静かに答える。
「そうか」
先ほどの緊張を解くように薄く笑うと、
「そうだよな」
カップに目を落とし、ぽつりと呟いた。
「ごめんよ、急に変なことを聞いて」
「別にいいですけど……なんでそんなことを?」
ふぅーっと長く息をつくと、ニヤドは思案顔でもう一度メイリアを見る。
「マリアンナというのは、僕の幼馴染でね。その娘は普通の人間なんだけど、商人の家の子で、よく僕の生まれた集落にもやってきていた」
ニヤドは昔を懐かしむような、遠くを見るような目をした。
「すごく不思議なことだけど、君は彼女にそっくりなんだ」
「? ど、どういうこと?」
「性格は全く違うけど、金の髪に薄茶の眼っていう容姿や、声、時々しぐさまで同じなんだ」
メイリアは少し怖くなって、カップを両手で包んだ。
「それは、なにか勘違いしているだけじゃない? そんなにそっくり同じ人なんて、いるとは思えないわ」
「うん……。確かに、彼女とはもう十年以上会っていないけど――」
「それなら、はっきりしたことは言えないわ。それに……わたしはメイリアで、マリアンナじゃない」
ニヤドは驚いたように目を見開くと、すぐにすまなそうな表情になった。
「ごめん。君にとっては気味の悪い話だったね。このことは、忘れてくれ」
生ぬるくなったコーヒーをのどに流し込むと、二人はハールーンさんにお礼を言って大通りに出た。
ニヤドはまた明るく気さくに話しかけてきたが、胸の中に何か冷たいものが引っ掛かったままだった。
翌朝メイリアが起きると、すでにニヤドのベッドは空っぽになっていた。
「お母さん、ニヤドさんは!?」
バタバタと階段を降りてきたメイリアを見ると、食器を洗う手を止めて、ナラは微笑んだ。
「ニヤドさんなら、今日は一日森へ行ってくると言って、朝早くに出かけて行ったわよ。きっと妖精仲間さんにでも会いに行ったのでしょう。そんなに慌てなくても、あと二日はいるつもりらしいから、急にいなくなったりはしないと思うわ」
メイリアは大きく息をついた。まだいるのだと聞いて、なぜこんなにも安心するのか、自分でもよくわからない。
「ふふ。昨日村を一周して、ずいぶん仲良くなったみたいね」
ナラが嬉しそうに笑うので、メイリアはぽっと頬を赤く染めて、
「今日からは、ちゃんと仕事するわ」
と言うが早いか、逃げるように自室に上がって行った。
「ふふふ。素直じゃないんだから」
メイリアの主な仕事は工房での雑用と、針金細工を作ることだ。見習いなので、高い宝石を扱う仕事はさせてもらえない。複雑な模様を作るのもまだ難しく、オーグに教えてもらいながらの作業だ。
「違う! ここはもっと細かく丁寧に!」
「はい!」
オーグは仕事熱心な人で、仕事のこととなると手抜きを許さず、実の娘でも厳しく指導した。メイリアはそんな父に憧れて、早くから仕事を手伝い始めたのだ。
しかし、賑やかに遊び回る子供達を見て、ふと自分のした選択を疑うこともある。実際、同い年くらいの子供はみんな毎日仕事を手伝いはするのだが、メイリアのように一日中という子はいない。
自分は早く綺麗なアクセサリーを作りたくて、立派な工芸師になりたくて、こうして工房で働くことを決めたはずなのだ。それなのにこの頃は、気付くと時々同じことばかり考えている。
「これは、本当にわたしの意志なのだろうか?」
と。
親がこの仕事をしていたから、工芸師を目指しているのではないか? 厳しく育てられたから、早くから仕事を始めたのではないか?
――同じ境遇に生まれたら、自分でなくてもこの道を選んだのではないか?
