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八十話目

「さて……と」

 昨日からすでに一夜明け俺は朝一で学校に来ていた。というのも昨日した約束を果たすためである。無論理由はそれだけではないが。

「よぅ。来たぜ」

 相棒のもとに歩み寄りケースから慎重に取り出してまずは状態の確認。見たところ異常はないし、演奏に支障はなさそうだ。

「よし、それじゃやるか」

 椅子に座ってチューバを横に寝かせ、クリーニングクロス――楽器専用のタオルのようなもの――で丁寧に体を拭いていく。この時もポリッシュ――人間でいうところのボディソープ――を使う。普段は軽く拭くだけだが昨日ああいった手前そうせざるを得なかった。

 チューバというものは金管楽器なので指紋が付きやすくわかりやすい。客観的にみるとそれは意外に不快なものだ。当然こいつだって嫌だろう。そう言ったところは特に重点的に磨いていく。綺麗になっていくこいつを見ているとなんだか俺の心まで綺麗になっていくようだ。

「……ふう、次はオイルか」

 今度はスタンドの上に立たせピストンを分解して中にオイルを少量流し込む。お次は取り出したピストンにも少しだけ塗りたくり再び装着。ねじまき式になっている部分をクルクルと回してキチンとしまったのを確認してから押していき馴染ませていく。すると最初はガチガチだったものが滑らかになっていった。この瞬間が実は一番好きだったりする。

「後は……あ、グリスか」

 管を一本ずつ取り出していき、女性が使う口紅のような形のグリスと呼ばれる潤滑材を塗る。こうすることで管の出し入れがしやすくなり日々のメンテナンス時の時間短縮につながるのだ。いや、勿論それだけのためにするわけではない。

 まだ俺はできないが、演奏中に管の長さを調節してピッチを調節する人もいるらしい。そのためにはこれは必須事項だ。

 ――と、そうこうしているうちに全ての管のメンテナンスが終わり気づけば楽器は万全以上の状態になっていた。表面は新品同然とまではいかないもののかなり磨きあがっており、ピストンや管の動きも良好。

「どうだ? 気に入ってくれたか?」

 だが、それに対する返答はなし。

「……ま、当然か」

 一人小さく呟いて楽器を抱えて窓際に運ぶ。太陽の光を浴びて輝くこいつはいつもう以上に眩しかった。思わず目が潰れたかと思うほどに。

「にしても……今日はいい天気だな」

 昨日天気が曇っていたということもあってか今日は好天だった。遠くで日向ぼっこしている牛の姿が見える……田舎だなぁ。

「ていうか……ちょっと疲れたわ」

 そうしてカッコつけて背を窓に預けた時だ。俺の視点が急に反転したのは。

「……は?」

 見えるのはいつもと正反対の世界。人が上にあって空が下にある。

 急いで手を伸ばして窓枠を掴もうとするもそもそも突起がないせいか掴むことすらできはしない。足で踏ん張ろうにも――上半身を半分下に投げ出したようなこの体勢では無理があった。

「嘘……」

 徐々に傾いていく世界を見ながら呟いた時――

『危ない!』

 聞き覚えのない……だがどこか懐かしい声色の主が俺の体を抱きとめた。


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