百話目
時刻は昼の四時――当然今俺がいるのは、音楽室だ。
「それじゃ、今からロングトーン始めます。チューニングの音を出してください」
『はい!』
威勢よく返事を返し、姿勢を整えてメトロノームを注視する。しばらくしてカウントが入り、それに合わせて一斉に――
「――ッ!」
吹き鳴らした。
確実に全員のレベルが以前よりも上がっているのが直感的にわかる。バラバラだったはずの出だしはピッタリ合い、音の切りも綺麗になっている。音程も安定しているし、まっすぐ同じ場所に向かって響いているように感じた。
「……はい。まだ少しぶれるので気を付けましょう。それじゃ、ロングトーンを終わります」
『はい!』
意外だ……前回はこれを何回か繰り返したはずなのに今日は一発クリア。
だが、完璧というわけではない。先輩たちもトラたちも前とは見違えるように息が合っていたが、俺はまだまだだ。
もう少し周りの音に気を配らなければいけないな……。
「はい、それじゃ……いきます!」
スネアとバスドラムが響き、メトロノームがゆっくりと拍を刻む。
「一……二……三!」
四拍目は自分の頭の中で数え、大きく素早く息を吸い――
「――ッ!」
今自分にできる最高の音を響かせた。
六拍の中で決して集中力は緩めない。教わったことを頭の中で反芻し、細かいところまで意識しながら奏でていく。目線はまっすぐ背筋は伸ばし、腹の底に力を込めて唇と体には余計な力は入れない。あくまで脱力し自然体のまま周りの音を聞いて演奏を続ける。
……というか、あれ? いつもより楽?
気のせいかもしれないが、幾分か楽だ。周りのピッチがあっているから合わせやすいし、何よりスネアとバスドラムの存在が大きい。メトロノームだけでは追いきれないところがあったが、耳から聞こえてくる正確なリズムによって拍がずいぶん取りやすくなっている。
聴覚と視覚をフル活用しながら音階を上っていき、ようやく上のドの音。更にそこから二拍置いて折り返して下っていく。
「~~~~~~~~」
ここまでは順調だが、決して気は抜かない。ロングトーンが終わるまで絶対に集中を持続させようとするが……体が徐々に悲鳴を上げ始めた。肺が裂け、唇が割れ、指が吊りそうな感覚。だが!
「――ッ!」
ここで止めるわけにはいかない。他のみんなだって苦しいはずだ。体が悲鳴を上げようが壊れようが、気力で持たせてみせる。
苦しさに涙を浮かばせながらも吹いていくと……いつのまにか最後のドの音。最後まで緊張感を保ったまま音を切り、そこでロングトーンは終了した。
「……っし。それじゃ、反省。まず音程がまだまだ安定していません。もっと周りの音を聞くようにしましょう。それと、高音。注音と低音にかき消されそうになっているので、もう少し音量にも気を配るようにしましょう」
『はい!』
そこでコンミスである霜国先輩が前に立ち、反省というか改善点を述べる。そしてここからはそれ以外の部員たちの反省だ。意見のある者が手を上げ、それを全員に発表する。最初に手を挙げたのは桶田先輩だ。
「だいぶ良くなってきたとは思う。でも、響きがイマイチ足りない。もっと個人個人で研究するようにしましょう」
『はい!』
「次いいですか?」
そう言って手を挙げたのはなんと燐。後方にいる彼女の方に俺たちが向き直ったのを見ると燐はゆっくりと口を開いた。
「後ろから見ていてわかったんですけど、息を吸うタイミングがバラバラです。たまに出だしもそれにつられてミスしているので、そこも改善した方がいいと思います」
「はい!」
「……あとはいないかな?」
桶田先輩がきょろきょろとあたりを見渡し、誰も手を上げるものがいないのを確認。そこで彼女はにっこりと笑みを浮かべ、
「それじゃあ、樫井くん。今日久々に参加したわけだけど感想をどうぞ!」
「はいぃ!?」
反論する暇もなく全員の視線がこちらを向く。もう完全に収拾がつかなくなってしまった。ここは言うしかあるまい。
「え、えっと。じ、自分のことで恐縮なのですが、もっと周りの音を聞きたいと思います!」
『はい!』
厳密にいうとこれは自分の反省点を述べるのもありらしい。というか、他人の音を微細まで聞く余裕なんて俺には無かった。必然的に自分の反省しか言えないのである。
「よし。それじゃ、もう一回今の反省を踏まえてやろうか」
『はい!』
再び臨戦態勢を整え、メトロノームを凝視する。
「一……二……三!」
そうしてまた、ロングトーンが開始されるのであった。