そう思うたびに、メイリアは自分がとても空虚な存在に思えて仕方なくなる。自分というものがどこにあるのかわからなくて、落ち着かなくなるのだ。
そして、昨日のニヤドの言葉がいつまでも耳から離れないでいた。
『容姿や、声、時々しぐさまで同じなんだ』
メイリアは考えて胸の内が冷たくなった。
――それでは、自分とはいったい何なのだろう……。
その日の夕方、メイリアがいつものように工房の前を掃いていると、ぶらぶらとニヤドが帰ってきた。
「おかえりなさい!」
自分の声の大きさに驚きながらそう言って、急いで駆け寄る。
「ああ、ただいま」
そんなメイリアの様子に、ニヤドは目をぱちくりさせた。
「今日はすごく楽しかったよ。ほら、木苺のケーキをもらってきたんだ! あとで一緒に食べよう」
そう言うと、持っていた木の箱の蓋を開けてみせた。中には手のひら大のケーキがちょうど四つ入っている。
「わぁ! わたし、木苺大好きなの」
今にも飛び跳ねんばかりの様子でそう言い、赤いジャムのたっぷりのったケーキに熱い視線を注ぐ。ニヤドは思わず笑い出した。つられてメイリアも笑い出す。
手早く後片付けを済ませると、二人は工房の裏手にある家に向かって歩き始めた。
「君が森には入らないように言われていると話していたから、妖精やエルフは寂しがっているんじゃないかと思っていたんだ。だけど、最近は三人の子供がしょっちゅう遊びに来ているみたいだ。それを聞いて、なんだか安心したよ」
メイリアはこのニュースに目を丸くしたが、同時にほんのりと温かい気持ちにさせられた。
「今度は、メイリアも遊びに行きなよ! みんな親切だから、大丈夫だよ」
「えっ! うん……。そうね」
森へ入るのには少々勇気が必要だが、妖精には会ってみたいと思う。
横を歩くニヤドの顔をちらりと盗み見る。当人はそれには気付かずに、森でのことを明るく話し続けていた。
メイリアは彼の眼が時々遠いどこかを見ていることに気付いていた。
また次の日。オーグとメイリアの勧めで、ニヤドは工芸師の工房を見学していた。
「あれ? メイリアは左利きなのかい?」
針金でいくつも輪を作っていると、ニヤドが横から尋ねた。メイリアは右手のペンチで針金を固定し、左手のニッパーで曲げていたのだ。
「いいえ、右利きよ。もっと細かい作業なら右手で曲げるけれど、大きく曲げるならこの方がやりやすいの」
そういいながら、ニッパーで掴んだ針金を芯にあて、くるりと巻きつけるように曲げる。
「へぇ、それは知らなかったよ」
ニヤドはじっとその地道な作業を見つめた。
「僕も針金細工は好きだ。とても繊細で美しいからね」
「本当に?」
メイリアは思わず手を止めて、声の方に振り向いた。
「うん。もっとも、自分で作ったことはないけど」
言い足して、彼は肩をすくめる。
「あんまり宝石とかを付け過ぎない、シンプルな物の方が好きだな」
「そんな風に言ってくれる人、初めてだわ。そのうち宝石もちゃんと扱えるようになりたいけど、本当は針金だけでも十分綺麗だと思っているの」
目を輝かせて話す彼女を見て、
「本当にこの仕事が好きなんだね。純粋な思いが伝わってくるよ」
ニヤドは満ち足りた笑みを浮かべたが、メイリアは一瞬寂しげに眼を逸らした。
昼の休憩時間になって、二人は工房の前に椅子を持ち出して来た。駅の向こうに青くそびえる山脈が見える。空の高いところをまばらな雲がのんびりと流れていく。
ふと思い当って、メイリアはニヤドに聞いた。
「そういえば、ニヤドさんは何か仕事をしていないの?」
