百四十三話目
「ふあ~あ……」
学校の授業ほど退屈なものはない。やっていることはほとんど教科書通りだし、そこに何の捻りもない。わかりやすい説明を心掛けているのだろうが、一方通行であることに気付いていないのだろう。おそらく、多くの教師は。
「樫井。もっと集中しろ」
「……はい」
なら、もっと飽きない工夫を凝らした授業をしろとは言えなかった。
「……まぁ、いい。教科書の三十ページを読め」
「はい」
適当に生物の教科書に視線をやり、一切つまることなく言ってやる。予習は万全だ。この程度、楽勝である。すると男性教師はやや悔しそうにしながら頷きを返した。いい気味である。
ふと、視線を窓の外にやるとトンビがクルクルと空を旋回していた。この島には鳥がたくさんいるが、俺が一番好きなのがトンビだ。彼らは他の鳥のごとく力強く羽ばたくのではなく、風に身を委ねるのだ。それが自由を象徴している気がして、何とも羨ましくなってしまう。
「樫井! 話を聞いていなかったのか!」
小さく頷いて視線を前に戻す。正直、こうしている時間こそが、無駄だ。楽器を吹いている方がよっぽど有意義である。それは他のみんなにしても同様であるのか、全員退屈そうにして、内職をやっている者の姿も見えた。
確かに、将来就職して姉さんに恩を返すのは俺の目標だが、はっきり言ってこの授業がそれに直結するとは思えない。言っていることは本当に教科書通りだ。なら、事前に予習をするだけで事足りる。最悪、どうしても理解できないところだけ聞きに行けばいい話だ。
だが、注意を受けた以上あくまで真面目――なフリをしなくてはならない。そっと教科書に視線を戻し、自分で読み進めていく。生物の授業自体はわりと好きである……こんな島という環境だけに生き物は大好きだ。
ちなみに、今前方に立っている教師は厳密に言えば教師ではなくまだ講師である。つまり、教員採用試験に受かっていない。もうすぐ二十代も半ばになるという現実に本人もあせっているのだろう。それが授業に出てしまうのだから、当分厳しいだろうというのが俺たちの総意だ。
「さて、次は教科書の……」
また繰り返されるこのセリフに辟易する。小林先生だったら、教科書はそこまで使わない。別に音楽だからというわけではなく、彼自体が独自のプログラムを作っているのだ。それも、学習指導要領に則ったか形で。だからこそ、ためになるし退屈しない。あれこそが、真の授業だ。
「では、小坂。この問題を解いてみろ」
「え!?」
ここでトラが指名を受けた。黒板には有性生殖と無性生殖と書かれている。
「有性生殖のメリットとデメリットを応えてみろ」
「えっと……あの、その……」
トラはあまり勉強が得意ではない。というよりも、勉強に費やす労力をほかの分野――特に吹奏楽とアイドルの追っかけ――に使っているのだ。そりゃ、こうなるというものである。
あまりに言い淀んでるのを見かねてか、後ろの席の燐がちょいと助言を与え始める。
「……有性生殖のメリットは、多種多様な子孫が残せること。デメリットは……」
「榊原! 口出しをするな! 俺は今小坂に聞いているんだ!」
「……はい、先生」
善意で行っただけなのに怒られるなど、燐も災難だ。しょうがない……。
こちらの視線に気づいたのか、燐が向き直ってくる。すると彼女はこちらの糸に気付いたのか、すぐに頷きを返し、ノートを小さくちぎって何かを書き始めた。さて、今度は俺の番である。わざと大げさな仕草で窓の外を向いた――直後、
「樫井! 何度言ったらわかる!」
「……すいません。蜂がいたもので……一度刺されているものですから」
「何? どこだ?」
仮にも生物を教えている身。アナフィラキシーショックについては知っていたらしい。こう言うと彼は今までのことが全てそれのせいだったと勘違いしたらしく、怪訝そうに窓を眺めはじめた……が、それこそが狙い。
視線を誘導した隙に燐がトラにメモを渡す。ミッションコンプリートという奴だ。
「……おっと。そうだ、小坂。問題を答えてみろ」
「はい! えっと……有性生殖のメリットは多種多様な子孫が残せるので環境に適応した個体が生まれやすいということ。デメリットとしては、必ず相手が必要なので探す手間がかかり、もし片方がいなかった場合には途端に絶滅してしまうこと……です」
「……よし、よろしい。では、次は無性生殖の話を始めよう。教科書の……」
こちらに向かってサムズアップをしてくる二人――彼らもだが、俺も相当なクソだと、思わず苦笑した。おそらく、先生たちからしたら吹奏楽部の一年生は問題児だらけに映っているに違いない……いや、実際にそうなので否定し辛いのがつらいところだ。




