百十七話目
結局その日、俺はトラと口をきけなかった。口咲先輩はだんまりを決め込んでいたし、他の先輩や部員たちに聞ける雰囲気でもなかったから結局うやむやのまま部活を終えることになった。
「……やっぱり、演奏についてかなぁ?」
誰に言うでもなく呟いたその言葉は夜の闇に溶けていく。おそらくこれは彼らの問題だし、俺が何か口出しするべきではない……が、以前トラも先輩も俺を助けてくれた。本音を言えば少しでも手助けがしたい。
「……はぁ」
一番遅く部活を終えたせいですっかり夜は更けてしまい、空には月が高く上っている。優しい月光はまるで俺たちを癒してくれているようだ。都会とは違って排気ガスなどもないため、空には無限の星々が広がり、その様はまさに星のカーペットとでもいうべきものである。疲れた時にはこれを見るのが一番だ。
「たぶん喧嘩……ではないみたいだったけどなぁ。明日には解決するといいけど、無理だろう」
いくら同じ島で育った仲間――言ってしまえば家族のようなものとはいえ、引きずってしまうことはどうしてもある。状況を断片的にしか把握できていないが、そうそう簡単に修繕できるようなものではないことは容易にわかった。
基本的に、トラは温厚で自分から他人に食って掛かることはない。対する口咲先輩も気が強く活発な性格だが、悪い人ではない。そのような二人がぶつかり合うということは相当な事態だ。
「……ま、とりあえず俺は自分の事に集中しよう。あと一週間だから、気合を入れていかないと」
そっと、自分の手のひらを見ながらそう呟いた。楽器を始めてから、だいぶ手が逞しくなった気がする。チューバという重量級の楽器を毎日抱えてあっちこっち動き回っているのだ。二の腕も太くなりつつある。
いつか、チューバのように演奏面ではなく精神面でも支えたい――いつしかそう思うようになっていた。




