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第14話 想い出

 視界を埋めるのはただただ真っ赤な炎であり、嗅覚を埋めるのは肉の焼ける臭いだけであった。


 感覚はすべて痛覚と恐怖で塗りつぶされており、どこからどこまでが自分で、どこからどこまでがそれ以外なのか、そんなことすらも認識できなくなっていた。


 燃え盛る炎に酸素は奪われ、満足に呼吸もできない。体中から出血し、ショックで皮膚が凍死寸前のように青ざめ、満身創痍の体で――全身の骨格さえも滅茶苦茶になったとしても、自らは生きていた。


 それを証明できるのはただ自分の感覚と意識と意思であり、これが死後の世界なのであれば、それはそうなのだろうと納得できてしまう自信さえもある。


 ウォルフガング・シャンツェはほんのわずかばかりの力で、笑みを浮かべた。それはとてつもなく皮肉そうな、それでいて、泣き出しそうな笑みであった。たった六歳の少年が浮かべるには、あまりにも不釣合いな笑みであった。


「逝くな」


 ウォルフガングの耳元で誰かが囁いた。幻聴かもしれない。しかし、彼は確かにその言葉を聴いたのだ。


「望むならば、そう、くれてやる。力なぞくれてやる。永遠なぞ、くれてやる。今のお前の体を治し、決して死ぬことのない無敵の存在にすることもできる。どうだ? 欲しいか?」


 彼にとってそれは、神の声とも言えるような甘美な響きである。痛みの解放、永遠の命、無限の力。それは彼が今一番欲するものであるのだから。


 解放は望ましい、永遠は眩しい、力は恋しい。だが……。


「失、ぜ、ろ゛……」


 血液の絡む喉からそれだけの声を絞り出すと、ウォルフガングは深く深く息を吐き出して意識を手放した。黒いローブをまとった女が、いつの間にか彼のことを見下ろしていた。


 そうだとも。冗談じゃない。人に助けられて生きる人生なんて、借りを作りながら生きる人生なんて、御免だ。俺は俺であり、誰かと同化してしまうわけにはいかないのだ。ああ、そうだとも。目的を見つけたぞ、俺は。俺は――。




――――  ――――  ――――




 グライツは眼を開ける。まばゆく光る電灯の輝きを眼に焼き付けながら、グライツは頭を抑えて上半身を起こす。


「良かった」


 心底安心したように、ベッドの脇で膝を突くエテルは息を吐く。おそらく治癒魔法をかけ続けたのだろうか、顔にはありありと疲労の色が見て取れる。


「俺は……?」


「裏路地で気絶していましたの。おそらく、あの人物と戦って。ああ、ご無事で何よりですわ。少し顔色が悪いのですけれど、大丈夫ですの?」


 グライツは自らの目元を揉みながら、自嘲気味な笑みを浮かべる。彼が見た夢の内容は、あまりにも壮絶過ぎる内容だったのだから。


「夢を見ていた……昔の、夢さ。悪夢だったよ」


 グライツは悲しそうに笑い、それだけをつぶやく。エテルが質問をしようと口を開いた瞬間に、グライツは立ち上がり、扉を開く。孤児院の事務室では、既にミハエルとエヴァがアルクから情報をまとめている。三人はグライツを見ると、驚いたような表情を浮かべるが、グライツは気にした様子はなく、軽く頭を下げると報告を行った。


「ティタニア・ウィーケンヘルツと交戦。完敗でした」


 ミハエルは心底安心したように息を吐くと、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「良く無事で帰ってきた。あのティタニアと戦って生きて帰ってこれるとは……」


「ミハエルの話を聞く限り、奴は相当ヤバい奴らしい。なんでも、前の戦争で相当武功をあげた奴だそうだ」


 ミハエルとエヴァの言葉に、そうだ、と言葉をつけてからグライツは本題を切り出す。


「まったく攻撃が通じませんでした。切断の魔法を使ったところから推測するに、おそらくは風魔法だと思うのですが、それでも腑に落ちないところが多々あります。土柱は防がれたと考えられますが、魔力糸もまったく通じず、運動の方向さえも変化させていました」


