第十一話 悪魔のささやき
その夜、ロイスは森の奥に向かっていた。
姉や商人と待ち合わせる迎賓館に向かうためだ。
ロイスは辺りを気にしながら歩き、数歩進めば、後ろを向くような落ち着かない挙動をしている。
その少し後ろをアンジェが後をつけていた。
アンジェはロイスに気付かれぬよう用心し、忍び歩きで進んでいた。途中、枯れ木や前日の雨で湿った葉で服が汚れるが、かまうものかと、とアンジェは考えていた。以前のアンジェなら少しの服の汚れも気にして洗濯に出すほどだったが、もう今では、気にもとめていなかった。
ロイスが向かったのは、迎賓館の玄関だった。 アンジェは心底ホッとする。
ダンの死体は、迎賓館ではなく、死体を隠した森の奥深くに行くはずだからだ。
ダンが手紙のことを知っていたから、彼女がダンにわざと手紙を見せたものかとも思って追ってみたが、どうやら違うらしかった。
ロイスが迎賓館の前にいると、後からスターチスと商人がやってきた。
辺りを見渡し、周囲を気にしていた。
アンジェは、三人を確認して、大きな木の後ろに身を隠す。 アンジェの頭に疑問が浮かんだ。なぜ、ロイスと迎賓館にいるのか。
以前からアンジェはスターチスを警戒していたが、まさかこの場所にいるとは思わなかった。そもそも彼女は、本来であればほかの貴族たちと同様に自分の領地に戻ったはずなのに。次々と沸く疑問の答えを知るため、アンジェはさらに、身を乗り出し、話し声に耳を傾けた。
「誰にも、見られてはいないわよね」
スターチスの質問に対し、ロイスはこくんと頷く。
「あの女の体調がよくなるなんて、今日だけお姿がお見えになられたということはないでしょうね?」
スターチスは苛立った様子だった。
そしてアンジェには、彼女の言う、『あの女』が自分ことだとすぐに分かった。これまでろくなことを考えない貴族たちと過ごしてきた経験則からか、アンジェには点と点がつながるような感覚を覚えた。
「い、いえ。そのようなことはありえません。あの薬は効果は薄いですが、3週間も飲ませれば、立ち上がれるということはないはずです」
商人は大柄な体にあわないような小さなハンカチで、自分の顔に浮き出た汗を拭いていた。
アンジェはその話を聞いて声を上げそうな自分を抑える。
(ロイスが私に毒をもっていた!?いえ、それよりも……毒が効いていない)
アンジェは、自分の腕を見る。 グリフォンにやられた傷が疼くのを感じた。確かに、あのダンとのことを皮切りに、体調がよくなっているのは、自分でも不思議だった。
「アンジェ様はそういった体質なのでしょうか……」
「ロイス、あなたのせいよ、最初に毒を盛るのをリコエッタから変えてほしいと言うから、こんなややこしいことになったのよ、計画通り彼女に毒をもっていれば」
「申し訳ありません、お姉さま」
スターチスはイライラして、ロイスを咎める。ロイスはじっと耐え、唇をかみ締めた。
「まぁまぁ、それでしたら、今回は特別なものをお持ちしました。竜の血です。先日勇者シオンが竜の首を持ってきた時に、同行した兵士から買い取ったものです。この血を飲んだものは暴れ狂い最後には死んでしまいます、すでに何人かに試しています」
「ほぉ」
「先日のグリフォンの騒ぎもあります、竜の呪いだと流布すれば、誰も毒をもられたとは思いますまい。そういった噂を探すくらいあなたなら造作もないでしょうスターチス様」
スターチスは薬を受け取り、邪悪な笑みを浮かべる。竜の呪い…アンジェがその言葉を聞いた時、もしかして、グリフォンから竜の血の呪いを浴びたかもしれないという考えが頭をよぎった。あれから鏡で確認したら、瞳孔に赤みを帯びてきている。
だが、いまだ自分は冷静だ。狂うこともなければ、死んでもいない。
