十五話目
「行ってきます」
風呂に入って頭をリセットしたとはいえまだ俺の心にはさきほどの夢が後を引いていた。せっかくの高校生活二日目だというのに沈んだ気分だ。
だというのに空はまるで俺の心の真逆。快晴で雲一つない青空だ。気持ちよさそうにトンビも輪を描いて飛んでいる。
「いいなぁ……」
たまに鳥になりたいと思うことがある。彼らは俺にとって自由の象徴であるからだ。何物にも縛られることなく風の向くまま、気の向くまま、好きなように生きている。
「……ってダメダメ!」
このままでは中学の二の舞だ。せっかくの高校生活なんだから満喫しなくては。
「おはよう。レイ」
「おう。トラ、おはよう」
後ろから声をかけてきた悪友に声をかけた。校則違反であるはずだが鞄にジャラジャラとアイドルのキーホルダーをつけている。
「どうしたの? 浮かない顔して?」
「まぁな……朝ちょっと嫌な夢見てな」
「ふぅん……どんな?」
「いや。悪いが聞かないでくれ」
そういうと肩をすくめながらも納得してくれた。意外に物わかりの良い奴である。
「もう学校も見えてきたね」
「だな。俺たちもう高校生だぜ? 早すぎだろ」
「もう小学生からしたらジジイだね」
トラの言い分に俺は苦笑する。昔は俺たちが言っていた立場なのに今度は俺たちが言われる立場になってしまった。少し空しい気がする。
「あれ? 何か聞こえない?」
「そうか? 俺には何も……」
耳を澄ましても聞こえてくるのは学生たちの笑い声と小鳥たちのさえずりばかり。車も走っていないのだから田舎というのは物寂しい。
「もっと聞いてよ。ほら……」
「うん……確かに聞こえるような……」
かすかに聞こえてくるのは俺が今まで耳にしたことが無い音色。鳥の歌でも木のさざめきでもない。それよりももっと人工的な――だがどこか温かみのある音だ。学校に近づくほどその音は増していく。
「行ってみる?」
「おう。行こう」
頷きあって互いに小走りで学校へと向かう。やはりその音源は学校――詳しく言うのならば東棟の四階からだ。
「レイ! 早く!」
「待てって!」
校門をダッシュで潜り抜け下駄箱で靴に履き替える。すでにトラは履き終えてこちらを今か今かと待っている。
「行くよ!」
「廊下は走るなって言われただろ!?」
「悪いけど規則と障子は破るものってばあちゃんから教わった!」
あの野郎……入学早々叱られるとか勘弁だぞ?
だが幸運にも先生にも見つかることなく東棟に侵入成功。階段を大股で駆けあがっていく。トラはというと普段は運動がさっぱりできないくせにスイスイと階段を上っていき俺より先に到着した。
「トラ?」
「シッ! 静かに!」
柱の陰から覗き見るトラ。それに続くようにひょいっと体を乗り出した。
「あれは……先輩?」
「うん……顔はここからじゃ見えないけど桶田先輩かな? フルート担当で部長の」
確かに今吹いている楽器には見覚えがある。よくオーケストラなどの特集で見る楽器だ。長い棒のような形状でクリアーな音色を奏でている。
「すごいな……」
「それはね。あの人は中学時代も部長だったしね」
「なるほど……道理で上手いわけだ」
まるで歌っているようだった。楽器を使っているというのに違和感が全くない。フルート自体が彼女の発声器官であるようだ。
「ねえ。そんなとこにいないでおいでよ」
「ひっ!」
トラが逃げようとしたがその服の袖をぐっと掴んで逃がさない。先輩はにこにことしながらこちらに歩いてきているから敵意はないようだ。
「まぁ、こんなとこで立ち話もなんだしさ。こっちに来て聞いてよ」
そう言ってトラの肩をがっしりと掴む。何かトラウマがあるのだろうか? 顔が引きつっている。
「何かリクエストある?」
渡されたのはフルートの楽譜がびっしりと載っている本。ソロの練習用だと説明が付け加えられた。
「じゃあ……これで」
俺がリクエストしたのは某有名ロボット系漢のアニメのオープニング。それを聞いて先輩はニッと口の端に笑みを浮かべた。
「アニメ好きなんだ。いいね」
そう言って大きく息を吸い込む。そして流れるような指使いで曲を奏でていく。
「うわぁ……」
はっきり言ってフルートは弱弱しいイメージがあった。本体も細くてもろそうだし、音も繊細なような気がしていたのだがどうやらそれは誤っていたようだ。
彼女の奏でる旋律は時に激しく時に甘く、とにかくコロコロと表情を変える。まるでいくつかの人間が交代で吹いているような感じだ。
こちらの感動が伝わったのか先輩の音が加速する……といってもテンポが速くなるわけではなく、あくまで音の勢いが倍になった。音に厚みが出たとでも言えばいいのだろうか?
そしてとうとう曲はサビに入った。力強いアップテンポの曲で相当きついはずなのに息一つ乱れていない。なおかつ独自のアレンジが加えられていてこれはこれで聞いていて楽しい。
いつの間にか俺はすっかりその音楽に引きこまれていた。目の前でアニメのキャラが動いているような錯覚さえ覚える。
とうとう曲は佳境に入り――終了した。先輩は満足そうにフルートから口を離す。
「どう? よかった?」
「はい! すごかったです!」
「そう? そう言ってもらえると嬉しいよ」
「俺もそんな演奏ができますか?」
だがそこで先輩は首を傾げ、
「えっと……君はチューバ志望だったよね?」
「はい。そうです」
厳密にいうとそれしか選択肢がなかったのだが。
「チューバが低音楽器なのは知ってる? 最低音でベースを刻むことも」
「はい」
「やっぱりチューバだと難しいよ。これは誰が吹いてもそうだけどね」
やはり……俺には無理なのだろうか……?
「でも」
とそこで先輩は破顔し、
「それは君次第だよ。どれだけ楽器と仲良くなれるか……それに尽きるね!」
この時まだ俺は知らなかった。この言葉が後にどれだけ俺の価値観を揺らがすのかを――。




