八十七話目
『ほら、もっと力を抜いて。曲練も基礎練も同じですよ』
『もっと曲のイメージをしっかり持ちなさい。観艦式なのですよ? そんな腰の入っていない音だと聞いている人は変に思います』
『いいですか? この曲は行進曲です。確かに全体で見れば単調で何一つトリッキーなところはありませんが、だからこそキチンとやらなければいけません。その細かい部分にこそ実力が見え隠れするのですよ』
――とまあ、朝練はこんな感じでしごかれた。はっきり言おう。昨日スパルタと言っていたがあれは間違いだった。今日の練習に比べればまるで保育園のお遊戯だ。いや、でもわかりやすいのは確かだ。でも、怖い。
ちなみに今俺が何をしているかというと楽譜の読み込みだ。これまではマウスピース練習を空き時間にしていたが、MCたちによると今必要なのは曲のイメージ作りだそうだ。曲練をするには音階が読めることももちろんだが、曲想を掴んでおくとさらにわかりやすくなるらしい。さすが楽器の付喪神。教本に載っていないコツのようなことも教えてくれる。
「……? いつになく真剣だね、レイ」
「ん? ああ、トラか」
「どうしたの? 本当目の色が違うけど」
「まぁな。だって観艦式出れなくなったら嫌だから」
「……え? 何それどういうこと?」
きょとんと言った様子で首を傾げるトラ。どうやらこいつはその件に関わっていなかったらしい。まさか、俺やらかしたか?
「観艦式に出れないって? 一体どういうこと?」
「いや、まだ未定なんだって。もし俺の技術が向上しなかったらって話。だからそこまで大事にしないでくれ。頼む」
一応周囲を見てみたが今ここにトラ以外はいない。下手に情報が捻じ曲げられて拡散されるということはなさそうだが……。
「……わかった。絶対にばらさないようにするよ」
「ありがとう。助かるよ」
「でもさ……それだれが言い出したのかな? 先輩たちの中にそんなこと言う人はいないと思うよ? 話したらわかるけどみんなレイと吹きたがっているもん」
「それを言ったら小林先生だって」
「じゃあ誰が……」
確かに言われてみればその通りだ。こんなことを提案する人がいるとは到底思えない。とすればOBやOGか、それとも観艦式の主催者か、とにかく吹奏楽部に関わりがあってそれなりに権力がある人だろう。
「全く……ひどい話だよね。音楽は誰でもやる権利があるっていうのに」
珍しくイラついているトラは唇を尖らしながら腕組みをする。だが、俺は対照的にどこかほっとしていた。小林先生や先輩たちが実は俺を思っていたということもわかったし、それだけで十分嬉しい。
そういえば……先生は「掛け合ってみる」と言っていた。先輩たちに言われたなら「掛け合う」で済むはずだろう。ということはつまり、少なくとも小林先生よりも立場が上な人が言ったということだ。その決定を覆すのは大変だろうが、今の俺には仲間がいる。相棒がいる。家族がいる。きっと、大丈夫なはずだ。




