百六十六話目
「さて……っと。それじゃ、ちょっと行ってくるわ」
最後に労いの言葉をかけてから立ち上がり、軽く屈伸運動。凝り固まった体がほぐれいていくのが、たまらなく心地よかった。
「レイ! 早く行こうよ!」
「おう。今行くよ」
待ってくれているトラの元に小走りで移動。他の部員たちはそうそうに準備を終わらせて散り散りになっている。桶田先輩のように音楽隊の人のもとに行っている者もいれば、蛇塚先輩のように出店の料理を楽しんでいる者の姿も見えた。
「で、俺たちはどうするんだ?」
「う~ん……どうしよっか?」
「これって何時に解散だっけ?」
「三時だけど?」
「なら、まだ時間あるな。先に音楽隊の人のところ行ってみようぜ」
「オッケー。えっと……あ、あそこか」
数メートルほど離れた場所に備え付けられたテントのところで桶田先輩がそれらしき人たちと話し込んでいる。そこには燐の姿も見えた。
「じゃ、行こうぜ」
「おう」
徐々に距離が近づくにつれ、話し声が聞こえてくる。桶田先輩と燐はかなり熱心に聞いているようで、話している人たちも楽しそうだった。単に女子高生と話せるのが嬉しいのかもしれないが。
「あ! 二人とも!」
こちらに気づいたのか、先輩は嬉しそうに破顔して手を振ってきた。俺たちもそれに返すように笑みを作り、足を加速させていく。すると、一番近くにいたガタイのいい青年が立ち上がり、
「君たち! 金管やってた子たちだよね!?」
「あ……はい」
「だよね! 僕もやってるんだよ! いやぁ……嬉しいなあ!」
何だか雰囲気がトラに似ている。快活で、人のよさそうな人だ。
「あ、急にごめんね。僕は田辺誠っていうんだ。担当楽器はユーフォニアムだけど、金管ならほとんど吹ける……っと言ってもおまけみたいなものだけどね」
どうやら近くに他の金管の人がいたらしい。ついでに様に付け加えて、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。
「君たち、名前は?」
「小坂虎之助です。担当楽器はトランペット」
「か、樫井麗一です。担当楽器はチューバです」
「そうか……二人はどれぐらいやってるの?」
「俺は中学の時から」
「本当に!? でも、それにしては上手いね……もしかして、自前の楽器を持ってるとか?」
「はい、そうです」
田辺さんは感心したように何度も頷いたかと思うと、じっとトラの顔を覗き込み、
「君……いいね。たぶん、指導者次第では化けるかも」
「ほ、本当ですか!?」
「やったじゃん、トラ!」
それを聞いて小躍りし始めるトラと桶田先輩。なんだかんだ言って息が合っている。
「で、君は?」
「高校からです」
「ほぉ……そうか……」
意味深な顔で何度も頷く田辺さん。これはもしかして……好感触では?
「にしてはあまり上手くないね」
訂正。人生そう上手くいくわけがなかった。
「いや、気を悪くしないでね? 嘘を言っても君のためにならないから」
「……いえ、大丈夫です。できれば、もっと詳しく」
「うん。まず、音が安定していない。たぶん、意識が一個に集中しすぎてるんじゃないかな? もっと広い視野を持たなきゃね。それから、強弱。これも推測だけど、樫井くんはテンションの上下が激しいタイプじゃない? そういう人に多いんだけど、演奏中にそれがそのまま音に反映されて、一人だけ浮くことがあるんだ。気を付けて。後は……そう。自信を持って演奏するのは大事だけど、樫井くんの場合はそれが慢心になってる。自分の努力や技量を過大評価してるんだね。これは覚えてもらいたいんだけど、謙虚であることが上達の近道だよ。いいね?」
「……はい! ご指導ありがとうございました!」
正直……すごく精神的にキた。だが、これも上達のためには避けて通れないことだ。間違ったことは言われていないし、自分の弱さとはいずれ向き合わなければならない。ある意味、ここで聞けて良かった。
しかし、他の部員たちはそうではないらしい。田辺さんにある種の軽蔑と嫌悪を込めた視線をよこしている。それだけみんなが俺のことを大事に思ってくれているのは嬉しいが、まぁ、俺は大して気にしていないからそんな顔はしないでもらいたい。見てるこっちが冷や冷やする。
「あ、それともう一つ」
「何ですか?」
「君、才能ないね」
それを聞いた瞬間、トラと桶田先輩が目尻をキッと吊り上げ、彼の方に歩み寄ろうとする。燐はなんとか宥めようとしているものの、二人は完全に頭に血が上っているのかその制止を振りほどこうともがいていた。
「けど」
そこで彼は口を開き、
「君が努力してきたっていうことは伝わってきた。音は嘘をつかないからね。僕の耳は腐ってないし、それぐらいわかるさ。君は確かに才能に恵まれていない。それに、自分の努力を過信するきらいもある。でも、君はいいものを持っている。それは、その心だ。どんなに下手でも腐らず、努力してそれを補おうとする不屈の心。これは努力なんかで得られるものじゃない。いわば天性のものだ。才能があっても、精神面が弱い人はすぐ折れる。でも、君は違う。叩かれて、叱られて、怒られて――でも、それを全て糧にできる力が君にはある。でなきゃ、こんなにぼろ糞に言わないよ」
それを聞いて、桶田先輩たちは恥ずかしそうに顔を俯かせる。早とちりした自分を攻めているのかもしれない。
「ま、僕から言うのはこれくらいさ。頑張って、応援してるよ」
「……はい! ありがとうございました!」
「あ! しまった……忘れてた」
そこで田辺さんは何やら自分の服をまさぐり、
「はい、みんなにこれをあげよう」
「これ……名刺ですか?」
「うん。卒業後の進路が決まってなかったら、うちにおいでよ。採用を決めるのは僕じゃないけどね。興味があったら……ね?」
「あ、ありがとうございます!」
何度も何度も頭を下げる桶田先輩。どうしてこんなに喜んでいるのだろうか?
「なぁ、トラ。何で先輩あんなにテンション高いんだ?」
「ああ、音楽隊の人って音大出身が多いんだよね。だから、演奏技術が高い人が多いんだ。高校時代は全国に行った人がほとんどだし、国際コンクールで優秀な成績を残した人も大勢いる。それこそ、プロクラスだってゴロゴロいるんだよね」
「げっ……マジか」
今まで飄々とした態度ばかり見せていたが、実はすごい人だったのか……人は見かけによらないものだ。