旅人と言っても、生活していくには何かしなければならないはずだ。
「ああ、僕は魔法が使えるんだ」
「えっ!」
意外な答えだったが、ニヤドは妖精だったのだと思い出した。一緒にいて違和感がないので、ついつい忘れてしまうのだ。
「そう。だから、魔法使いを必要としているところを探して、仕事をさせてもらうんだよ」
言いながら、ニヤドは水の入った革袋を取り出した。
「へぇ。具体的には、どんなことをするの?」
「うーん……例えば、怪我や病気を治す手伝いをしたり、お祓いしたり、厄除けのまじないをかけたり……まぁ、いろいろだね」
最後にくすりと笑って付け足した。
「そういえば、犬を探してくれなんて頼まれたこともあったよ」
「犬を!?」
それは魔法を使わなくてもできそうだ。
二人は声を立てて笑った。
「世の中にはいろんな人がいるからね。……マリアンナなんか、魔法の無駄使いはするなってうるさかったし」
最後にぽつりと零された一言が、メイリアの胸を締め付けた。
「それじゃあ、見せてあげるよ」
ニヤドは気を取り直すように言って革袋を傾けると、左手いっぱいに水を入れた。その手をそっと口元へ持って行き、ふぅっと息を送る。
そのとたん、いくつものビー玉くらいの水球が、見えない糸に引かれるように空中に飛び出し、二人の目の前をくるくると旋回した。
「わぁ!!」
黄色い午後の日差しを跳ね返し、眩しい光が時折目に飛び込んでくる。よく見ると、小さな玉一つ一つに、世界が逆さまに映っている。
「綺麗……!」
きらめく水の玉は徐々に小さく分かれ、最後は霧のようになってそよ風に運ばれていった。
「魔法って、便利なだけじゃないのね」
メイリアはまだ夢見心地で空を見上げている。
「そうだよ。全てはその人の使い方しだいなんだ」
ニヤドは革袋から一口水を飲んだ。
「魔法は確かにすごく便利だよ。でも、僕は最低限のことにしか使わないようにしてる。魔法が使えないという感覚を、忘れたくないからね」
この言葉に、メイリアは目を瞬たかせて彼を見る。
「だって、針金細工まで魔法で作ったって意味がないじゃないか」
はっとして、彼女は自分の両手を見つめた。
「そうね。本当にそうだわ」
ニヤドは何も言わずに深く頷いた。
「手を使わずにいろんなことができたら本当に便利。だけど、それじゃあ心のこもったものを作ることができなくなってしまう。どんなに複雑な模様を作っても、美しいと感じられなくなってしまうでしょうね」
工芸師という仕事、芸術と呼ばれる仕事の意味や価値が、改めて確かなものに感じられた。
「ありがとう。わたし、ますますこの仕事に誇りを持てそうな気がするわ」
メイリアは心からの気持ちを言葉にした。
「よかった。君ならこの気持ち、わかってくれると思ったよ」
ニヤドも顔をほころばせた。
休憩の後、二人はまた工房の中へ入って行った。今度はニヤドが針金細工をやってみたいと言い出したので、メイリアが簡単なト音記号の作り方などを教えた。ニヤドの腕前は、初心者にしてはなかなかのものだ。手先が器用なのだろう。途中様子を見にきたオーグも感心していた。
夕食時、ニヤドは長居したいのはやまやまだが、明日中に帰るつもりだと告げた。三人はもう少し居てもいいと言ったが、彼の決心は固かった。
それからメイリアは口数が少なくなり、俯いてばかりいた。
――明日が終われば、もう逢うことはないかもしれない。
その事実が、胸に重くのしかかって苦しいほどだった。