 グライツが早口に言うと、エヴァはこめかみを小突きながら思案し、ミハエルは険しい顔を作る。


「……二属性魔法使い(デュアルスペル)ということはありえるかね?」


「さあ……しかし、ほかの属性を用いてもあのようなことができるとは……」


「であれば、何らかのトリックか……」


 三人がおのおのの意見を口にする中、アルクとエテルは互いに顔を見合わせていた。口を挟んで良いものかどうなのか、迷っているのだろう。そんな二人に気がついたのか、ミハエルは険しい表情を解くと二人に向き直った。


「まあ、急いでも仕方はあるまい。ともかく、今はグライツ君が無事に帰ってこれたことだけでも十分に喜ばしいことだ。アルク、エテル、ご苦労だったな。ありがとう」


 ミハエルは深々と頭を下げ、双子に感謝の気持ちを述べる。双子はそんな言葉を受けて、照れくさそうにはにかんでいた。


「ぼく達は、自らの正義に従っただけです。ただ、それだけですから」


「ええ、そうですわ。『たとえ一粒の砂さえももらえなかったとしても』、私は私の『正義』に従いますわ」


 二人の言葉に、エヴァとミハエル、そしてグライツは、まったく同じように笑みを浮かべた。呆れと喜びと、そして誇りが混ざり合ったような、複雑な笑みである。そして、グライツは笑いながら言葉を紡ぐ。


「お前たちは無償で俺を助けたつもりらしいが、俺はそれでは満足できないんだ。だから、埋め合わせをさせてくれ。そうだな……何でも良い、言ってくれ。俺が満足するまで、お前たちに借りを返したい」


 グライツの言葉に、エヴァとミハエルはクツクツと喉を鳴らして笑う。どうやら、これは彼の人生観であり、価値観であるようだ。


「でしたら……そう、本を取るのを手伝ってくださいませんこと? 届かない場所に本があって……」


「あ、ぼくもお願いします」


「お安い御用だ。行こうか」


 双子に先導されながら、グライツはミハエルの蔵書室へと歩を進める。軽い音とともに扉が閉じられ、エヴァは天井を仰いでため息をついた。


「相変わらずだな。初めてあった時もあんな調子だった」


「初めて? と言うことは、『例の事件』のときかね?」


「ああ、そうさ。あいつを『治癒』しようとしたとき、ひどく嫌われたよ」


 くく、と喉を鳴らし、エヴァは笑う。


「彼も幼心に理解していたのかもな、人間以外の何かになる、ということを」


「ああ、そうかもしれないな。ミハエル、お前は抗えるか? 不老不死と、強靭な力の誘惑に」


 値踏みするように、エヴァはミハエルを見つめる。だが、ミハエルは乾いた笑い声を発すると、首を横に振った。


「今の私ならば、即刻拒否をするよ。死にたくても死ねない存在を間近で見続けていたからね」


 ミハエルの金色の瞳とエヴァの青い瞳が交差する。


「では、いつならば肯定したと思う?」


 エヴァの質問に、ミハエルはこめかみに指を当てて思考をめぐらせ、回答を導いた。


「……35年前の『あの日』ならば、おそらくは欲しただろうね」


「『あの日』? 終戦日か?」


「いや、それより数日前さ。……エヴァ、お互い過去の詮索はやめるという約束ではなかったかね?」


「ああ、すまない。深入りしすぎた」


 二人は対等の立場で笑いあう。たとえ片方が人間で、片方が不老不死の化物だとしても、そんなことは気にならないらしい。


「そういえば、仕事のほうは? サーベルトのお偉いさんからの依頼はどうなった?」


「消滅したよ。どうやらニュースでやっていた河川敷の被害者の一人が鍵だったらしくてね」


 ミハエルは短くまとめてから言葉を紡ぐ。サーベルトからの依頼は、「暗殺」だった。おそらく、情報を横取りしようとしたのだろう。だが、その情報はティタニアに回収され、今となっては彼以外知る者はいない。


「結果的には、これで良かったのか?」


「どうだか。だが、奴がこのまま手出しをせずにいるとは考えられないね」


 言葉が切れ、一瞬の沈黙が事務室を埋める。ミハエルが何気なくつけたテレビでは、天気予報が発表されていた。


「晴れか、喜ばしい」


 ミハエルはそれだけをつぶやくと、意識を天気予報へと集中させた。

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