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第九話 曲がりくねった、いびつな運命



 迎賓館の外ではひどい夕立が降っていたにもかかわらず、そばの森は不気味な静けさに包まれている。

 迎賓館の一室に、明かりがついていた。


 森からでも、明かりがわかる部屋はその一室のみで、そこでダンは療養していた。


「おお、目を覚ましましたかダン様」


 声をかけたのは、ダンの付き人の老年の騎士だった。

 目を覚ましたダンは、ゆっくりとベッドから起き上がる。

 ダンは自分がどれだけ寝ていたのか気になり、頭を押さえつつ騎士に質問した。


「爺や、私はどれくらい眠っていた」


 ダンはこめかみを抑える。

 意識の覚醒とともに、緩慢な頭痛が始まった。

 体はだるく、動かなかったせいか、節々が痛みだした。


「もう3週間も寝ていたのですよ、急いでお母上のクロスベイン婦人にも報告しなくては」


 ダンはゆっくりとした動作で、窓のガラスに反射する自分を見た。

 グリフォンとの死闘で出来た右肩の傷は何とかふさがってはいるものの、体は痩せこけ。目も血走っている。本当に酷い有様だ、ダンは自然と苦笑いがでる。


「……そうだアンジェ様は、アンジェ様はあの後どうなった!」


 ハッとして、ダンはあたりを見回した。


 意識は覚醒し、グリフォンが襲い掛かってきた時のことを思い出した。

 そしてアンジェの安否がどうしても気になった。

 アンジェ様は無事なのだろうか?前後の記憶が、あやふやでどうにも思い出せなかった。


「は、はい、アンジェ様はシオン殿に助けられましたが、体調を崩し、今寝室で療養中です」

「シオン、シオンだと……クソ!」


 ダンの心の奥で熱いものが滾る。

 シオンの名前を聞いたとき、自分でもどうしようもない怒りがこみ上げてくる。目の赤みが増したような気がした。


「ダン様、急に動かれては、お体に触りますよ」


 ダンはベッドから身を乗り出した。

 どうしてもアンジェにシオンとの関係を聞かずにはいられなかった。


「うるさい!!」


 ダンは叫んだ。抗議のつもりで、ベッドの端を叩いた程度だったが、力を入れすぎたのかシーツの繊維が部屋中に充満した。

 その異様な様子は、老人の騎士を一歩あとずらせるには十分だった。


「す、すまない…アンジェ様の様子を見に行く」

 部屋には気まずい沈黙が流れた。

 ダンは自分の行動が信じられなかった。

 情けなくなって、そそくさと着替え逃げるように寝室を出た。



「キャ!」


 だが、すぐに間の悪いことに気付いた。

 廊下に出て、ダンは内心舌打ちをする。


 ダンは扉の近くでロイスと鉢合わせになり、ぶつかってしまったのだ。ロイスは尻餅をつき、慌てて立ち上がり何度も平謝りを繰り広げた。


「ダン様。も、申し訳ありません!!お怪我はありませんか。えっと、ご体調はよくなったのですか?」


 しどろもどろのロイスに、ダンは一瞬怒鳴りそうになる自分を抑えた。


「大丈夫だ、私も急いでいて気がつかなかった」

「申し訳ございませんでした。し、失礼します」


 そう言って、ロイスは早々と廊下を去っていく。ダンは気を取り直し、アンジェの部屋に向かおうとした。


 だが、あるものが落ちていることに気付き足を止めた。


 手紙だった。


 それはアンジェがロイスに渡したもので、ロイスが尻餅をついたときに、ポケットから落としてしまったのだ。 


 ダンはおもむろに拾い上げ、すぐに誰からの手紙か検討を付けた、アンジェの手紙だと。

