第12話 嵐の後で
「なんとも痛ましい事件であります」
テロップとともに、テレビの画面には河川敷の橋の下、黄色い線で立ち入りの制限されたその場所が映されている
「本日未明、二人の遺体が河川敷の橋の下で発見されました。一人は全身を強く打って即死しており、もう一人は顔に刃物のような傷が見られ、こちらも即死であったとのことです。ディンスマール中央警察は二人の身元を特定するとともに犯人像なども明らかにすることに努めており――」
朝日の差し込む孤児院の事務室では、ミハエルとエヴァがテレビの画面を見つめながら問答を交わしていた。ミハエルは明らかな罪悪感を浮かべているのだろう、両手で頭を抱え込みながら、なにやら言葉をつむいでいた。
「私が二人を見殺しにしたも同じだ……」
「とはいえ、もはや過ぎた話だ。これからどうする?」
エヴァは彼女なりの気遣いを以ってミハエルを励ましているのだろう。現在双子とグライツは買い物に行っているため、孤児院にはこの二人しかいない。とはいえ、彼らがそうなるように仕向けたのだが――。
「尻拭いくらいは私がやるさ。あの男から事情を聞かなくては」
「落ち着け。相手の居場所も分からないのに闇雲に探しても埒が明かないだろう? 情報を手に入れるまで待つのも大切だと思うが?」
まるで普段のエヴァからは考えられない台詞である。普段はミハエルがこういう助言をする立場なのだが、半ばパニックに陥っているミハエルにはそこまで思考をまわす余裕はないようだ。
「それにしても、『冥王』か。たいそうな名前だ」
エヴァは小さくそれだけをつぶやくと、朝日に照らされる窓の外を眺める。そして、ちらりとミハエルのほうを振り向き、言葉を投げる。
「お前はどの程度、奴を知っているんだ?」
「本名と、顔と、経歴くらいさ。とはいえ、もはや顔は面影もないが」
やっとのことで軽口を搾り出すと、ミハエルは再び腕を組み、天井の電球を見つめた。
―――― ―――― ――――
学校には本日も柔らかな日の光が降り注ぐ。サーベルト中央市街の南ブロックに位置するその場所では、初等魔道学の授業が今にも始まろうとしているところであった。
「皆さんこんにちは。先日の魔法祭お疲れ様でした」
初老の女性が、きびきびとした口ぶりでねぎらいの言葉を口にする。
「去年は結構な数の生徒がお祭りの翌日に休んだと記憶していますが、皆さんは優秀ですね」
穏やかな笑みを浮かべ、女性はクラスを見渡す。一つ二つほど空席があるが、それでも女性教師の目には少ないと映ったらしい。女性教師は息を吸い込むと、授業を開始した。
「教科書の83ページを開いてください。前回の復習からはじめましょう」
朗々と響き渡る声で、女性教師は言葉を発する。その瞬間、一種のけだるい雰囲気が教室を包んだ。
「おや、皆さんお疲れですか。それでは目覚ましにはきはきと授業を進めましょうか。起立」
女性教師がそう宣言すると、ばらばらと全員が立ち上がる。おのおの考えていることは「疲れた」唯一つである。そんなことを知ってかしらずか、女性教師は言葉をつむぐ。
「それでは83ページ、12行目。魔法の展開方法とその種類について。皆さんもご存知のとおり、魔法と呼ばれる物は根っこは同じです。どれも魔力と詠唱を用いて力場を展開するということは変わりませんが、一般的にこれは二つに分けることができるのです。その二つとは、何だと思いますか? リエイア・シューリエーさん」
起立したままうとうとと船をこいでいる少女は、突然の指名にうろたえたようにうわずった声を上げる。そして、わずかに空白の時間を作った後、悩みながら答えを導いた。
「ええっと……魔道と呪術、ですか?」
