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第10話 最後の喧騒

 8月17日、魔法祭の最終日である。この日は一日中喧騒が街中を包み、翌日の会社、学校には休みを取る者まで現れる始末なのだ。とはいえ、それも無理はない、イベントやらなんやらはこの1日に詰め込まれ、全てのイベントを見るには時間でも操作しない限りは不可能なのだ。もっとも、時間操作など机上の空論、正常な思考の持ち主ならば一笑に付すべきものである。


 只今の時間は日の高く上った昼間、既に祭りは熱気につつまれている。道の両脇に並ぶ屋台は前の2日を合わせたよりも多く、それこそひしめくほどに立ち上り、人波はそれこそ黒い波のように道路を流れている。ただ、仮装をしている人間は少ないようだ。そんな中で目立つのは、全身に包帯を巻いた者である。


 包帯の上から黒い燕尾服に黒いスラックスを着こみ、熱気をものともしないように、包帯の者は街を練り歩く。わずかに露出した肌全体に包帯を巻いているため、彼、あるいは彼女を推し量ることはできない。ただ、唯一露出している黒い墨のような瞳は、どこか刃物のような鋭さを秘めていた。


 その者はまっすぐに前を見つめながら、街を歩く。近寄るだけで斬れそうな雰囲気を放ちながら、包帯は歩き続ける。人波の中へと、人ごみの中へと。




――――  ――――  ――――




「なんとも無粋な連中だ」


 呆れたようなエヴァの声が孤児院に響く。孤児院の事務室では、デスクを挟んでエヴァとミハエルが向かい合っていた。デスクの上には、一枚のレポート用紙が載っていた。


「よもや最終日に動き始めるとはな。人が多い時を狙うとは、なかなか考えているようだ」


 努めて冷静に、ミハエルは言う。レポート用紙には、大きく「特秘」という文字が書かれている。


「今回の依頼主クライアントはどこだ? どう見ても個人ではないようだが」


「サーベルトの治安維持部からだよ。どうやら連中は情報力はすさまじいが、武力となると少々不安らしい。だからこそ我々に泣きついてきたんだろうね」


 車椅子のフレームを軋ませ、ミハエルが言う。その言葉に対して、エヴァはくすりと笑みを浮かべた。


「ふん、政治家や公務員なんてそんなものさ。それに、私達は情報屋ではない。私たちはただの武器でいい、そういったのはお前だったじゃないか」


「ははは、これは手厳しい。まあその通りだ。私たちは、『私は』、ただの武器で良い。ただ己の意思を以て暴力を振るうだけの存在で構わないよ」


 老眼鏡を指で押し上げながら、ミハエルは言う。エヴァはため息をついた。


「はっ。相変わらずシェズナの人間は考えが頑固だ」


「私の良いところだよ、それは。さて、それでは少しパトロールでもしてこようかな」


「迷子になるなよ」


 同時に二人分の笑い声が響く。ゆっくりと、時間は過ぎて行った。




――――  ――――  ――――




 すっかりと太陽が地平線の彼方に姿を消した夜の8時、片眼鏡とまっ白いグローブをつけ、燕尾服を着こんでシルクハットさえかぶり、さらには黒の杖を携えて古風な紳士の仮装を施したグライツは人ごみに紛れ、設置された舞台を見つめていた。数時間前から学童たちの出し物が始まり、今やっと、リエイア達の学年の出しものの時間となったのだ。つい先ほどまで連れ添っていたリエイアは既に舞台の幕の向こう側に引っ込んでいるため、グライツは一人さみしく舞台を見つめている、というわけだ。


 グライツには友人といえる人間は極端に少ない、それは彼の過去から察すれば至極当然のことであるのだが……。


 ざわざわといううねりが周囲を包む中、きいん、というスピーカーのハウリング音がそれをかき消した。


「さて、皆さま! お次はサーベルト初等学校第六学年の出し物です!」


 酷く快活な声が周囲に響く。今まで数時間という長い間実況をしてきたはずなのだが、微塵たりとも声の質は衰えることを知らない。まるで響く鐘のような声の女性は、テンションを上昇させたままマイクから叫ぶ。


「初等学校の出し物もこれで最後! はたしてどんなクオリティの作品を見せてくれるのか! それではいってみましょう! ジャンル、合唱! 一曲目!」


 叫び声とともにハウリングの音が周囲を包む。そしてその残響が消え失せた時、舞台の幕は開いた。左端にはいつの間にかピアノが運ばれ、中央には合唱の為の檀が並ぶ。その檀の両脇には、まるで翼のように吹奏楽の道具が設置されていた。毎度のことながら仕事が早い。


 指揮者が先頭を切り、袖から姿を現す。徐々に会場は静けさを増していき、そのあとから続いた小さな合唱団の最後尾が壇上で姿勢を正し、指揮者が礼をした時には割れんばかりの拍手が響いた。


 指揮者の男子は緊張したように背を向け、指揮棒を高く振り上げた。




――――  ――――  ――――




「ああ、もうこんな時間か。早いものだ」


 裏路地の暗がりで、ミハエルは懐中時計に目を下す。正確に時を刻む金色の時計は、現在8時丁度を示しており、ミハエルの耳にも合唱と合奏の音が響き渡っている。


 酷く平坦な調子で言葉をつなぐミハエルの足元には、一つの死体が転がっていた。それはまるで鋭利な刃物で切断されたようにも、とても巨大なギロチンで切断されたともいえるような奇妙な死体だった。


