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二十八話目

「じゃ、俺はそろそろみんなのところに行くよ。合奏の準備もあるしね」

「はい。ありがとうございました」

 音楽室の方に行こう――としたところでこちらを向き、

「そうだ。案外チューバとレイは相性がいいかもしれないよ?」

「本当ですか?」

「うん。体格的にはまだまだだけど、その音質とは合っている気がする。チューバの音がどう呼ばれているか、知ってる?」

「すいません……勉強不足で……」

「地の底から湧き上がる怒りの音。まさしくつらい出来事を経験したレイにぴったりじゃないか」

 それだけ言って去っていった。改めて俺は手元にある巨大な楽器へと目を移す。

 確かにそのような印象は俺も受けた。腹の底に響くような重低音。その言い回しはもっともだと思った。

「さて……じゃあ、やりますか」

 演奏に必要なものを再びベランダに出し、準備を整えた。椅子の向きを調節してから、そっと座り音を奏でていく。

 ……違うな。

 音は出ている……が、何かが違う。先生の言ったような音ではなく何というか……表面上の演奏という感じだった。中身がない竹輪のような音である。

 怒り……か。

 頭に思い描くのは数年前のあの出来事……ふつふつと怒りが沸いてきた。が、それをすぐ爆発させることはしない。落ち着いて楽器に口づけし、まずは呼吸を整える。

 ……地の底から湧き上がる怒りの音……怒り……!

 一気に爆発させた……が、音はてんでダメだ。がむしゃらに吹いているだけで、本質的には何も変わっていない。

「よし……今度は……」

 怒りをやや抑えて吹くも、今度は逆に勢いがなさ過ぎて腰の引けた音になってしまった。楽器と自分の間で齟齬ができてしまっている。

「齟齬……? 待てよ……」

 脳裏に浮かぶのは先輩たちの演奏……確か先輩たちは……

「そうか……分かった」

 楽器と一体になっていた。まるで自分が楽器であるように、もしくはその逆であるように吹いていたのを覚えている。

「頼むぜ……」

 目の前の金色の相棒に声をかけ、その体を優しく撫でる。信頼関係がまだできたとは思っていない……ただ、今だけでもいい。俺に力を貸してほしい。

 改めて大きく息を吸い、深呼吸。気持ちを落ち着けてから楽器に口をつけた。

 しかし、すぐに吹くことはしない。自分と楽器の呼吸が完全に同調するのをじっと待つ。

 まだ……まだだ……。

 自分の心臓の音だけが聞こえる。すでに始まっていた合奏の音ももう耳に入っていない……おそらくゾーンとやらに入っているのだろう。

 しばらくそれを繰り返していくうちに、徐々に掴めてきた。楽器の鼓動が聞こえてきているかのような感覚に、驚きを隠せない。

 そしてほんの一瞬。ほんの一瞬意識が完全に同調したのを見逃さず――

「――!」

 吹き鳴らした。直後辺りに響いたのは、まさしく大地の咆哮とでも呼ぶべきもの。木々を揺らし、大気を震わせて山彦のように返ってきた。周囲の鳥たちも恐れおののいて飛び立っていったが、何より俺が驚いた。まるで――本当に楽器が俺に力を貸してくれたかのようだった。吹き方もまだ拙い俺を上手くサポートしてくれたような……でなければあんな音なんて出るはずもない。

「まぁ……いいや。ありがとな……」

 だがここで困ったことができた。この子の名前を俺は知らないのである……しょうがない。僭越ながら――名をつけさせてもらおう。

「MC……」

 直感的にこの名前が頭に浮かんだ。音楽を意味するミュージックのイニシャルと、分岐点を意味するクライシスのイニシャルをとった。まさしくその境遇を体現しているだろう。間違いなくこの――MCこそが俺の……音楽の……分岐点となったのだから。


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