そのうえ、暗い気持ちがもう一つの苦しみをじわじわと思い起こさせる。ニヤドが時折、自分のことを幼馴染に向けるような目で見ているということを。
彼が無意識に二人を重ねてしまっていることを、メイリアはわかっている。わかっているからこそ、辛いのだった。
+ +
そして、最後の日。
メイリアは重たい気持ちを抱えたままでいた。
しばらくは工房にいたニヤドも、森に最後の挨拶に行ってしまった。
いつものように針金に形を与えながら、わたしはこの仕事が好きなのだ、わたしはこの作業が好きなのだと、自分に言い聞かせるように何度も頭の中で繰り返す。時間が無情に流れていく。彼のいない時間ほど、ゆっくりと。
息が詰まるような思いは、昼の休憩時間になっても過ぎ去りはしない。ニヤドがなかなか帰って来ないので様子を見に行くと、大勢の子供たちに囲まれて遊んでいる姿を見つけた。子供が草で作った粗末な舟を、風に乗せるようにして飛ばせているのだった。
「あ! メイリア!」
声を掛けるか迷っていた彼女を見つけ、よく通る声で呼びかけた。
「あの、お昼が出来たから呼びに来たの。でも、まだ遊んでいても、全然かまわないわ」
早口で言って立ち去ろうとすると、
「いや、今行くよ。わざわざ来てくれてありがとう」
ニヤドは子供たちに別れを告げてすぐに彼女のもとへとやってきた。心が躍り出しそうな反面、後ろめたい気持ちになる。
「ごめんなさい。お邪魔だったかしら」
メイリアはか細い声で謝った。
「そんなことないよ。ちょうどお腹も減ってきたところだ」
ニヤドは自分のお腹をさすった。
「ナラさんの手料理は本当においしいよ。親切な家に泊めてもらえて、僕は幸せ者だな」
彼は思ったことを口にしただけだったが、メイリアには確実に近づく別れを突き付けられるようで、何も言葉を返せなかった。
食後、昨日のように二人で座っていると、メイリアはまたニヤドに問い掛けた。
「ニヤドさんは、なんで旅をしているの?」
「えっ?」
意外なことを聞かれたというように、彼はピンと背筋を伸ばした。
「長い間一人で旅をしていて、寂しくはならないの?」
「それは……時々は連れが欲しくなるときもあるさ。でも、ずいぶん長い間一人で旅をしてきたから、とっくに慣れてしまったよ」
そのとき、初めて彼の表情に影がさした。
「僕の一族には、一人前になったら旅に出るという掟があるんだ。……あるものを探すために」
「あるもの?」
「そう。あるもの、だ」
ニヤドはおもむろに左手を胸に当てると、一瞬痛みに耐えるように体をこわばらせた。
「見て」
メイリアは、差し伸べられた彼の左手を見た。
「これは……鍵?」
よく日に焼けた腕で、唯一白に近い手のひら。その白さを際立たせて、彼の手の中に光が鍵の形を成していた。
「うん、そうだよ。これは、僕の一族なら誰もが生まれつき持っているもの。魔法を持って生まれるのと同じように、何かを開くためにある力として、授かるものだ」
光の鍵はやがて、空気に溶けるようにして消えていった。
「僕たちは、『鍵』が開くはずの『箱』を探しているんだ。それは人それぞれ違うけれど、死ぬまでには必ず見つかる。今まで、見つけられずに終わってしまったという話は聞いたことがない」
「それで……ニヤドさんは、旅をしていることが、嫌じゃない?」
もしも自分が彼の立場だったら、どう思うだろうか。生まれたときから生きる目的を決められ、そのためにあてどなく旅をして終わる人生だなんて。
――それこそ、自分である必要のない道なのではないか?