死体は左腕と右足、そして首から上を鋭利に切断されており、地面には一筋の血液が流れているだけで、血しぶきの痕はどこにも見当たらない。


 それは綺麗すぎる断面をしていた。鋭利な刃物でも、切断面は摩擦の関係でボロボロになってしまう。だがその死体の断面は、あまりにも滑らかであった。表情は苦痛ではなく、驚愕を浮かべたまま固定されており、その最期がいかに唐突に訪れたのかを物語っていた。


 ミハエルは軽く両手を打つ、すると、「まるで初めからそれがなかったかのように」、死体は消失した。ただ残されている痕跡は、地面にしみ込んだ赤黒い血液だけであった。


 ミハエルはその光景に別段驚きはしない。なぜなら、彼が今まで何度も、何十回も、何百回も行ってきたことだからだ。これは彼の操る魔法である。


 ミハエルは血で赤黒く染まった地面を一瞥すると、視線を上げて車椅子を漕ぎだす。老いによって脂肪が溶け落ちた指は節くれだち、触れれば折れてしまいそうなその指で、力強くミハエルは車椅子を漕ぎだし、裏路地の奥へと進んでいった。


 闇の中へ、影の中へ。闘争の中へと。




――――  ――――  ――――




 エヴァンジェリン・ベルニッツは小さく笑みを浮かべる。設置された舞台を遠くから見つめている彼女は、現在学生たちが歌っている曲が気に入りはじめていた。軽快なメロディーのポップスだが、いつまでも聞いていたくなるような中毒性を秘めていた。


「良い曲ですね」


「癖になりそうですわ」


 エヴァの両脇に立つアルクとエテルも、この曲が気に入ったらしい。今度「彼」に見つけてもらおうか、とエヴァが思考していると、その「彼」を視界にとらえた。


 黒い燕尾服に片眼鏡をかけ、熱気の渦巻く中でも一部も着崩しのない服装で、舞台を見つめている。エヴァは人ごみの間を縫いながら、ほんの数メートル先の男のもとへと近づく。双子は突然の移動に面食らったようだが、アルクはエテルの右手を引いて、エヴァの後ろへと付いて行く。


「シャンツェ――いや、グライツ」


 ぼそぼそと、エヴァはグライツの耳元で名前を呼ぶ。その瞬間グライツは肩をはねさせ、ゆっくりと、青白い顔で声の方向へ振り向いた。頭一つ分ほど低い位置に、「吸血鬼の仮装をした」エヴァがいた。


「きょ……卿」


「はは、そうか。そういえば君の寵愛の彼女は今年で最終学年だな」


 グライツはそして、彼女の背後からやってきた二人に気付く。


「悪魔さま? って、死神?」


「なぜあなたが……」


「ああ、こいつは色々あるんだ。とりあえず、明日からの酒の肴には困らなそうだ」


 くつくつと笑みを浮かべながら、エヴァは笑う。丁度歌が終ったところだった。


「なんとも中毒性の高い歌であります! この歌作った人はマジでガチに罪な人だよ! さあて名残惜しいですが最後の一曲! こいつは何とも有名な曲! 良ければ皆さんもお歌い下さいとのことです! いいねいいねこういうサービス! おねえちゃんはっちゃけちゃう――あ、すいませんマジで、はい、勘弁して下さい。はい! そんじゃあ行きましょう!最後の一曲はこちら! イントロ聞いてみなさんも歌え!」


 その言葉に、グライツとエヴァは、同時にくすりと笑みを浮かべた。双子は互いの表情をきょろきょろと交互に見つめる。軽快な伴奏とともに、周囲の人波が息を吸い込んだ


「~♪~~♪~♪♪~♪」


 まるで初めから示し合わせたように、周囲の人波は歌いだす。壇上の児童たちは心底楽しそうな笑みを浮かべ、同じ旋律を刻んでいた。


 旋律は人から人へつながり、徐々に大きくなる。男も、女も、子供も、老人も、なにもかも一切合切が、歌を歌いだす。今から数十年も前に流行した歌は、今も人々の心をとらえて離さないようだ。


 やがて、柔らかな旋律とともに歌は終わる。ほんの一瞬のあと、爆発したかと思うほどの歓声が広場に響いた。


「最っっ高! マジで最高! 思わずマイクに向かって歌おうとしちゃったよ! なんとも素敵な曲をありがとう6年生! それではみなさん! もう一度大きな拍手を!!」


 歓声と拍手の音が広場を埋める。舞台の上の生徒たちは皆満面の笑みを浮かべ、各々の方法で快感を発散させていた。笑いあい、つつき合い、抱き合い、そして、幕は下りた。


「いつまでたってもこの歌が好きなやつはいるものだな」


「私は好きですよ」


 呆れたように微笑みながらエヴァが言うと、グライツも笑みを浮かべてそのように応える。双子はこの歌を知らなかったのか、ぽかんとしたような視線を二人に向けていた。


「ああ、お前たちは知らなかったか。この歌は、35年前の、終戦の日からほどなくして作られたものだ」


 エヴァはぽつりとそれだけを呟く。35年前、世界を巻き込んだ戦争が終わった。何年もの間戦火と戦禍をばらまいたその戦争は、魔法戦争。シェズナとケファウスの思想の対立によって起こった、酷くみじめな争いであった。


「詳しくはまたあとで話そうか。さて、私たちはそろそろ退散する。お前は彼女を迎えに行ってやればいい」


 エヴァは酷くマイペースに、グライツに背を向けて歩き出した。双子は少々戸惑ったようだが、軽く頭を下げるとエヴァの後を追う。


 グライツも背を向け、舞台の脇で友人たちとしゃべっているリエイアを見つめていた。


 グライツに気付いたリエイアが大きく手を振る。グライツもさっきまでのやり取りなんてなかったように、おおきく手を振った。

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