第七話 グリフォン強襲
ダンは剣を構え、大地を蹴った。
「ダン=クロスベイン、いざ参る!!」
そのままお互いの距離をつめ、グリフォンがダンを引き裂かんとせんと、前足を振り回す。
しかし、すぐに空を切った。ダンは頭を低く下げ、グリフォンの爪はダンの頭部をかすめ、金色の髪の毛がぱらぱらと地面に落ちる。
体勢の取れていないグリフォンの胸部めがけ、勝機を感じたダンは剣を深く突き刺す。
血しぶきがダンの顔を染めた。
「グォオオオオ!!」
グリフォンは張り裂けんばかりの咆哮をあげる。
ダンは二撃目を加えるため、グリフォンの血に染まる胸元から、剣を引き抜こうとするも、剣が抜けることは決して抜けなかった。
ダンが力を加えすぎたせいか、グリフォンの筋肉が発達していたのか。
どちらにしろ、剣は胸に深く埋まってしまい、びくともしない。
想定外の出来事に、ダンの反応が一瞬遅れた。
その隙をグリフォンは見逃さない。
獣の直感なのか、体勢の取れていない状態から、すぐさま頭部だけを動かし、くちばしでダンの左肩をえぐる。
くちばしの先がダンの肩を貫通し、今度はダンが悲鳴を上げる番だった。
表情は苦悶に変わり、肩から流れ出る血は地面を濡らし、踏みつくされた草花は赤く色づく。
グリフォンが頭を上げると、ダンの体も一緒になって持ち上がった。
必死に足をばたつかせるが徐々に地面から離れていく。グリフォンのくちばしだけが体を支えているのだ。貫かれた右肩に隙間が出来ても可笑しくはなかった。
ダンは激痛で意識が飛びそうになる。
だが、ダンは思った。
ここで、倒れるわけにはいかない。
もしここで意識を失えば、誰が、アンジェ様を守るのか。
「うおおおお!」
痛みをこらえ、ダンは声を張り上げる。
渾身の力をこめて、体を反り、その勢いでグリフォンの胸元に刺さった剣を足で押し込んだ。
剣は柄しか見えないほど、さらに深く食い込む。
グリフォンは痛みから激しく体を揺らした。
同時にダンの体も大きくゆさぶらて、グリフォンが頭を振り上げるとダンは空中に投げ飛ばされた。
放射状に流血が弧を描く。
大きな音を立て、奥にある一本の木にダンは勢いよく激突した。
「ガハ!!」
木は一度、激しく揺れ、枯葉が大量に地面に落ちていく。
その衝撃から、ダンが激突した木はまだらのように不自然な形に変わってしまった。
ダンは立ち上がろうと、足に力をいれるが全く動く気配はない。
意識は朦朧とし、まぶたは今にも閉じてしまいそうだった。
そこにようやく数名の兵士たちが到着する。
兵士達はアンジェに駆け寄り、倒れていた彼女の肩を支えた。
「逃げましょうアンジェ様!」
「でもダン様が!」
「今はご自愛を!」
アンジェを支える者を除き、他の兵士たちはダンを救出するためグリフォンに向かった。
応戦するため、グリフォンを剣で突き刺すもの、弓で矢を放つもの。
皆は様々にグリフォンに攻撃を加えた。
だが、グリフォンの体中は矢や剣でさされ、血が流れ出ているというのに、それでもなお死ぬ気配すらなかった。さらに凶暴さを増したようにも見えた。
勢いづいたグリフォンは、そのまま並行線上にいる、アンジェに向かって突進を開始した。
アンジェをかばうため数人の兵士たちが前に出るも、その効果は低かった。
ほとんどのものが、グリフォンの突撃で吹き飛ばされ、なかには踏み潰される者もおり、おびただしい血とうめき声の地獄絵図が広がっていた。
ついにアンジェの目の前までグリフォンが迫った。
アンジェを支えていた兵士が立ちふさがるも、グリフォンの鋭利な爪で引き裂かれ、体は剥きかけの柘榴のようになっていた。
彼は音もなく崩れ落ち、アンジェは声にならない悲鳴をあげる。
グリフォンはもう目と鼻の先だった。
テラス周辺にいた第二陣の兵士たちが、アンジェを救出しようと走り出すが、すでに間に合わないことは、誰しもが理解していた。
グリフォンはアンジェの近くまで近寄ると、おもむろにその爪で切り裂いた。
