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六十六話目

 時刻は午前六時――今日はいつもより早起きして部活に来たのだ。さすがにこの時間だから誰も人は……

「待ちな。樫井」

 いた。白衣を纏った石田先生が四階の踊り場で仁王立ちをしてこちらを待ち構えている。

「昨日あれほど言っただろう。部活にはしばらく顔を出すなと」

「それに賛同した覚えはありません」

「言うじゃないか。だが、これは命令だよ。やめな」

「嫌です。それには従いたくありません」

 当然だが向こうも引かない。鋭い眼光でこちらを睨みつけている。

「言っちゃ悪いけどね。あんたがいなくても部活は回るんだよ。奏者が必要なら、最悪この島にいるOBやOGに招集をかければいい。そこまで思い詰めているなら……」

「違うんです」

 言葉を遮られ眉をひそめる先生……だが、構うものか。俺の今の気持ちを全て伝えよう。

「俺は楽器が吹きたいんです。誰かのためじゃなくて自分のために」

「ほう……」

「やっと見つけたんです。また夢中になれるものを。それこそ俺の人生をかけてもいいぐらいの」

「……」

「確かに重圧につぶされそうになっていたのも、それを押し返すために無茶をしていたのも、目的がすり替わってしまっていたのもわかっています。でも、少し冷静になって気付いたんです。俺はやっぱりチューバが好きだって。吹奏楽も、この部活も好きなんだって。だからお願いです。そこをどいてください」

 だが彼女は微動だにしない。こちらをじっと見つめている。

「お願いします……俺はこんなところで立ち止まっていられないんです。もっと前に! 先に! 進みたいんです!」

 言った。ありのままを、心の内を全て、包み隠さず。

「……はぁ。わかったよ」

 気だるげに彼女は頭を掻き、

「あんたが大馬鹿だってね」

 そんなことを言い放った。こちらの動揺にも気を留めず、さらに口を開く。

「あんたは馬鹿でまだまだ青い子供だよ。視野も狭いし、言っていることもわがままの延長だ」

「俺は……」

「だけど、気持ちは伝わった。いいよ、行きな。私は保険医だが、馬鹿につける薬はあいにく持ち合わせていないんだ。どうせ言っても聞かないだろう?」

 口角を上げ、ニッと笑いかけてきた。かと思うと、今度は壁に寄りかかり、

「忠告しておくけど無茶はするんじゃないよ。今度こういったことがあったら問答無用で辞めさせるからね」

 口は悪いが、こちらを思いやってくれているのは最初からわかっていた……けど、まさかこういう結果になるとは。つい目頭が熱くなってしまう。

「いいことを教えてやる。確かに演奏面ではOBやOGを呼べばあんたの代わりはいる。でもね、『吹奏楽部の樫井』はあんた以外にいないんだよ。その体はあんただけのものじゃない。部活全体のものだ。覚えておきな」

「……先生。ありがとうございます」

「礼はいいからさっさと行きな……ったくこんなに早く来たのは初めてだよ。三文の徳にもほどがあるだろうに」

 ぶつくさと言いながらも去っていく先生。やはりいい人だ。今度暇なときに保健室にでも行こう。正式にお礼が言いたい。

「……っとこうしちゃいられないな」

 準備室へ焦らず、ゆっくりと、着実に――踏みしめながら進んでいく。そして準備室の前にたどり着き、そのドアに手をかけた。

「……ふぅ」

 ドアを開くとそこには――変わらず俺を待ってくれていた相棒の姿。つい口元が緩む。

「ただいま……よろしく」

 嗚呼……やはり俺はチューバが好きだ。胸が熱くなり、血が騒ぎ、心が唸りを上げる。

 まずは一歩ずつ、一歩ずつこいつと歩んでいこう。そうすればきっと――何かがわかるはずだから。


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