百三十七話目
演奏が滞りなく続く――が、突如として先生の指揮棒がピタリと止まった。
「おっと、もうこんな時間か……そろそろ終わりかな」
「先生」
だが、そこで異論を唱えるものが一人。燐だ。
「できるなら、居残りをしたいんですけど構いませんか?」
「なら、私も」
「俺も」
そうして一年生が次々と手を上げ、無論俺もあげた。するとそれに触発されたのか、それとも最初からその気だったのか先輩たちも乗り気で堂々と手を上げる。それを見た先生は微笑み、
「そうか……よかった。みんなも俺と同じ気持ちだったんだね」
不意に席を立ったかと思うと、スマホを取り出した。
「あ、もしもし小林です。ええ、はい。少しばかり居残り練習をさせたいのですが……ええ、鍵は私の方で管理しておきますので、よろしくお願いします。はい、はい……ありがとうございます。失礼しました」
くるりとこちらに振り返り、
「許可、下りたよ。九時までだから、後三時間は出来るかな。帰り遠い人は言ってね。俺が車で送るから」
「いいんですか?」
「もちろん。やる気があるのにそれを応援してやれないで何が教師だよ」
「いや、そうじゃなくて……大人の事情とか」
そこで先生は表情を曇らせ、下を向きつつ、
「……大丈夫。PTAと学校のお偉いさん方に頭を下げて始末書を山のように書けばいいだけだから……たぶん減給はないと思うけど」
俺たちはそれに苦笑いを返すしかない。それを言わなければカッコよく決まっていたはずなのに、やっぱり締まらない人だ。
「ま、まぁいいさ。ちょっと休憩したらまた始めよう……俺はちょっと下に行ってくるから……ハハハ」
そう言ってすたこらと音楽室を後にした先生。それを見て先輩たちはため息を漏らす。
「あれって……」
「ま、凹んでるよな」
桶田先輩と能代先輩が顔を見合わせて頷きあう。先ほどまでの緊張が嘘かのようにみんなリラックスしていた――ある意味これも演奏を円滑に進ませる要素なのかもしれないと、俺は一人自己完結した。
そしてグッと背伸びをしたところで――音楽室のドアが開かれる音。見れば、先生が両手いっぱいに缶ジュースを持って俺たちに微笑んでいた。
「差し入れ、ほら。疲れたでしょ?」
「ありがとうございます!」
『ありがとうございます!』
桶田先輩に続いて俺たちも礼を言う。先生はそれに軽く手を振ってから、部員たち一人一人に手渡していく。先ほどまでは呆れた表情を浮かべていた先輩たちも笑顔でそれを受け取っている――現金な人たちだ。
――ちなみに、ジュースが全部缶なのはペットボトルよりも安価だからだろう。やはり心のどこかで減給を恐れているのかもしれない……大人って大変だ。