本当にあの時、竜の血の呪いを受けたなら、半日も持たず死んでしまうはずだった。この症状は何なのか。自分の体の異変がおぞましいものに思えた。
「そう……それはそうと、薬が効かなかったのに、そのままの値段で売るつもりはないでしょうね」
「……もちろんですともスターチス様」
「あまり長居するのもよくありません、お姉さま。誰かに見られでもしたら」
周囲をみるロイスを見て、アンジェは見つからないよう、慌てて頭を屈める。
「それもそうね。私は失礼するわ。ロイス、今度こそいい報告を期待しているわ」
「それでは私も、外に馬車を止めていますので」
三人がコクンとうなずく。皆迎賓館から別々の方向にわかれた。
◇
商人は一人、せわしない足取りで森の小道を歩いていた。
今この場にいるのを誰かに見られたら、言い訳が出来ない。
そのうえ、竜の遺体を燃やしに行った兵たちが城に帰還し、警備が増えてしまったから、誰かに見つかる可能性だって高くなっていた。一刻も早く森から出たい。そう、焦っていた。
――その時、商人の目の前の藪がかさかさと揺れた。
商人は驚いて、硬直するなか、ひょっこりと体が出すものがいた。
それはアンジェだった。
「こんばんは、商人さん。今日はいい夜ね」
「あ、アンジェ様!?」
軽い調子のアンジェの挨拶とは逆に、商人はすっとんきょうな声をあげた。
へなへなと倒れ、地面に腰を付ける。
「ふふ、どうしたの?そんな驚いた顔して」
「い、いえ……」
「まるで、私を殺す薬を売って、その現場を見られたような顔ね」
芝居がかったアンジェ言葉に、商人は青くなり、全てを悟った。
一連のやり取りを彼女は見ていたのだと。
国で才女と呼ばれる彼女のこと、あんな台詞を言ったのだ。現場を見られていないわけがない。商人は、早くなった自分の鼓動がはっきりと聞こえた。
「私はあの女に無理やり薬を売らされていたんです。どうかどうか、ご慈悲を!!」
そして、即座に商人は頭を床にこすり付ける。挙句にうずくまり、震え始めた。
だが、震えながらも、手はかばんの中にある護身用の短剣を探していた。
「ふふ、おやめなさい、あなたは商人でしょう。人をその手で殺そうとするなんて。私は別にあなたを咎めているわけではないのですよ」
商人の震えていた手が止まる。彼は頭をあげた。
「私はね、あなたとお友達になりにきたの商人さん」
「――え」
商人は口をぽかんと開けた。彼女が何を言っているのか、よく理解ができない。
「あなた本当についてるわ。ちょうど、ほしかったのよ。あなたみたいな薬を扱うお友達が」
商人は少しずつ状況把握する。動機は静まり、心臓の音も平静に戻りつつあった。彼女の言ったことに思いを巡らせ、 彼女の言葉を吟味している。
そしてある結論に至った。
「つまり、スターチス様を裏切れということですか…」
「察しがよくて助かるわね」
「それは――」
アンジェは商人の言葉を遮った。
「あなた一介の商人で終わるつもり?彼女に協力していたのはお金がほしいからでしょう?私ならあの女以上に稼がせてあげるわよ。お友達になって色々協力してくれたら、ね」
アンジェはウインクしてすらすらと、商人の心境を言い当てた。確かに、金はほしい。スターチオには恩義は感じていない。
自分にとって彼女とのやりとりは商売の一環でしかないのだ。別に裏切ってもなんら問題はなかった。
それに、彼女と一緒にいたほうが、スターチスなんかといるより面白いことが起きそうだ。そんな確信が商人にはあった。
商人はごくりと唾を飲み込んだ。
「……」
「それともあんなマヌケな女に忠義心でも示すつもり?私がさっきの現場を見ていたことにも気付かなかったのに……でも私は優しいから、あなたに決めさせてあげるわ、どっちについたら良いかをね」
商人は茫然としているが、口元は、酷くゆがんだ。
「あなたが、選ぶのよ」
それは悪魔の囁きだった。




