六話目
「おい、トラ。釣り行こうぜ?」
「アポなしかい。まぁ良いけどさ」
俺が持っているのはクーラーボックスと釣竿一式。それを見てトラはため息をつきながら玄関に立てかけていた自分の竿をひったくる。
「で? どこに行くん?」
「とりあえず波止場かなと。あそこならそれなりに釣れるでしょ?」
「オッケ。母ちゃん行ってくっけ~ん!」
訛り丸出しで叫んでいる……まあ俺も人のことは言えないが。
「じゃあ行くか?」
「うい」
その言葉に頷いてからトラは自分の自転車を取りに行く。俺もそれを視界の端に収めながら乗ってきた自転車にさっとまたがる。
「いいか? じゃあ行くぞ」
「あ、ごめんちょっと待っちょって」
断りを入れてから家に戻るトラ。しばし待っていると手に何かアタッシュケースのようなものを抱えてきた。
「いいのか?」
「うん、よかよ。早よ行こうや」
頷き返し自転車のペダルをぐっと踏み込む。しばし余韻を残しながらもスピードをグングン増して波止場に向かっていく。ちらと後ろを見るとあっちは自転車の前に置いたケースを庇っているのかいまいちスピードを出していない。
だが、今は魚が最も釣れる時間帯だ。のろのろしていてはこのチャンスを逃してしまう。先に行くということをジェスチャーで伝え波止場にまっすぐ向かっていく。
十分もすると波止場が見えてきた。幸いにも今日は海も荒れていないようで穏やかな波が立っている。そして釣り人もそこまでいない。俺たちはもう中学を卒業したからいいけど平日はそこまで釣りをする人はいないのだ。
ゆったりとしたスロープを下り、適当なところで自転車を止める。そして手早くクーラーボックスを地面に置き、魚を生きたまま保存するためのバケツをその中から取り出した。
バケツに水を入れようと階段から海面まで降りようとしたところでようやくトラが来たのが視界に映った。まだ釣りもしていないのに汗をびっしょり掻いている。
「水、汲んどくぞ」
頷きを確認しバケツに水を浸してから自転車を止めた場所に戻る。そしてそこで釣竿を素早く組み立てていく。
「今日の獲物は?」
「あらかぶ。あいつらなら何もつけなくても釣れるやろ」
「違いないね」
ふっと笑ってからトラも自分の釣竿を組み立てていく。先に組みはじめていた俺の方が当然のごとく完成したので先に波止場に腰を下ろして釣竿を垂らす。
するとそれを追ってトラも俺の隣に腰掛ける。しばし談笑しながら俺たちは魚が釣れるのを待った。
「なぁ……全く釣れないんだが」
「だね。場所帰る?」
「いや、それはいいや。もう少し待ってみようぜ」
あれから一時間ほどたっただろう。だというのにまったくと言っていいほどかからない。さっき一回強い当たりが来たが針ごと持っていかれてしまった。ちなみにやられたのは俺なのだが、今はもらったスペアを付け直している。
「ふっふっふ……」
「どうしたよ、トラ? 頭でも打ったか?」
「違うよ! 秘密兵器を持ってきたんだよ!」
「それは……お前の隣に置いてあるケースのことか?」
意味ありげに頷きを返された。そしてそのまま勢いでケースが開かれるとそこには――
「それ……トランペットか?」
「そう。俺のペット」
「ペット? トランペットの略か?」
「そうだよ。レイも吹部はいるならある程度は知っといたほうがいいよ」
「じゃあ、教えてくれるか?」
もちろん、と言った様子で微笑むトラ。そしてどこかふんぞり返ったような調子で口を開く。
「トランペットはペット。トロンボーンはボーン。ユーフォニウムはユーフォ」
「ちょ……待ってくれ。何が何だか……」
ユーフォって何だ!? UFO!?
「ああ、ごめん。まあ、これは入ってから話すよ。そのほうが実物を見せながらできるしね」
「そうしてくれ……で、話を戻すが何でそれが秘密兵器なんだ?」
「音を奏でてれば魚も来るでしょ?」
「来ねえよ!」
水中の魚が最も恐れるのは何か? それは振動と音だ。残念ながらトランペットはその両方の条件を満たしてしまう。
「まあまあ。騙されたと思ってさ」
「……一回だけだぞ?」
「了解」
それだけ言って立ち上がってトランペットを構える。いつもはニコニコして人懐っこい印象を受けるこいつの顔が妙に引き締まっていて俺まで緊張してしまう。そして大きく息を吸いトランペットに息を吹き込んだ。そこから聞こえてくるのは――
「お前の好きなアイドルの曲じゃねえか!」
しかもとびきりアップテンポで激しい奴ときている。曲名はあいまいだがこの際それはどうでもいい。問題はあまりに激しい曲でおまけに本人もノッているのか足でテンポをとっていることだ。
「おい、トラ。やめ――」
だがそこで俺はぐっと自分の言葉を飲み込んだ。あまりにも演奏している顔が楽しそうだったからだ。まるで自分の音を聞いて楽しむことでさらにパフォーマンスを上げているように見える。
しかもトラは楽譜も何も見ていない。だというのにこの演奏だ。相当練習してきたのだろう。それだけの練度がうかがえた。
時間にしてわずか四分弱。だがまるで一時間のライブ演奏を聞いたような感覚に襲われてしまう。
「どうだった?」
「いや……よかった。すげぇカッコよかった」
「ありがと。レイも練習すればこれぐらいできるよ」
またこいつは他人事だと思って……でも俺も確かにこのレベルまで昇ってみたい。きっと楽しくて楽しくて仕方がないだろう。
「ま、俺だけの力じゃないけどね。この子の力もあるし」
「そういえば……海に持ってきてよかったのか? 潮風に当たったらまずいだろ?」
「まあそれはこの子も承知の上だよ。しぶしぶ了承してくれたしね」
「というより無理やり押し切ったんだろ?」
「そうとも言う」
演奏していた時の凛々しい顔はどこへやら、トラはにへらっとだらしのない笑みを浮かべてくる。嘆息し、
「てか……魚は? うっすら見えてた魚影も消えてるぞ」
「……ごめん。でも、騙されたと思ってたわけだししょうがないよね?」
開き直りやがった! こいつ……俺の夕飯がかかってるんだぞ?
結局俺たちはそこから場所を変えるも二人合わせて二匹しか釣れなかった。幸いにも譲ってもらったので夕飯は確保できたが。




