二話目
目の前のチューバという楽器――これは正直戦艦の大砲みたいだ。全体的に無骨で、どこか物々しい。しかも、相当年代が立っているのかところどころボロボロでへこんでいるし少し錆びている。
「まぁ、やってみてよ。結構楽しいからさ」
楽観的に告げる先輩。というかあまりに他人事すぎませんこと?
「じゃあ、まず椅子に座ってね」
「え?」
「そんな大きいの持って吹くと疲れちゃうでしょ? だからこうやって座って吹くんだ」
なるほど……確かに立って吹くのは一苦労しそうだ。促されるまま先輩が差し出してきた椅子にそっと座る。
「そう。それから背筋を伸ばして……うん、いい感じ」
背中をぐっと押される感覚。まるで頭を引っ張られているかのように俺の背筋が自然と伸びる。
「それで楽器を構えるの。このスタンドに置いてね」
「これスタンドっていうんですか?」
目の前の小さい物体を指さしながら告げる。見た感じをそのまま告げれば三脚のロボットみたいだ。頭の部分がソファのような材質で胴体と足は金属でできている。
「そうそう。チューバは重いからね。ここに置いた方が吹きやすいんだよ……まあプロでは使わない人もいるけどね」
「でも、一応使った方が吹きやすいんですよね?」
「そうだね。最初はそうしておいて慣れたら後で変えればいいよ」
「わかりました」
横に置いてあるチューバに手を伸ばし持ち上げようとしたところで――
「重っ!?」
「ああ、十キロ以上あるからね」
できればそれは早く聞きたかった。腕が持っていかれるかと思ったじゃないか……。
改めて深呼吸しそっと持ち上台の上に置く。すると驚くほど安定してくれた。
「じゃあ、それで吹いてみようか。はい、これ」
「これは?」
「マウスピース。というか、本当に何も知らないんだねぇ……」
「す、すいません」
「いや、責めてるんじゃなくてさ。ただそうなんだなぁって」
「は……はぁ……」
ため息をつきつつ、先輩の差し出してきたマウスピースとやらを受け取る。なんというか……理科で使う漏斗みたいな形をしている。丸くてカップのようになっている部分と細く伸びた筒の部分……どっちで吹くんだ? とりあえず……ラッパみたいだから細い方かな?
「残念、そうじゃないよ」
と、そこで制止がかかる。先輩は少しうれしそうに、
「予想通り引っかかったね。そっちじゃなくてカップの方を口に当てるんだよ」
「そ……そうなんですか」
言われたとおりに口に装着。意外なほどそれは俺の口にフィットしていた。
「それで吹くんだ。やってみ?」
言われたとおりに息を吹き込む。だが、俺の予想に反してそこから聞こえるのはすか~というやや情けない音。
「ただ息を吹き込むだけじゃないんだ。唇を震わせるんだよ」
そう言って唇をぶるぶると振動させる先輩。とりあえず見よう見まねで唇を震わせカップに着けると――
べ~~~~~~~~~~~~~~~。
鳴った。確かに鳴った。想像していた音とはだいぶ違うが音は出た。
「いいね。なかなか最初からできる子はいないんだよ?」
「そうなんですか?」
「そう。人にも向き不向きがあるからね。それができない人もいるんだ」
「へぇ……次はどうするんですか?」
「やる気。起きてきたみたいね」
その言葉に思わず赤面してしまう。少し褒められて舞い上がってしまっているのが自分でもよくわかる。
「いいことだけどね。それじゃ、次はマウスピースをチューバに装着して」
そう言って先輩が指差してきたのはチューバの側面についている細い管。確かにそこにさせそうだ。そっとそこにはめ込み、きゅっと捻って落ちないように固定する。
「あとはさっきと一緒。唇を震わせれば音が鳴るよ」
そっと唇をマウスピースに着ける。そして大きく息を吸って唇を震わせると――
ぼぉ~~~~~~~~~~~~~~~~~!
「うわっ!?」
まるで船の汽笛のような音が響いた。予想外の音量と音質に思わず体をチューバから放してしまう。ちらと横を見ると先輩は腰に手を当てて大笑いしていた。
「いや、ごめんね? 最初からそこまで大きな音が出せるってすごいよ。後その反応もすごいけどね」
眼尻に浮かんだ涙を拭いながらそう言われた……あまり説得力がない。
「いや、冗談じゃなくて本当に。最初はあまり出ないんだよ、音。特にチューバは大きいからそれだけ息吹きこまないといけないしね」
そんな楽器なのか……意外に大変そうだけど……
「あの、この楽器って空きがあるんですよね?」
「やりたい?」
「はい! やりたいです!」
吹いた瞬間わかった。これは運命だ。だって音が鳴った瞬間まるで雷に打たれたみたいに体が震えたもの――まぁ、チューバの振動のせいかもしれないけどさ。
「じゃあ、決まりだね。改めて――」
ガラッとドアが開けられる。その向こうには――凛々しい顔をして演奏している部員たち。そして彼らを手で示しながら――
「ようこそ、吹奏楽部へ!」
先輩はまるで舞台女優の様に告げた。
……まだ吹いた時の余韻が残っている。ゆっくりとその感覚を味わうように深呼吸。そう――やっと始まるのだ。俺の吹奏楽部……いや、チューバ奏者としての人生が。




