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百六十四話目

『え~……お集まりの皆様。本日はお日柄もよく……』

 間延びした町長の声がスピーカーを通して会場に響き渡る。しかし実際に耳を傾けているのは学校関係者ばかりで、それ以外の人たちはまだ軍艦は来ないのか、と海の方に目をやっていたり、出店で買った食べ物を頬張っていた。

 俺たちもほとんど似たようなものだ。本番を間近に迎え、それぞれ精神統一を行っている。ピリピリとした感じはないが、話しかけることは出来なそうだ。

『え~……それではですね。もう間もなく到着すると思いますので、しばらくお待ちください』

 ようやく終わった。それと同時に先生が壇上に上がり、腕をクイッと上にあげる。事前に決めていた起立の合図だ。それを見るなり、一斉に立ち上がる俺たち。そこでようやく――気づいた。

 会場中の視線が俺たちに向いているということに。期待が、羨望が、懐古が入り混じっている。その中には、同級生や中学の後輩たちの姿も見えた。彼らもこちらに気づいたのか、両手を振ってこたえてくれている。

「落ち着いて。リラックス、リラックス」

 見かねてか、隣にいる千尋が声をかけてくれた。ありがたい……危うくこの雰囲気に呑まれるところだった。大きく息を吐き、気持ちを落ち着けてから着席。

 数拍置いて――聞こえてくる汽笛とひときわ大きな歓声。とうとう、来た。

 見計らったかのように先生が指揮棒を掲げる。俺もすばやく楽器を構え、

「頼むぜ……お前ら」

 二人の体を優しく撫でてからマウスピースに口をつける。

 さぁ……聞かせてやろう、俺たちの演奏を。

「――ッ!」

 指揮棒が振り下ろされ、勇壮な音楽がそれに続く。順調な滑り出しで、しっかりとみんなの土台を作っていき、支える。やがて観客席と海の方から歓声が聞こえてきた。後ろを見ることはできないが、声の聞こえ具合からしてそれなりに近くまできているらしい。

「~~っ」

 チラッと前を見ると、先生の顔が映りこんできた。すると、こちらに気づいたのかニッコリと笑みを作り、

『楽譜を見すぎるな』

 口パクでそう告げてきた。

 確かにミスを恐れて楽譜にかじりついてしまっていた……本来なら先生の指揮を見なければならないのに。だが、ここで知れてよかった。すぐに顔を上げ、注視すると先生は満足そうに微笑み、さらに動きを激しくしていく。

 すると、それに触発されたのか、他の部員たちもそれぞれ動きを激しくしていく。トロンボーンなどは見た目にも派手で、視界の端に先ほどからチラチラと映りこんでくる。当然だが、俺はまだそんなことができるほどの技量を持っていないので、小さく体を揺らすのが精一杯だった。

 やがて曲が終盤に差し掛かり、後方からの歓声が徐々に大きくなっていく。おそらく……あと一分ほどで曲が終わってしまう。

 それがわかっているのか、更に曲は勢いを増していく。後のことは何も考えていない――全力の演奏は先ほどからしていた。だが、今はさらにその上を行くような演奏だ。脳内麻薬でも出ているのだろう……それほどまでに、今のこの状況は最高だった。

 歓声と音色が混じり合い、船のエンジン音がそれに合いの手を加えてくる。不格好で、カッコ悪いアンサンブル。だが、それが心地よい。まさに、会場が一つになっている感覚だ。

 まだ終わってほしくない。この一体感をもっと味わっていたい……が、とうとう曲が最後の数章節に差し掛かった。

 全力を、全開で、全部出し切ってやる。

 そして――最後の一音をピタリと揃え、合奏を終えた。

 先生は優しい笑みを浮かべたかと思うと観客席の方を向き、一礼。俺たちもそれに続いて頭を下げ――上げた。直後、

「――ッ!」

 映りこんできたのは……最高の光景だった。

 観客からは惜しみない拍手と喝采が送られている。それは右を見ても、左を見ても同じ。誰もが俺たちの演奏を湛えてくれていた。中には感動しているのか、涙で目を押さえている人まで見える。

 そうか……これは……快感だ。

 あれほどはっきり見えていた視界が急にぼやけ、歓声が薄れていく。気づけば、俺の頬を涙が伝っていた。

 今まで、散々苦しんできた。力のなさを呪い、自分の努力を疑う時もあった。だが……それもこの日のためだったと思えば、安いものだ。こんなに嬉しくて、心地よくて、温かい気持ちになったのは初めてだ。

 俺たちの演奏で誰かを感動させるというのが、人の心を動かすというのがこれほど楽しくて素晴らしいことだなんて知らなかった。

 嗚呼……もっと上手くなってやろう。人を今よりずっと感動させられるようになろう。そしてまた、この感覚を――みんなと分かち合おう。


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