「そう、よくできました。お座りなさい。魔道とはわれわれが一般的に用いる、着火や錬金の魔法のことです。もちろん使い方や手加減を間違えれば重大な怪我につながりますが、これは比較的、被害の少ないものです。もちろん、明確な敵意を持って展開した場合は別ですが、日常生活で用いる分にはごくごく軽微な被害ですむはずです」
そして少し言葉を詰まらせると、女性教師はその先へと言葉を進ませる。
「問題は、呪術のほうです。こちらは明確な敵意を持って、相手を打ち倒そうとするもののことです。今は失われた闇魔法の多くは呪術を含んだ魔法体系であったといわれていますが、先生は詳しいことは分かりません。ただ、その呪術の一つだけ、今も皆さんが使うことができるものが存在します」
その言葉に、生徒たちは興味深そうに耳を傾ける。
「それは『言葉』です。もちろんこれは解釈が分かれるところでありますが、文字と言葉には不思議な力があると、先生は考えています。たとえばそれは敵意を持たせるようにもなりますし、好意を持たせるために使うこともできます。もしかしたら、言葉こそがもっとも単純な魔法なのかもしれませんね」
そして女性教師はわずかに息を継ぐと、続けて言葉をつむいだ。
「だからこそ、軽々しく言葉をもてあそんではいけないのです。言葉は細心の注意を払って弄するものだと、私自身は考えています」
そこまで言うと、ふと気づいたように教師は教科書に眼を落とす。
「話がそれてしまいましたね。授業に戻りましょう」
女性教師はあわてたようにそれだけをつぶやき、授業を再開した。
―――― ―――― ――――
ディンスマール市、別名サーベルト中央市街の東ブロックには、さまざまな商店が立ち並ぶ。日用品はもちろん、嗜好品やちょっとした家具ならばすべてこの地区の表通りを眺めるだけで揃ってしまうのだ。
そんな通りに、三人がいた。
黒い装束に身を包んだ少年少女――アルクとエテルと、同じく黒い装束に身を包んだ青年――グライツである。アルクとグライツは両手いっぱいに荷物を抱えているが、エテルは小さな紙の包みを手に持っているだけだ。どうやら彼らにも「レディには重いものを持たせない」という常識は存在しているらしい。
「頼まれているものは、揃ったかな?」
「ええ、おそらくは」
アルクとグライツは短く言葉を交わす。彼らが買出しに来ているのは諸々の雑貨や食料である。郵送してもらえば楽なのだが、彼らの運ぶ先は孤児院――特秘の場所なのだから、そんなことはできない。
「そういえば、先日のお祭りはどうしてあんな場所に?」
「あ、それは私も気になっていましたわ。あの場所はたしか、学生たちの出し物の場だとおっしゃっておられましたが……」
二人の何気ない問いかけに、グライツの顔はこわばる。その表情のまま数歩ほど歩くと、グライツは回答を導いた。周囲の人々がグライツの表情を恐ろしげにちらちらと見つめていることには気づかないようだ。
「俺が保護している少女の出し物を見ていたんだ」
アルクとエテルはあっけにとられたように眼を見合わせる。無理もない、二人が知る目の前の人物は、冷血で冷酷な男なのだ。そんな男が、少女を保護していたなどと、想像すらできないであろう。
「不幸な少女さ、あの子も」
それだけをつぶやくと、グライツは前を見据え、大股に歩き出す。アルクとエテルは、急ぎ足で彼の後を追う。
「一度、お会いしたいものですわ。私たちには年の近い友達がいらっしゃいませんから」
「ああ、機会があれば、会わせるよ。そうだ、お前たちも学校に通うといい。夏休み明けになるだろうが、お前たちならばやっていけるだろう」
「悪魔さまもそうおっしゃっていました。今からとても、楽しみです」
輝きを持った瞳で、アルクは言う。グライツは薄い笑みを浮かべ、前を見つめる。彼方から、バスが迫ってきていた。
「急いだほうがよさそうだな」
早足にグライツがつぶやき、アルクとエテルは小走りに彼の背中を追う。
おのおの楽しげな表情を浮かべながら、三人はバスに向かって走った。