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「蘇生魔法、リソシテーション!」
俺たちに、一分の油断も無かった。ならば、何故俺は死んだのか。
話は単純だ。それだけ、相手が強かったのだ。
満を持して挑んだ魔王軍幹部。
俺は、奴の閃光のごとき剣撃を必死に掻い潜り、なんとか奴の右腕を切り落とすことに成功した。
そして、その代償として俺は命を支払うこととなってしまった。
俺が死んでも猶、戦いはまだ終わっていないだろう。
右腕を落とされたからといって、魔王軍幹部が退くとは到底考えられない。
奴は自身の命をなげうってでも、魔王に歯向かう俺たちを排除しようとするだろう。
俺たちが戦っているのは、そういう相手なのだ。
前衛が一人減り、奴の攻撃を一身に受けながらも戦士は剣を奮い続けているだろう。
魔法使いは、より早くより強い魔法を放とうと呪文を唱え続けているに違いない。
そしてなにより、俺の愛おしい彼女は俺の死に心を痛めながらも魔王軍幹部に立ち向かっている。
死した俺に知る由はない、だがそうであることは疑いようもない事実であった。
俺の目が、不意に開いた。
目に映るのは、真っ白な空。
重力を背中に感じる。どうやら、俺は仰向けに寝転がっているようだ。
ここはどこだ。
周りを見渡そうとするも、俺の頭は一切動かない。
見えるものは遮るものが何もない、何処までも続く白だけだ。
動かないのは頭だけでは無かった、手も、足も、目を動かすことすらできない。
一切の力が入らないのだ。
神経を痛めたのか。いや、そんなこと知ったことか。
俺は、今なお戦い続けている仲間の下へ戻らなくてはならないんだ。
動け。
動け。
動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。
動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。
動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。動け。
「落ち着いてください。勇者様!」
聞きなれた声、僧侶のものだ。
頭を動かすことができないため、その姿は見えないが確かに近くにいる。
俺は、動かない口で必死に彼女に語り掛ける。
魔王軍幹部はどうなった!?みんなはどうなった!?
「落ち着いてください勇者様」
ひときわ優しさを増した声で、彼女は再び言った。
「ここは、生と死の狭間です」
「現世では、戦士さんと魔法使いさんが持ちこたえてくれています」
俺の頬に、彼女が手を添える。
彼女の手のぬくもりが、直に感じられた。
そのぬくもりが、全身へ、腕へ、胸へと伝わっていく。
気が付くと俺は、自身の力で上体を起こすことができていた。
「早く、戦いに戻らなくては」
「安心してください勇者様。ここは時間の進みが現世とは違います」
「こっちで数日過ごしたとしても、向こうでは一瞬に過ぎません」
動くようになった頭で周りを見渡す。
だがやはり、目に映るのは白い世界。この世界に唯一あるものは、俺と彼女ぐらいのものだった。
時間の進みが違うと言っても、仲間たちが戦い続けていることに変わりはない。
俺は、立ち上がろうとするが足に力が入らない。
どうやら、動かせるのは上半身だけのようだった。
「……体が上半身しか動かないのは何故だ?」
「私の魔力を少しだけ勇者様に送ったからです」
「この生と死の狭間で自由に動けるのは、蘇生魔法を扱うことができる神職に就くものだけです」
「じゃあ、あれは何だ」
足音も、気配もなく。
それは唐突に現われた。
黒衣に身を包んだ、不吉なオーラを纏った人影。
深くフードを被っているせいか、その顔を伺うことはできない。
その手には、一振りで首が落とせそうな大きく歪な鎌が握られている。
あの姿は、絵本で見たことがある。
そう、あれは俺たちが生きとし生けるものが想像する死神の姿そのものじゃないか。
「訂正します。ここで動くことができるのは、神職に就くもの」
「そして、彼だけです」
死神が、歩を進める。
奴が見据えているのは、間違いなく俺だ。
このままでは、連れていかれてしまう。だが俺には、まだやり残したことがある。
だが抗う術は、俺にはなかった。何せ体が自由に動かないのだ。
俺の不安を拭うように、彼女はとびきりの笑顔で語り掛けてきた。
「勇者様、見守っていてくださいね」
「な、なにをする気だ!」
「私が、彼を倒します」
彼女はそう言って、僧衣を放った。
体に密着した薄着一枚。
彼女のボディラインが露わになるが、そこにエロスはない。
引き締められた肉体は、もはや芸術の域に達している。
まるで、王城の広間に据えられている裸婦像のようだ。
戦士であるおれが、羨望すら覚えるその姿に。
俺は、かつての彼女の言葉を思い出していた。
これが、心の筋肉……
「あなた、いつもの死神とは違いますね?」
僧侶の問いかけに、死神が答える。
その声は、重く深く、この世のあらゆる不幸を詰め込んだかのような苦々しいものであった。
「前任の死神、先輩は……先日の貴様との戦いで負った傷のせいで戦線を離脱した」
声とは裏腹に、俗っぽい言葉を使う。
どうやら、生者の想像は死神の中身にまでは及ばないらしい。
「そうでしたか。では、今日は貴方が相手をしてくれるわけですね?」
「先輩は……先輩はすごい死神だったんだ!貴様さえ……貴様さえいなければ!」
「 黙 れ 小 童 !! 」
……ん?そ、僧侶さん???