「キャア!」
アンジェはグリフォンの爪をなんとか防ごうと両手を前に出すも、その鍵爪は無常にもアンジェの右腕を抉った。時間稼ぎにもならなかった。
傷は動脈まで届いているかもしれない、そう思わせるほどの血しぶきと、深い傷だった。
ドレスは血の赤に染まる。
周囲の者たちに比べれば、まだ軽傷であったのは類になのは、幸いだった。
グリフォンの自身も流血しており、弱っていた。だが、人一人を殺すのには十分に余力があるだろう。
つふけて、アンジェに襲い掛かろうと、グリフォンはアンジェの体に覆いかぶさり、そのつめを立てる。
つめを立てられたアンジェの腹部に、ゆっくりと血がにじみでた。
(ああ、私はここで死んでしまうんだ)
アンジェを死の恐怖が支配した。
もう数秒後には、自分をかばってくれた兵士のように、体を引き裂かれ死んでしまうだろう。
グリフォンの重みが、迫り来る死を実感させた。
(こんなことなら好きな人に告白すればよかったのに…そうだ自分はあの時、彼を一目見た時、好きになってしまっていたのに――)
アンジェは死の間際、シオンへの思いを自覚した。彼女は自分の本心に気付き、もし、次があればと心のそこから願った。
だが、体は血に染まり、指一本動けそうにない。
そして、グリフォンは、アンジェに食いつこうと自身のくちばしを大きく開く。
グリフォンのくちばしがゆっくり彼女の首に触れた。
――その時、一本の矢が放たれた。
風が空を切り、一筋の閃光が森を駆け抜ける。
弓はグリフォンを正確に捕らえ、正確に目を打ち抜いた。
一撃は音速のように早く、矢の射る音は、グリフォンに命中してから聞こえるほどだった。
「ガァ!!」
グリフォンは痛みから、すぐさまアンジェの首を離し、矢が放たれた方を振り向いた。
その先には。
一頭の馬に乗るシオンとリコエッタがいた。
リコエッタが手綱を掴み馬を操縦する。
シオンは背に乗り、その手には弓をつがえていた。
限界まで弓はしなり、ミシミシと音を立てた。シオンが指を離すと同時に、弓は大きく前後にぶれた。
再び空気が震える。
まるで、自分の意思があるように、空気はうねっていた。
投擲はもう一度閃光となり、グリフォンを襲う。
今度は頭部に矢が命中すると、パァンと、なにかがはじけた音がした。
たった一撃。
その一撃でグリフォンの頭は容易に吹き飛んだのだ。
グリフォンの頭部だったものは地面に数回転がり、体はバタンとアンジェの横に倒れる。
あたりに静寂が訪れる。
兵士たちも貴族も、その場に居た皆があっけに取られ、この異常な事態に固唾をのんだ。
何が起きたのか、未だに理解するには時間を要した。だが、ただひとつ分かるのは、このシオンが赤子の手をひねるようにグリフォンを殺したことだけだった。
「ご無事ですか、姫!」
最初に声をあげたのはシオンだった。
馬から降りて、すぐにアンジェの傍にかけよる。
「わ、私は大丈夫です、ダン様があちらに!」
アンジェの負傷は酷いものだったが、それでもなお懸命に声を振り絞る。
ダンの安否を気遣い、彼がさきほど、ふき飛ばされた一本の木を指差した。
そのダンはというと、木にもたれかかり、下には血溜まりが出来ている。かろうじて意識はあるが、血を失い、顔は青ざめていた。
「ご無事かダン殿」
「…手を抜いていたのか」
シオンは慌てて駆け寄りも、その手を振り払われた。弱弱しかったダンだが、その眼は充血し、シオンへの怒りをたたえていた。
「な、なにを」
「とぼけるな、鹿狩りのことだ!情けでもかけたか!」
シオンが鹿狩りで手を抜いて、自分に華を持たせようとしていたことが、ダンは我慢ならなかったからだ。もちろんそれはダンの勘違いだったが、それを釈明する状況でもなかった。
ダンは、貴族らしいプライドが高い男だったが、そのプライドは貴族という生まれながらのものからではなく、人一倍努力している自負からきていた。