 アンジェの字を何度か見ていたダンは、すぐにそうだとわかった。


 すぐさま手紙の封を引き裂き、開封する。


 そこには綺麗な字で、文面にシオンへの告白めいた内容が書かれている、とダンは感じた。

 実際はそうではないのだが、頭に血が上ったダンがそう判断するには十分すぎるほど、甘い、恋人に囁くような言葉が随所にちりばめられていた。


 その手紙を見た時、ダンの中の何かが崩れ落ちた。一線を越えたような感覚が体を駆け巡る。


 アンジェに出会ったら、自分は何をするのか、もうわからない。

 手紙を握りつぶし、ダンはアンジェの元に早歩きで向かった。





 アンジェの寝室のドアは、けたたましい音を出して開かれた。ベットで寝ていたアンジェは、体を起こし、驚きの表情を浮かべる。


「ダン様!?」

「来い、アンジェ!」

 ダンは強引に寝巻き姿のアンジェの手を掴み、部屋を出ていった。


 ダンが向かったのは、三週間前グリフォンが暴れた森のそばだ。

 テラスから外に出た二人は、寝巻姿のまま、ここに来た。


 夕立は強くなり、大雨となっている。寝巻はすでに、着替えるには十分すぎるほど雨が濡らしていた。ダンはアンジェの手をつかみ、森の奥へと向かう。


「どうしたのですかダン様?お離しください」

「いいから来い!」


 会話のなか、ダンはアンジェよりも、シオンのことを思い浮かべていた。

 あの男、あの男だ。自分からなにもかも奪ったあの男。


(どうしてあんなやつが。どうして、どうして彼女はあんな男に恋をしたのか)


 自分のほうがずっと長く彼女のそばにいたのに。

 そう思うと、アンジェをつかむ力がさらに強くなった。


「痛いです、ダン様。離してください。今ならまだ、誰にもこのことは言いませんから。ゴホゴホ」

 急に歩きだしたものだからアンジェの怪我した足が今になって痛みだし、前のめりに転んでしまった。寝室用の服はぬかるんだ土のせいで、もう泥だらけになっていた。


「立て!!」


 だが、ダンはアンジェの様子など構わずに声を荒げ、冷徹な命令くだした。

 ダンは倒れた彼女の手を強引に引き上げ、体を近くの大木に押さえつけた。


「何をするのですか、ダン様!」

「あの手紙はなんだ!答えろアンジェ!!」

「手紙…あ、あれは」


 アンジェはダンが何を言っているのかすぐさま理解した。

 経緯はどうあれダンは自分の手紙を目にしたのだろう。


 だが、疑問もあった。


 あの手紙と何が関係して、彼がこれほどまでに怒っているのか皆目見当がつかなかったからだ。

 結論から言うとアンジェは恋だとか、友情といった純粋な好意に疎かった。


 アンジェはこれまで貴族達の陰謀の中を生き、父や妹を守るため孤独に戦ってきた。貴族は常に腹に一物抱える人物ばかりで、自分に近づく人間には何か意図があるものと思っていた。


 だから、ダンの好意には気付いていたが、本当に自分を好きだとはつゆとも思わなかった。なにか、名誉とか、地位とか、スターチスのように、何か目的があって自分に近づいていると勘違いしていた。


「何故、私ではないんだ!私のほうが優れているのに!」


 アンジェが言い淀むと、ダンはおもむろにアンジェの寝巻を破いた。あたりに上半身の一部として身に着けていた布切れがボロボロになって飛び散った。


「おやめなさい!!誰か、衛兵を!!」


 ようやくアンジェは自分が危機的状況にいることを認識した。アンジェはこれまでダンを信用していたし、何かあれば彼に守ってもらっていた。少なくともこんなことをする人間だとは、これっぽちも思わなかった。


