百三十五話目
ちょうど夕方五時を迎え、田舎特有の島内放送が鳴り響いた直後、先生が神妙な表情で口を開いた。
「……それでは、合奏を始めよう。これが最後だ。全員、死ぬ気で挑め」
『はい!』
その言葉が冗談でないのは先生の目が語っていた。ギラギラと戦意に満ちたその目は、子供が見れば泣き出してしまうのではないかと思うほど鋭く、俺たちですら気おされてしまうほどだ。自然と全員の体が強張る。
そう告げたにもかかわらず、訪れるのはしばらくの静寂。見れば、誰もがそれぞれ精神統一を開始していた。
ぶつぶつと呟く者。祈るように手を組み合わせる者。譜面をまるで親の仇であるかのように凝視する者――方法は様々だが、共通事が一つ。この合奏にすべてをかけていた。
本番は日曜だ――とはいえ、その前日の土曜日は練習の前に準備をする必要がある。ということはつまり、今回の演奏が最後の時間を取って行われる合奏だということだ。それは気合の入り方も変わってくるというものである。
「……ふぅ。頼むぜ? お前ら」
ポンポンと二人の体を優しく叩く。返事はないが、同意してくれているのは何となくわかった。もう慣れたものだ。
「さぁ……行こうか。構え」
「……」
静かな、だが全員の耳に滑り込んでくるようなそんな調子で告げた。それを受けて俺たちも一斉に楽器を構える。ピンッと緊張の糸が張り詰めているような感覚を覚えているのはおそらく俺だけではないだろう。
「――ッ!」
やがてタメを作った後、指揮棒が振り下ろされる。俺はなんとかそれについていくことに成功し、そこから軌道修正を図ろうとした――が、
「やめ。レイ、言ってなかったけど本番は掛け声なしでいくから。気を付けて」
「はい!」
失敗した。ほんのわずかなずれが許せなかったのだろう……何にせよ、俺が合奏を止めてしまったという事実が胸を締め付ける。
「――ッ!」
間髪入れず振り下ろされる指揮棒。今度は完璧に合わせることに成功し、最初から軽快な音を奏でていく。ただ単調になるのではなく、そこにも表情をつけることを念頭に置いて……これも先の練習中偶然習得した技術である。
先生は表情をピクリとも変えない。俺たちは観客に、そして指揮者は演奏者に顔を見せるのだ。当然、少しでも焦りや不安を見せれば瞬く間にそれはこちらに伝播し、やがて観客たちにまで行きわたる。それがわかっているからこそのポーカーフェイスだった。
俺たちも負けじとそれぞれ練習の成果を出し切る。他人を見る余裕はないが、音で分かる。それぞれ昨日までよりも確実に進歩していた。個人練やパート練を重視したおかげだろう。自分の弱点と向き合うことができたのだ。
「……」
強弱をつけ、音に表情をつける。フルートたち高音部隊がそれに装飾を加え、中音と低音が土台を作ってやる。さらにそこにパーカッションのアクセントが加わることによって、徐々に音楽ができていった。
「――ッ!」
先生の頬が、一瞬だけ緩む。まさしく、会心の笑みといった感じだ。
やがて曲は終盤に差し掛かる。この頃になると、集中力や気力が切れ、壊滅的な演奏になることが多いのだが――今日は違う。一切それらを切らすことなく、吹き続けることができていた。
そうしてとうとう――終幕。先生の指揮棒が下ろされ、一瞬の余韻ののち楽器たちも下ろされた。
「――ッよし。やればできるじゃないか」
辛そうに肩で息をしていた生徒たちもそれを聞いて頬を緩める。けれども、先生はそこで終わらずきっと表情を強張らせた。
「トランペット」
『はい!』
「……もう折り合いはついたかい?」
『……はい!』
「そう……よかった」
それだけ言って先生はスコア――全員の楽譜が纏めて書かれた用紙に視線を戻す。その横顔は少しだけ、満足げに見えた。ただ、それも当然だろう。
思えば、トランペットだけに関わらずいろいろ大変なことはあった。始めは楽団としても、音楽としても成り立っていなかったのに、こうして出来上がりつつあるのが嬉しいんだろう。見ているこちらまで泣きそうになってきた。
「……ありがとうな、お前ら」
だからこそ、言ってやるのだ。今日まで、そしてこれからも一緒にやっていくであろう、楽器たちに。感謝と敬意と愛を込めた言葉を――。




