百十話目
『だからそう気を落とさないでください。わかりきっていたことじゃないですか』
「だけどよぉ……」
昨日から一夜明けたというのにまだ俺は合奏のことを引きずっていた。それなりに自信もついてきて、多少はくらいついていけると思ったのにあのざま。いい年こいて泣きそうになった。というか、家に帰って泣いた。
今までやってきたことすべてが無駄だと告げられたような感覚。あれだけ先生や先輩、もちろん同級生のみんなやMCたちにもアドバイスをもらったというのに情けなくてたまらなかった。合奏の時に頭が真っ白になってそれらを活かせなかったというのも不愉快である。
『ま、誰でも通る道だよね。でも、これぐらいでへこたれてちゃだめだよ』
軽く言ってくれるな、スー。そういえば……
「なぁ、俺にマウスピースを使うなって言ったのはもしかしてこうなることを予想していたのか?」
『うん。合奏の時唇がいつもの曲練よりも疲れたでしょ?』
「ああ。でも、どうしてああなったのかわからないんだ。テンポも曲も、全部一緒だったのに」
『単純に密度が違うんだよ。密度が』
「密度?」
軽く頷き腕組みしながらこちらに寄ってくるスー。一方MCは俺の目の前の椅子に深々と座り、全てをわかっているというように穏やかな笑みを浮かべていた。
『合奏はさ、良くも悪くも全体競技なんだよね。つまり、それぞれの演奏が合奏に直結するから一人のミスが他に影響を及ぼす。その逆もまたあるんだけど、これが結構曲者でね? ミスした時すごく恥ずかしかったでしょ? 名指しされてそれで演奏が止められるのは』
「ああ……ものすごく恥ずかしかったし悔しかった」
『でしょ? 合奏は結構それで神経を使う。一人でやっている時は勝手にメトロノームを止めてやり直せばいいけど、全体練習ではそうはいかない。自分のミスで他を止めてしまうことになるからね。その度に自責の念が生まれてミスを恐れて、逆にパフォーマンスを悪化させる。最悪の結果になるってことだよ』
……わかっていたことだが、改めてこう告げられると恐ろしくてたまらない。もしあれが本番だったらと思うとゾッとする。考えただけで冷や汗が止まらなくなってきた。
『他にも他の音を聞かなくちゃいけなかったり、指揮を見なくちゃいけなかったり、やることが曲練――いや、個人練の時よりもたくさんある。特に指揮なんかは人間が振るからね。あの先生はそうでもないみたいだけどずれることもあるから見てないと吹けない。たった数分間の演奏なのに、ずっと集中力を保つのは案外きついよね』
『むしろ、数分間だからかもしれませんね。時間制限があるだけにその時間内で曲をより良くしなければならない。そしてミスをすれば高確率で目立ってしまう……何とも難儀なものです』
「……」
『……怖い?』
こちらの心情を察したかのようなスーの言葉。俺はただそれに無言で頷くことしかできなかった。だが、彼女はニカッと太陽のように輝かしい笑みを浮かべ、
『でもさ。いいことを教えてあげる。確かにミスをするのは怖いよね? 合奏の時にミスをすると全員の視線がこっちに向くし、先生から厳しい言葉も浴びせられる。でも、よく聞いて? レイがこれから本番までやる合奏は全て練習。つまり……何度でも間違っていいわけだよ』
「え?」
『いや、確かに合奏は出来ていないところを確認する場所じゃなくて、音楽をより良くする場だって言われることもあるけど、個人的にはどんどん間違ってしかるべきだと思うんだよ。少なくとも、学生のうちは。恥ずかしい思いをしたくないからそうならないために練習をすると僕は思うしね』
『私もそう思いますね。プロの方や吹奏楽歴十年以上のベテランが合奏で合わせられないのは問題ですが、まだまだ未熟な学生、初心者の子は間違ってもいいと思います。結果として本番にベストな演奏ができれば、構いません……まぁ、演奏を止めて他の方々に迷惑をかけるのは承認しかねますが』
「ありがとな、色々と」
『いいって。ま、だからと言って何もしないのはだめだから昨日の反省を活かして今日の練習を頑張っていこうか』
まるでこちらの心を晴らしてくれるようなスーの笑顔。どうしてだか、胸がジィンと熱くなった。
『まず、昨日は初合奏ということでまだデータも十分ではありません。ですから、今日が本当の実力を示す時だと思ってください。今回からは先生も本気でかかってくると思いますので』
「あれで本気じゃなかったのかよ……結構厳しかったぞ?」
『あら? 先生が怒鳴っているのを聞いたことはありませんでしたか?』
「あ……」
言われてみればあった。でも、あれはまだ完全に入部する前だったし、すっかり忘れていた。
『でも、怒鳴るって言っても別にレイが嫌いなわけじゃないから。本当に嫌った人に関しては先生に限らず音楽に携わる人はすごいからねぇ……』
「例えば?」
『う~ん。確か十年以上前かな? すっごく不真面目な生徒がいてね? 合奏なんかもその子が原因で止められていたんだ。で、先生が下した決断は強制退部』
「はぁっ!?」
『今の先生はそんなことはしないと思うけど、本当に大変な時期もあっただよ。それこそ先生が生徒を殴ったりね。スポ根で片付けられないのがツライ所だったね』
カラカラと陽気に笑うスー。そんな彼女をたしなめるMC。だが、正直二人の会話はそれ以降俺の頭に入ってこなかった。
強制退部……何故だかそれは酷く脳裏に焼き付いた。




