第一話 庭園に集う三人
ここ、ラングランド王国でも竜の被害に王たちは頭を悩ませていた。
竜たちは普段、人の住まぬ北の地に生息するのだが、今年の夏は異常なほど寒かったせいか避寒地のつもりか、一匹の竜がラングランド領地近郊の火山に巣を作った。
一帯の畑は燃やされ、近場の家畜や動物は竜の餌食となった。
討伐隊を結成するも帰ってくるものはほとんどいない。
いたとしても、次第におかしくなり、皆死んでいった。
数ヶ月後、住民たちの怒りは竜ではなく、それを討伐できない国に矛先を変えつつあった。
討伐隊の編成により税は増え、だというのに異常気象のせいで、農作物の収穫は例年の6割ほどだった。
悩んだ末、王は竜を倒したものに国で最も美しい姫を娶らせ、加えて報奨金を与えると布告をだす。
貴族と民衆はこれに大いに賛同する。
王には二人の美しい娘がいたためだ。
姉のアンジェ姫と、その妹のリコエッタ姫。
特に姉のアンジェ姫は美しく、国一番の才女でもあった。
彼女は子供の頃から、父の仕事を手伝い、父が国を離れなければならない時は、彼女を補佐する貴族たちの支援もあったが、政治を任せられるほどだった。またその美貌は異国の地にも届き、求婚に来る者が後を絶たなかった程だ。しかし、早くに妃を失った王は、妻の面影のあるアンジェを嫁がせることを拒み、未だに手元に置いていた。
一方の妹のリコエッタはというと、美しい娘ではあったが、姉に比べ美しさも、その知性も数段劣っていた。王自身には自覚はないが、姉のアンジェを贔屓目で見ていたことは誰の目にも明らかだった。
だから、誰もがこの美しいアンジェ姫との婚約や富や名声を目的に、武器を取り、竜が住まう火山に向かっていった。それでも被害がつのるばかりで、一向に竜が討伐される気配はないはずだった。
だが、今年の秋頃。
ラングランド王国を悩ませていた竜はあっけなく倒されることになる。
辺境を守る男爵の令息が竜を殺したのだ。
名はシオンといった。
弓の名手である彼は、その手で竜を射ち殺したらしい。
らしいというのは、彼が貴族達が催すアーチェリーの大会に一度も参加することはなく、ほとんどのものが彼の実力を知らないせいだ。彼の噂が誠であることを知っているのは自治領の親戚たちだけで、領地に住まう民衆でさえ、それが事実かどうか訝しかんだ。
何十年か前の戦争が終結してから人間同士の争いはなく、彼の弓の技術が人を殺すために用いられることはなかったせいもある。
この竜の討伐劇で、彼の一族が初めて人々の注目を集めたといっても過言ではない。
竜討伐の噂が囁かれる中、王のある命令が下った。
竜を倒した証拠として、シオンが竜の頭を王都に持参することとなったのだ。
竜の首を王都に運ぶ道中、これもまた噂なのだが、道中に現れた魔物を彼はほぼ一人で殺したらしい。
この噂で、貴族たちは色めき立ち、また呪いについての不安もあったが、動いていないものを脅威に思いはしなかった。
好奇心が勝り、民衆達は彼と竜の首の王都移送を楽しみにしていた。
だが、一部の貴族にはそれを快く思わないものが多かった。
その原因は、やはりアンジェ姫にあった。
◇
――ラングランド王国、庭園。
王の娘、アンジェ=ラングランドの提案で、わざわざ流行の隣国式の設計を取り入れた最新の王国庭園だった。概ね友好国からの評判もよく、季節の花々が咲き誇り、甘い香りが漂う。
その庭園で、うららかな正午のこの時間に、十数人の上位貴族の令息令嬢がテーブルを囲み、お茶会を開いている。
話の中心は、今日城に訪れる勇者シオンのものだった。
「彼の婚約者は貴方の妹のリコエッタになるらしいわよ、良かったわねアンジェ」
金糸色の髪をした令嬢が、ティーカップの取手をつまみ、テーブルの反対側に座る人物に告げた。
「彼って…あの勇者のこと?どうして?」
