episode53
敷石が綺麗に敷きつめられたアプローチを進んでいくと、玄関から水島が飛び出してきた。俺たちの姿を見てホッとしたように表情を緩め、「こっちです!」と屋敷の中へと急き立てた。
長い廊下を水島のあとに続いて進んでいくと、突き当りの部屋のドアが開けっ放しになっており、中から人の咳き込む声が聞こえた。水島はその部屋へと入っていく。俺たちも続いて入ると、放心したように座り込んでいる佐伯美奈そっくりの女と、その向かいに喉元を押さえながら咳き込む馨がいた。何が起こったのかは一目瞭然だった。
「あなた、たち」俺たちの姿に気づいた馨が水島を睨んだ。「余計な、ことを。そもそも、どうしてお前がここにいるの!」
馨の怒声に水島はビクリと体を震わせる。
「私が彼を家に入れたんです、お祖母様」
女はふらりと立ち上がり、驚く馨を無視して水島に視線を向けた。
「ごめんなさい。でも僕は……」
声を震わせながら許しを請う水島に女は、「もう、いいのよ」と力なく言った。
若林はおもむろに女の前に歩み寄り、「佐伯美和さんですね? 事件のことでお訊きしたいことがありますので署までご同行願います」
「はい。お手数おかけしました」
美和は若林に向かって深々と頭を下げた。
「待って! この人は」堪りかねたように水島は若林の前に立ちはだかった。「この人は悪くない!」
両手を広げ、必死に美和を守ろうとする水島を若林は憐れむように見つめ、「本当にそう思うのか?」と問いかけた。
水島は苦しげに顔を歪め、「じゃあ、どうすればよかったんですか?! この人には、そうする以外方法がなかったのに!」
「――本当に、他に方法はなかったんだろうか?」
まっすぐに水島を見据える若林。その視線から逃げるように顔を背け、「あなたには解らない! 殺され続けてきた僕たちの気持ちなんて!」と水島は声を震わせながら叫んだ。
若林はそれ以上何も言わなかった。代わりに美和が、諭すように水島の肩にそっと手を置いた。
「ありがとう。もう、いいの。美奈を殺したのは……事実なんだから」
水島は激しく首を振り、「こんなのないよ! こんなこと……あんまりじゃないか!」
泣きすがる水島に美和は悲しげに微笑んだ。
「美奈を死なせてしまったのは私の、いいえ、私とお祖母様のせいだもの。だから、これでいいのよ」
「な、何を馬鹿なことを! 十年も音信不通で、帰ってきたらきたで美奈を殺しておいてよくもそんなことを!」馨は金切り声で叫び、よろよろと立ち上がる。「すべてお前のせいじゃないか! どうしてお前たちは私の邪魔ばかりっ」
半狂乱の馨は美和の胸ぐらを掴み、激しく体を揺すった。美和は悔しそうに顔を歪め、馨の手を払い除けた。
「お祖母様。この十年、美奈の何を見てきたんですか? あなたはただ、自尊心を満足させる為に美奈が必要だっただけ。違いますか?」
馨は息を切らせながら、鼻で笑った。
「だから何なの? 高いお金を払って育て上げたのは私よ。ここを出ていったお前に、どうこう言われる筋合いはないわ! それに、あの子は私がいないと何もできない社会不適合者なのよ。だから私が管理してあげてたんじゃない」
俺は眉を顰める。
あんまりだ。これまでの捜査で調べ上げた佐伯美奈という人物像は、決して馨の言うようなものではなかった。馨はこの十年、いや、この二十年、《《美奈》》を見てはいなかった。見ようともしていなかったのだ。
――それではあまりに、彼女たちが可哀相だ。
力なくうな垂れる美和を俺は静かに見つめる。今にも崩れ落ちそうな美和の姿に、美奈の姿を重ねる。
俺はすでに冷たくなった美奈にしか会ったことはないが、きっと生前の彼女も、今の美和のように癒えることのない傷を抱え、崩れ落ちそうになりながら必死に生きていたのだろう。
「このままで、いいんですか?」
馨に伝えることがあったからここに来たのではないのか、俺は思わず口に出していた。美和がゆっくりと俺の方に顔を向ける。彼女の虚ろな瞳が俺を捉えた。その瞬間、ハッと我に返る。
俺は慌てて美和の向かいに立つ若林に視線を向ける。若林は肩を竦めて苦笑いを浮かべている。隣の田村は呆れたように大きな溜め息をついた。最悪だ。
「言えないわ。そんなことをしたら、すべてが……」
絶望を身に纏った美和は聞き取れないほど低く小さな声で呟いた。一切の感情が彼女の顔から消えていた。能面のような、生きているのか死んでいるのか判らない感情を持たない顔。そんな美和の顔を見た時、ふいに藤堂の顔が脳裏に過った。
「……このまま隠し通すつもりですか? けれど、それでは美奈さんは社会不適合者のままですよ?」
俺は身動きひとつせず立ち尽くす美和に語りかけた。刑事失格とか、今はそんなことどうでもいい。ちっぽけなことだ。今できること、やらなければいけないこと。告白は今しかできない。今を逃したら、もう二度と彼女は救われない気がした。
「一番伝えたい人は、伝えなくてはいけない人は、彼女なんじゃないですか?」
静まり返った部屋の中。自分の声だけが響き渡る。
そんなことどうでもいいと思いながらも、やはり自分のしていることは間違っているという思いもある。ただの自己満足に過ぎないと。配属早々に田村に言われ、若林を諭そうとした自分。刑事の仕事は――
「……そう、ですか」
そう呟いた瞬間、美和の瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。
まるで映画のワンシーンを見ているようだった。涙の粒が、彼女の胸元できつく組まれた手の中に吸い込まれるようにゆっくりと落ちていった。そこ以外の時間が止まっているかのように、俺たちは声を出すことも身動きすることもできず、ただその美しい光景を見ていた。
美和はゆっくりと両手を開き、掌を見つめた。時折、苦しそうに顔を歪めながら、それでも目を逸らすことなく掌をじっと見つめ続けた。そして、決心したように口許を引き締めると、顔を上げて馨に向き直った。
「この十年、私は佐伯美奈として生きてきました」