騎士団に所属する父のようにありたい、ダンはこれまでそれを胸に、剣術や馬術を誰よりも努力した。雨の日も、風の日も、ただ一人剣道場で剣を振るってきた。
父は望んで竜の討伐隊に志願したと聞いた時、ダンは嬉しかった。
最後こそ生きて帰ることはなかったが、ダンにはそんな父が自慢だった。
……それをこんなどこぞもしれない男に。
しかもアンジェさえ、自分ではなく彼に惚れている。
ダンのプライドはずたずただった、今でも意識をなくしていないのは、シオンへの怒りによるものだった。彼と比べて無力な自分が余計腹立たしかった。
どうせ彼がアンジェ様を助けるなら、自分が先ほどまで彼女を救おうとし行動はなんだったのか。
バカらしく、虚しいことにさえ思えた。
「…余計なお世話だ」
声を荒げるダンだったが、緊張の糸が途切れ、すぐに地面に伏す。
弱弱しくまるで、糸の切れたマリオネットのように、力ない。
「ダン殿!!意識をしっかり!」
シオンはダンの体をゆっくりと担ぎ上げ、兵士に指示を出している。
担架を持ったほかの兵士たちも、遅れてダンのそばに駆け寄り、彼をそのまま担架に乗せた。
「姫を助けていただきありがとうございます、シオン殿。あなたがいなければもっと大勢の死人が出ていました」
「…彼らのこと残念です。もう少し早く駆けつけていれば」
兵士たちのなかにいた騎士団長が謝辞を述べる。シオンは死んでいった兵士たちを見て、物憂げな気分だった。それになぜ、このような事態になったのか、不気味だった。
シオンにはグリフォンのあのどう猛さ、凶暴さに、赤く染まった瞳、それらに心当たりがあった。
(…そうだ、あれではまるで)
「お気遣い感謝します、その言葉で彼らも報われるでしょう…しかし、どうしてこんな所にグリフォンが。 やつらは獰猛だが山岳地から出てこないはずですが」
シオンは会話の途中に、吹き飛んだグリフォンの頭をつかみ、まぶたをこじ開ける。
「シ、シオン殿、何を」
戦場なれしている兵士長でさえ、突然のシオンの奇怪な行動に驚きを隠せなかった。
「…原因がわかるかもしれません」
グリフォンの眼は充血し、白目がない。
シオンは次にくちばしをこじ開ける。
血の混じった唾液が糸を引き、犬歯には赤黒い血が付着している。
そして、ツンとする血と腐った生肉のにおいが充満し、急いで騎士団長は鼻を抑える。
普段、仕事で夜盗や魔物を狩り、こういった匂いにもある程度慣れているが、それでもそんな人物でさえ思わず、鼻をふさぐほどの悪臭だった。
「う!ひどい匂いだ」
「…こいつは竜の死肉を食らったようです」
「竜の死肉…?血を飲んだものは竜に呪われるという、あの?」
「ええ、私が竜を倒した時…首以外の亡骸は全て燃やしたと思っていたのですが…」
兵士長の方を振りみき、シオンは頭を下げた。
「…この事態は私のせいだ」
「い、いえシオン殿だけの責任では…」
一方、リコエッタは、遅れてアンジェのもとに駆けつけた。
ダンに比べれば軽傷のはずなのだが、血が辺りに飛び散り、嫌な鉄のにおいが充満していた。
それでも、かまわずリコエッタはアンジェに手を貸して、何とか立ち上がる。
リコエッタの汚れ一つついてないドレスは、血の色で真っ赤になっていた。
「お姉さま!意識をしっかり」
「ごめんなさい、立ちくらみが…」
「間近であんなものを見てしまってはそれもしょうがないでしょう…それに怪我も酷い。とにかくここを離れましょう」
担架をかつぎ、遅れて走ってきた兵士もアンジェを気遣う。
アンジェは続いて、シオンを励まそうと声をかけようとする。
それ以上、かすれて声がでない。
全身の力が抜け、急に意識が遠のいていくのを感じた。緊張の糸が切れたのだろうか。視界がぼやけ、周囲の音が段々と小さくなる。
リコエッタたちの声が聞こえる。自分に声をかけているようだが、何なのか聞き取れない。
(シオン様…)
心の中で、彼の名を呼ぶ。
そしてアンジェのまぶたは落ち、意識が暗転した。