辺りに咲くセージをぼうっと眺めていた女性、アンジェはすぐさま聞き返す。なぜなら勇者の話は彼女の関心事項の一つだったからだ。
アンジェは竜を殺した報酬として、噂の彼の婚約者となる手はずだった。
城下町では、竜を倒した者に国一番の美しい姫との婚礼を認めるという立て札が掲げられていた。その絵にはアンジェが絵描かれ、皆彼女を手に入れるために戦いに出向いた。
まるでパーティの景品の様な扱われ方に、立て札を取りやめてほしいとアンジェは王に頼んだが、それが実行された気配は、竜が倒されるまでついぞなかった。
「あなたって人気者だから、婚約させるのが口惜しい人がたくさん居るのよ。自分が結婚できるわけでもないのにね」
先程からアンジェに話しかける令嬢、スターチスは、楽しそうに会話を続ける。
「――そう…でも、勇者とは私が結婚することになると思うわ」
その回答はスターチスの興味を引いたのか、彼女のツリ目をさらに細めさせた。
「ふぅん、理由を尋ねてもいい?その勇者様に恋でもしたのかしら?」
「まさか」
(本当に悪趣味な女、私の恋話なんて興味もないくせに)
アンジェは微笑を浮かべ、内心一人ごちる。
だが、それをスターチスに伝える気はさらさらなかった。
そんなことをすれば、彼女の反感を買って機嫌を損ねかねない。
彼女は上位貴族のグループの中心人物で、おしゃべり人を引き付ける何かがあった。だが、周りの人間を蹴落とすような真似を平然と行う女でもあった。いままで、それで何人かの善良な令嬢が泣かされていた。悪い連中と付き合っているという噂すらある。
それに、もちろん立場としては姫である自分のほうがずっと上だ。だがあとで周りの人間にあることないこと吹聴して回られたら厄介なことになる。
加えて彼女を味方にしておくことで、得られるメリットもある。
彼女は公爵令嬢であり、親も早くに病でなくしている。現在、彼女の親が残した領地を治めていたのは実質的にはこのスターチスであり、中々に経営は順調らしい。ノウハウのない令息令嬢と一緒に居るよりも、彼女がもたらす情報はアンジェにとって有益だった。
さらに彼女を追い出したりして余計な火傷を負う必要がないことは、腹に一物抱える貴族達と常に接していたアンジェはよく理解していた。
少なくとも、彼女を今敵に回すのは得策ではない。
だから、スターチスとも仲よく接する。表面上は。
「やめないか、悪趣味だぞ」
これまで二人と同じ席にすわり、ただ静観していた金髪の男が会話を遮るように割って入る。
彼は金髪碧眼で、その相貌は大変美しいものだった。
アンジェの取り巻き達は男女皆美形だが、その男は一際整った顔立ちをしている。誰が見てもアンジェと彼はお似合いの二人だった。
「気にならないのダン?だって貴方、アンジェのこと…」
「お、おい」
「スターチス、今のは何かしら?」
「もうこの話はやめないか」
「そう…」
アンジェの問いかけに、ダンはすぐさま言葉を窮し、しかめ面をした。
かと思うと、チラチラとアンジェの顔色を伺う。
だが、彼のそのわざとらしい様子に、アンジェは一切気付く様子も見せず、俯いてなにやら考えごとを始めたのだった。
「竜を倒した勇者…ね」
アンジェの関心ごとはすぐさま、勇者のことに戻っていた。
今日の集まり自体勇者の話題集めや情報収集の類を兼ねているのだが、ダンが肩を落とすには今の反応で十分だった。
ダンは、アンジェがなぜ自分の好意に気付かないのか、いつも鬱蒼とした感情を内心抱えている。そしてその鬱蒼とした感情は、今日も積もっていくようだった。
これは、一流の貴族しか集まれないお茶会。
アンジェ、スターチス、ダン。
その三人を中心に、他の貴族達も彼らを囲い、噂話に花を咲かせていた。
だが、三人の関係は、まるで幾重にも積み上げられたブロックのように、いつバランスを崩してもおかしくない、いびつなものだった。