八十九作目
昨日の練習から一夜明け――俺は約束通り準備室へと来ていた。そして今は二人に挟まれた状態で持ってきたペットボトルを煽っている。
「でさ、でさ。俺だって辛いんだよ。みんなと実力が離れすぎてるし演奏にも参加できないし。たまに思うんだよ、俺が辞めても困る人はいないんじゃないかって」
『ええ。気持ちはよくわかります。ですが、あなたが辞めたら私たちが困ります。それに演奏に参加できなくても出来ることはあります。腐らずに日々精進していけばきっと実は結びます』
「ありがとう……助かるよ」
『それにしてもレイも大変だったんだね。まさか昨日明けていきなり来るとは思わなかったよ』
スーがやや困ったように言ってくる。でもはにかんでいたのでそこまで悪印象ではないはずだ。まあ、実際に彼女の言う通りなのだけど。
「ていうか、いいのか? 愚痴聞いてもらって?」
『ええ。演奏者の心のケアは大事にしないといけませんから。精神状態はパフォーマンスに大きく影響しますからこうして小出しにしてもらった方が助かります』
「なるほど……本当にありがとう。救われるよ」
MCは何だかんだ言って良い奴だ。どことなく女王様気質だが、それに見合うだけの器を持っている。スーも同様だ。茶化すようなことを言っているがそれもこちらを観察している故で、実際は色々目にかけてもらっている。
『まぁ、最近ずっと頑張ってたからね。ご褒美ご褒美』
『ええ。ブレスも徐々に改善されてきましたし、昨日なんかロングトーン。上りだけですがノーミスだったではありませんか。自信を持っていいですよ』
「そ、そうかなぁ……」
何だMCめ。飴と鞭が上手すぎるぜ……おっと。目から汗が……。
『とはいっても過信してはだめですよ。まだ上りだけですし、それでもまだ改善点は山積みです。慢心せず、ただ邁進していきましょう』
「あのさ、ちょっとは余韻に浸らせてくれてもいいんじゃないか?」
『いいえ。あなたは調子に乗りすぎる悪癖があります。乗るのはいいことですが、過ぎたるは及ばざるがごとし。慢心してしまえばそこで成長は止まります。ただただ謙虚に。これこそが上達の秘訣です』
本当にこいつは……凄い。長年の経験からかもしれないけど、上手く俺の手綱をリードしてくれる。完全に尻に敷かれているが……まぁ、いいや。
『まぁさ、MCは厳しいこと言ってるけどなかなかいいと思うよ? だってここまで私達に向き合ってくれたのはレイが初めてだもん』
「それはそうじゃないか? だってお前らの正体を知ってるんだから」
『ハハハ! 違うよ。そういう意味じゃなくて楽器としての私たちにってこと。音楽に対して真摯に向き合えるってのも一つの才能じゃないかな?』
「そうか? 俺としては普通にやってるつもりなんだが……」
『その普通ができない人もいるんだよ。事実今までにそういう人に出会ったこともあるしね』
「え?」
『スー。あなた……』
どこか悲しそうにつぶやくMCにスーは淡い笑みを返しつつ首を振った。いつも快活な彼女にしては珍しく物憂げな様子だ。
『レイは楽器に対して大事にするようにって教わったよね? でもさ……それの意味が分からない人も多かったんだ。楽器を叩いたり、遊び道具として使ったり、外に放置しっぱなしにしていたり……ここにいる楽器たちはみんな少なからず一回はそういう目に合って、その度に泣いてたの』
「そんなことが……」
『当然この姿を見せるわけにもいかないから凄く辛かった。その人たちが卒業するまで。でもね、楽器たちはまだいい方だよ。私たち――チューバスタンドやドラムスティックなんかは特に酷かった』
『スー。もうやめなさい』
『ハハ……ごめん。ちょっと席外すね』
そう言って楽器体に戻る彼女。それを見て俺は彼女をゆっくりと持ち上げ、ぎゅっと抱きしめる。
『レイ。真摯に向き合ってくれているのは私も感謝しています。どうも、ありがとう。私たちを大事にしてくれて』
「いいって。そんな最後の言葉みたいなこと言わなくても。というか、俺だってお前らに出会えて感謝しているんだ。たぶん一人じゃとうに潰れていたし、ここまで頑張れなかった。勝手かもしれないけど、俺はお前らを大事な友達だと思ってる。だから、絶対に見捨てたりしないよ」
『そう言ってもらえて嬉しいです。……が、すっかり話し込んでしまいましたね。朝練はこれで終わりましょうか。ほとんど吹いていないですけど』
クスッと笑う彼女に笑みを返しつつ、抱きしめている手に込める力を強める。おそらく涙を流しているであろうスーを安心させるために、慰めるために、しっかりと……支えるために。