「無駄だ、この雨だぞ!誰も来やしない」


 ダンはさらに声を張り上げ、アンジェを押さえつける力を強めた。

「見損なったわ、何故こんなことを?親友だと思っていたのに!」

「何故だと!?親友だと!?ふざけるな。気のあるようなそぶりをしてたくせに、あいつが来たらそっけなくなって!」

「助けて、シ、シオン様。ぐ…」


 シオンの名前が出たことに反応して、ダンはアンジェの口を押さえた。

 ダンはアンジェを土の上に押し倒す。

「そんなにあの男がいいのか!」


 そのままに馬乗りになったダンを、払いのけようとアンジェは力を込める。


「力で男にかなうわけないだろう」


 ダンは無情にその言葉に告げ、アンジェのほほを強く叩いた。

 バシンと強い、音が一瞬響いたかと思うと、すぐ雨にかき消された。男女の力の差もあるだろうが、どこにそれだけの力があるのか、不思議なほどダンに力がこもっていた。


 アンジェの頬は赤く腫れ、美しい目元に涙が伝う。


 息遣いの荒いダン。

 静寂に包まれる森。

 ダンの息遣いと雨の音だけが、アンジェには聞こえた。



















 そこに、急に音がした。




 突如として、ダンの首にナイフが突き刺さる。

 アンジェはポケットに入れていたペーパナイフで、ダンの首筋を刺したのだ。

 そのナイフはシオンへの手紙を裂く時に使ったもので、ポケットに入れてあったのを出し忘れてそのままにしていあ。


「あ、が……」


 ダンの首筋から血が溢れる。

 血は地面にたまる泥水と混ざり、まだら模様の奇妙なグラデーションを作っていた。

 横に倒れたダンは、地面を這いつくばった。


 アンジェは体をゆっくり起こし、今度は彼を見下ろす番だった。


「……」

「た、助け…」

「………」

「アン…ジェ」


 ダンはアンジェに救いを求めるように、手を差し出すも、強張って空中で制止した。

 アンジェを見て驚愕したからだ。


 彼女は。

 彼女はこの状況で笑っていた。


「…………フフ……ハハ、ごめんなさい、あなたのことを笑っているわけではないの、でも、ウフフ……なんでこんなことで悩んでいたんだろうって、我慢してたんだろうって、そう思うとね、フフフ」


 ダンはきびすを返し、反対側の城のほうに向かって這い蹲る。だが、首からの出血が地面に跡を作った。もう、先はながくない。誰が見てもそう思った。


「……そういえばダン様、こんな私のことを好きになってくれてありがとう、あなたみたいな立派な人に好かれて本当に嬉しい。それに知らなかったわ、あなたが私のこと好きなんて」

「………」

「でも、ごめんなさい」

「………」


「あなた趣味じゃないのよ」


 アンジェはダンに向かってそう告げた。

 数メートル先のダンは、すでに息絶えていた。

 ダンの形相は恐怖から驚愕し、笑うアンジェとは正反対にいびつに歪んでいた。


「貴方には感謝しているのよ。おかげで吹っ切れたから…」

 優しい声でダンにそう告げて、彼の死体を一つ蹴飛ばした。

 雨に打たれ、アンジェは泣きながら笑う。

 アンジェの瞳は赤く染まり、体調が悪かったのがまるで嘘のように体が軽くなった。


 そして不思議と心は穏やかだった。

 アンジェは雨で体にこびりついた血を洗い流し、目を閉じる。


 アンジェはシオンのことを想っていた。

 まぶたの裏には彼の顔が浮かんだ。

 彼の笑顔が、彼の声が、彼の存在が。彼を思い浮かべるだけで、凍てついた心は雪解けしたように温かくなった。


 もしも、あれが手に入るのなら――


 今まで、アンジェはずっと我慢して生きてきた、家族のため、国のため、貴族としての矜持のため。

 だが、それがなんだというのだ。

 これまで、そんなくだらないもののために生きてきたが、結果はどうだったのだろうか。ちょっと自分が怪我をし、シオンがリコエッタを選んだ途端、皆が自分から離れていった。


 偽物の人生、偽物の友人、偽物の生活。


 今までの人生はそういって謙遜のない、くだらない人生だった。


 だが、ひとつだけ本物を見つけた。

 


(待っててね、シオン。あなたにこの国をあげるわ。そして私が、私こそが――)



 雨は激しさを増し、やがて雷雨となった。

 森のどこかに雷が落ちる。雷鳴が城中に轟いた。





 それはまるでこの国の行く末を暗示するような、不吉なものだった。







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