第18話 アルクの新魔法
訓練場。グライツの眼前にはアルクとエテルが立つ。先日の「仕事」で、彼はアルクやエテルに配給することのできる技術を手に入れていたのだ。そのため、まだミハエルの座学を中心としているエテルも今回ばかりはフロアへと降ろして実戦練習を行わせるつもりなのだ。
「まずはアルク、前回の試合を謝るよ。あれは大人げなかった、申し訳ない」
「いえ、そんな……」
アルクはうろたえる。血が止まっただけの状態でグライツは先日の仕事を行い、今もこうして両足で地面を踏みしめている。常人ならばしばらくは障害の残るであろう状況で、グライツはそれを克服しているのだ。それに、アルクも、ブランクの間にはミハエルの蔵書から、いくつか有益な情報をつかみ取っていた。
「エテル、お前にはまだいろいろと渡すべき物があったんだ。少々遅れたが、これを受け取ってくれ」
グライツは古い本を装束の内側から取り出し、エテルに渡す。題名は「基礎化学」であろうか、魔術師にとっては、馴染みのない学問だ。エテルの瞳が輝く。
「まあ、ありがとうございます」
グライツの本を両手で受け取ると、まるで宝物でも受け取ったように、エテルはしげしげと本の表紙を眺める。題名だけが大きく記された装飾のないその本の表紙は、エテルのやわらかな指先に吸いついた。
「……さて、今日はお前達に面白いものを見せようと思う。魔道触媒を利用することの優位性の実践だ」
触媒、ミハエルの座学で触れられた存在。そんなことを思い出している双子をちらりと見やると、グライツは掌を広げ、魔力を込める。淡い青色の光とともに、グライツの掌の上には握り拳ほどの大きさの土の球が生成された。
「今のは、触媒を全く利用しなかった場合のものだ。本当に何もない場所から粘土を作った。質量保存なんて法則は飛び越えて、本当に無から有を作った。あぁそうだ、科学側の用語が多くなるが容赦してくれ」
軽い音とともに、グライツが作り出した粘土の球は床に落ちる。その衝撃で、粘土はひしゃげ、ボロボロと風化して空気に溶けてゆく。
「次は、この床を利用して粘土を作る。するとどうなるか」
グライツが掌を広げた瞬間に、地面が一掴みほど千切れ、グライツの掌へと向かい、球を作る。今回は青白い魔力光を発することなく、作成の時間も比べ物にならないほど短い。思わず、双子は驚愕の表情を浮かべる。
「見ての通り、一瞬だ。もちろん技量によって左右されるが、絶対に触媒を利用した方が早く、消費も少ない。つまり戦闘においては、身の回りの状況を把握したり、あらかじめ自らの属性にあった触媒を持ち歩くことで有利に展開できる。ここまでは良いか?」
その言葉に、二人は首を縦に振る。どうやら、感覚的に理解をしていたのだろう。
「そこで、だ。今日はお前達に俺からプレゼントを贈ろうと思う。早めの入学祝いだよ」
粘土を床に落とすと、わずかに口元を吊り上げてグライツは笑みを浮かべる。しかし双子は、ぽかんとした表情でグライツを見つめていた。
「……何か問題でもあるか?」
あまりの反応に、グライツは笑みを崩すと二人に問いかけると、二人分の笑いが空気に溶けてゆく。
「だって、兄上らしくないんですもの」
「どちらかと言えば、訓練以外のことは自分で何とかしろ、というタイプかと思っていましたから」
朗らかな笑い声が訓練場に響くと、グライツも硬い表情を崩し、再び笑みを浮かべる。
「俺にも、思いやりの心くらいにはあるさ。さて、プレゼントを受け取ってくれ。こちらがアルクのもので、こっちはエテルのだ」
グライツは装束の中から二つの紙袋を取り出し、二人に渡す。「開けて良いぞ」、と言う言葉と同時に、二人は紙袋を丁寧に開ける。アルクの紙袋からは銀色に輝くクラシックな印象のライターとオイルが、エテルの紙袋からは淡く青色に輝く魔法石のついた指輪が姿を現した。
「アルクのは見ての通り、ライターだ。オイルライターだから風にも強いし、内部に魔力を溜め込んで燃料として扱うこともできる。外見こそクラシックライターだが、つけ方はタブを押し下げるだけだから手軽に扱えるはずさ」
アルクはもらったライターをしげしげと眺める。先ほどの言葉の通り、わずかに魔力を注ぎ込むと、内部が液体で満たされていくような感覚が金属越しに伝わってくるようだ。タブを押し下げて火花を起こすと、カチンという小気味良い音とともに赤々と炎が灯った。
「エテルのは、水の魔法石だ。水に落とすと水を吸収し、魔力を込めると水を放出する特性がある。吸収量はたしか、バスタブ一杯分以上はあったはずだ。アルクのライターもそうだが、魔法媒体の代わりとしても使えるから、学校に持って行っても何も問題はないはずだ」
エテルは早速、指輪を右手の人差し指に装着する。魔法石が光を浴び、きらきらと輝く。
「ありがとうございます!」
「ありがとうございますわ!」
二人は心からうれしそうに笑みを浮かべ、感謝の言葉を口にする。グライツはくつくつと喉を鳴らし、意地悪っぽく言葉を紡ぐ。