「前任者は、戦いの前に貴方のように能書きを垂れ流しませんでしたよ」
「それに、その手に握られた大鎌は何ですか?先輩と私は、拳を合わせたことこそあれど武器を手にすることはありませんでした」
「そんな大鎌を持ち出して。先輩に恥ずかしくないのですか!」
死神が狼狽えているのが見て取れる。
漆黒のフードの中から、微かに光が見えた。
あれ……死神さん、涙ぐんでないか?
僧侶の叱責は、続く。
「男の子が泣くんじゃない!前任者に憧れているというなら、さっさと掛かってきなさい!」
意を決したのか、フードの中からズズっと何かを啜る音が聞こえた。
死神が大きく、息を吐く。意を決したようだ。
「行くぞ人間、否、女神の使途よ……精っ!」
「応……っ!」
掛け声と共に、死闘が始まった。
――――――
「……すごかったよ僧侶。特に、最後のローリングソバットは見事だった」
「えへへ、ありがとうございます。でも、少し手こずっちゃいました」
見慣れた笑顔で、彼女は俺を見つめてくれている。
愛おしい笑顔と共にあるのは自信、誇り、達成感。
そうか、蘇生後に見えるそれらは、この死闘を乗り越えたが故のものであったのだ。
彼女は、人知れずこの何もない世界で神と称される存在と戦ってきた。
神との戦いに勝ち抜いてきたのだ。その達成感は計り知れぬものであろう。
普段見ることのできなかった彼女の姿は、実に新鮮で光り輝いたものであった。
ああ、どうやら俺は彼女に惚れ直してしまったようだ。
彼女は美しいだけではなく、強く、逞しい。
今目の前にある彼女を、他の誰にも見せてやりたくない。
まるで宝物のように、俺の心に閉まっておきたい。そんな衝動に駆られてしまう。
「さて、邪魔者も居なくなりましたし、そろそろ戻りましょうか」
ふと、俺の宝物の向こうに横たわった死神の姿が見えた。
「彼……あそこで伸びてる死神は大丈夫なのか?」
「ええ、手加減しましたし大丈夫でしょう。それに腐っても神ですしね」
「彼の前任者は、戦線離脱したと言っていたが……」
「ああ、前任者は強い人でしたから。私も、手加減をする余裕がなくて、やりすぎちゃったみたいです」
「そ、そうか」
僧侶の言葉に、疑問がよぎる。
彼女は、これまでも死神と戦い続けてきた。それは何故か。
死してしまった俺を、死神に連れて行かせないため。
そう、つまり俺は幾度となくここに来ているはずなのだ。
だが、俺にはその記憶がなかった。
彼女が最も美しくあれるこの生と死の狭間。ここでの彼女と死神たちとの戦いの記憶が。
「俺は、何故覚えていないんだ……」
「死を深く理解する者、つまり神職に就くもののみがここでの自由を得るのです」
「つまり、この記憶もまた俺は失ってしまうのか」
「そのとおりです」
蘇生後に襲われる喪失感は、それが原因か。
俺は、ようやく手に入れた宝物を再び失ってしまうのだ。
「さて、そろそろ現世に戻りましょうか。あちらでは、まだ戦闘が続いていますから気を引き締めてくださいね」
「って、ここでの記憶はなくなるんでした」
嫌だ、なくしたくない。
俺の心が、悲痛の叫びをあげている。
こんなにも美しい君を知ることができたのに。
こんなにも強い貴方を知ったのに。
失いたくない。手放したくない。
愛しているんだ僧侶。
君の、全てを。
やっと見つけたんだ。
君の、姿を。
君は俺の宝物だ。
失うことなんて、許せない。
「では、行きますよ勇者様!」
「 リ ソ シ テ ー シ ョ ン ! 」
俺は目を覚ます。
目の前には、片腕で剣を奮う魔王軍幹部。
戦士が、さっさと手伝えと言わんばかりに視線を飛ばしてくる。
背中にも、僧侶と魔法使いの期待の視線が刺さっている。
さて、片手落ちの魔物ぐらいさっさと片付けてしまおうか。
全身全霊を込めた踏み込み。
神速の剣が、戦士と魔王軍幹部との間を一陣の風となって吹き抜ける。
斬り落とされた魔王軍幹部の首が、地面に転がる。
魔王軍幹部を遂に倒した。
だが、何故か達成感は湧かなかった。
あるのは、いつもの喪失感。
ようやく見つけ出した宝物を失ったような、悲しい気持ちに襲われるだけだった。