「僕は、旅することが好きだ」
「え?」
彼は穏やかな表情をしている。
「旅をしていると、いろんなものに触れることができる。いろんなことを経験できるし――」
ニヤドは振り返ってメイリアの目を見つめた。
「いろんな人に出会える」
「でも……」
「僕はね、旅をやめたいと思ったことなんてない。旅自体が楽しくてたまらないから。常に探し物のことを考えて歩いているわけじゃないし、自分の足の向くままに進んでいてもいいと思えるんだ」
真剣な表情を崩してふっと笑う。
「僕って、ただ楽天的なだけなのかな?」
メイリアは大きく首を横に振った。
「違う!! そんなこと、ない……」
膝の上で合わせた両手に、ぐっと力が入る。
「メイリア?」
「わたしは、ずっと考えていた。好きで今の生活を選んだはずなのに、これは本当に自分の気持ちなんだろうかって」
初めは震えていた声が、段々と強く、はっきりとしたものになる。
「わたしは……わたしは、父が工芸師だからこの仕事を選んだわけじゃない」
メイリアの目の前に、初めて作業着を着て工房へ入ったときの情景が浮かんできた。期待や希望に胸を膨らませていた、あの頃……。
「早くに働き始めたのは、躾の厳しい家で育ったからでも、人と関わるのが苦手だったからでもないの……」
これまで塞き止めていた感情が、一気に壁を突き破って流れ出す。もはや自力でその奔流を止めることは不可能だった。
「生まれや境遇や、周りの人の影響だけでここに立っているのではない……わたしは……わたしが、全部自分で選んできたことなの!」
ここまで言い終えて、メイリアは自分の吐き出した言葉の意味に気づいた。とてもこの口を通って出てきたものだとは信じられなかった。
ふと目を上げると、ニヤドの顔がよく見えない。驚いて目をこすると、自分の頬をとめどなく温かいものが流れていることに気づいた。
「ご、ごめんなさい……わたし……」
「いいんだ」
ニヤドは立ち上がって、彼女の肩にそっと手を置いた。
「謝らなきゃいけないのは、僕の方だ。この五日間、僕はちっとも君の気持ちに気づいてあげられなかった。それどころか、君を余計に苦しませるようなことを言ってしまった……本当にごめん、メイリア」
彼の誠実な態度にうろたえながらも、メイリアは自分の心の中のわだかまりが、すっかり消えているのを感じた。冷たい氷が解けて流れ去るように。
「いえ、あの、ありがとうございます」
メイリアは目の端に溜まった最後の一滴を指先で拭って笑った。
「おかげで、なんだかすっきりしたみたい」
太陽が西に傾き始めた。日の光が徐々に弱まり始めた村を、王都へ向かう最後の汽車が出発しようとしていた。
「本当に、これでお別れなのね」
本日二度目の涙、けれど、先ほどとは全く違う意味の涙が頬をゆっくりと伝い落ちる。
「あぁ、そんなに泣かないでよ。誰かにに泣かれるのは苦手だ」
ニヤドはおろおろしながらそう言って、優しく彼女の頬を袖で拭う。
そして、彼女の小さな手にそっと小ぶりの袋を握らせた。
「これは?」
振ってみると、ジャラジャラと石が擦れ合うような音がする。
「ずいぶんお世話になってしまったから、何かお礼をしたくてね。この村へ来る途中の仕事でもらったものだ」
紐を解いて中身を見ると、色とりどりの水晶が詰まっていた。
「こんなに?」
「僕が持っているよりは、立派なアクセサリーにしてもらった方がずっといいよ」
メイリアは袋をしっかりと両手で包みこんだ。
「本当にありがとう! 大切に使うわ。きっと素晴らしいものにしてみせるから」
「君ならできるって信じているよ」
とうとうニヤドは汽車へと歩み寄った。
「大丈夫。これが最後だって決まったわけじゃないよ」
「うん、そうだよね……それじゃあ、」
メイリアは精一杯の笑顔を作った。
「またね、ニヤドさん!」
「うん、また会える日まで!」
汽車は白い蒸気を長くたなびかせながら、ゆっくり遠ざかっていく。
メイリアはしばらくその線路が続く先を見送っていたが、やがて振り切るように背を向けて家路をたどり始めた。まっすぐ顔を上げ、自分の進む道を見つめて。
いかがでしたでしょうか?
大好きなハイファンタジーということで、情景描写に力を入れて書きました。
メイリアのニヤドへの片思いが、ほんわかと伝わっていたら嬉しいです。(ニヤドは鈍感なので気づいてませんが)
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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