「さて、では実戦訓練だ。触媒の使い方を確かめながらやりあおうじゃないか。今までの遅れを取り戻すぞ」
その言葉に、二人の顔から笑みは溶け落ちていく。グライツは反対に笑みを浮かべると、両手を広げた。
「二人同時に相手をしてやる。さあ、始まりだ。存分にかかって来い。今までお前達が自習をしていた成果を見てやる」
その言葉に、アルクは早速ライターの炎に手をかざす。まるで気化した燃料に引火したように、細い空気の筋が燃え上がると、アルクの左掌の上で球を作った。エテルはグライツに向き合ったままアルクの後ろまで退避すると、手の甲に掌を重ねてグライツへ向ける。
「行きます!」
「行きますわよ!」
二人の声が訓練場に響き、グライツは笑みを浮かべる。
「来い!」
勇ましい声とともに、戦端は開かれた。
―――― ―――― ――――
自習中にアルクが手に入れていた「成果」は三つある。一つ目は、新しい魔法の会得。二つ目は、魔法の効率的な運用。そして三つ目は、自らの魔法の最適化である。
それに対し、エテルは今までの時間――数ヶ月という時間を、ひたすらに基礎訓練と自らの研鑽に費やしてきているのだ。土台を固め続け、いよいよその上へと足場を建てる、それが今回の訓練である。今まで心のどこかで欲していた「更なる高み」のチャンスを敏感に察知した彼女の心は、今、震えていた。
「(すごい……)」
彼女自身、初めて経験する感情であった。絶望と苦痛は既に飽和するほどに味わってきていたのだが、たった一人の男と向かい合うだけで、彼女の顔には無意識に笑みが浮かんでいた。そして彼女は気づいてはいないことだったが、アルクの顔にも、彼女と同じ笑みが浮かんでいた。小さな差異は瞬きしている間に見失いそうで、たとえ思考や嗜好が違っても、彼らは「同じもの」だったのだと思わせるような笑みであった。
先に動いたのはアルクである。彼は自らが手に入れた成果を、目の前の男に叩きつけるつもりなのだ。彼が心から欲しているのは、闘争ただ一つ。その機会をお預けにされていた彼は笑いながら、文字通り餓えたように、目の前の男を見つめていた。
「お見せします。今の自分のすべてを」
アルクは掌の上で燃え続ける火球を気にする様子はなく、それどころか、火球を握りつぶすのが狙いであったかのように、掌を握る。
「『パッケージ』!」
その瞬間、アルクの体が燃え上がった。それはアルクがグライツと戦う際に使用する魔法――エンチャントの基礎魔法のようだが、グライツはその意図が理解できないのだ。
「(前回までのことから察するに、アレは体中に纏った魔力を燃やす魔法か……燃費を考えても前回同様持って1分と言うところだが、はてさて今回はどうなることやら)」
グライツは微塵も動くことなく、装束の中から大量の棘を魔力糸につなげて空中に浮かべる。もともと魔力糸は体中の汗腺から放出されているため、大きな動きをする以外は指で操る必要はないのだ。アルクとエテルを正面に捕らえたグライツは、棘を正面に配置する。その瞬間、グライツの頭上から水の槍が一筋降り注いだ。水の槍はグライツが先ほどまで立っていた床を抉り、土煙と破片、そして、水を周囲に散らした。
「(いつの間に!?)」
コンクリートの破片によってわずかに頬を切ったグライツは、傷を気にせずにエテルを見つめる。わずかに肩が震えているが、その表情はいまだに笑みが崩れずに残っている。
「まだまだいきますわよ!」
地面に落ちた水が再びあつまり、まるで蛇のようにグライツの体を追う。水の動きはそれほど正確ではないためにグライツをとらえることはない。
「なかなか上手だな」
だが、エテルの攻撃は無駄ではなかったようだ。今のエテルの一撃を皮切りに、アルクはその本性をあらわにしたようだ。火の玉と化したアルクは体制を低くしてグライツに突っ込み、ほんの一瞬のうちにグライツの懐へと入り込む。エテルの動向を気にしてに虚を突かれたグライツは、一瞬だけ反応が遅れた。
そして、その一瞬で、アルクはグライツの腹に向けて右の拳を放つ。鈍い音と肉の焼ける音が同時に響き、グライツは汗を流しながら前のめりに崩れる。すると、その体を支えるように、アルクは左掌をグライツの腹部にあてがった。
「終わりです、兄上」
その言葉に、グライツは若干の疑問を覚える。終わるはずはないのだ。たった数発食らった程度で終わるはずはないという自信が、彼にはあったのだ。
「何を――」
「『レリーズ』!!」
グライツの腹部――いや、アルクの左掌を中心として、爆発が起こった。グライツは空中にわずかに浮き上がった後、地面に落ちる。そして、信じられないような表情をアルクへと向けた。
「停留魔法の『ディレイ』と……装身魔法の合体……か……。独学でこんなところまで……負けたよ……完敗だ……」
くく……と喉を鳴らし、グライツは言う。彼の衣服は腹部が吹き飛び、その下にまとっている砂の鎧が露わになっている。
「……少しだけ……疲れた……」
ゆっくりと、グライツの瞳は降りてゆく。いつの間にか彼の顔には、温和な笑みが浮かんでいた。