episode28
店内は威勢のいい声が飛び交い活気に満ちていた。数人の店員たちが狭い店内を忙しなく動き回っている。
「はいよっ、生中三つ!」
若い男性店員が勢いよくジョッキをテーブルに置いていく。テーブルの上には、他にも美味そうな料理が盛られた皿がいくつも置かれていた。
「あのさ、お前らはいいよな。容疑者捕まえてるから酒も美味いだろうよ。でも俺んとこは、まだ容疑者の特定すらできてないんだぞ」
俺が頬杖をつきながら悪態をつくと隣の猪又が、「いいじゃねぇか、付き合えよ」とジョッキを手渡してきた。
俺は溜め息をつき、手前にある揚げ出し豆腐を箸で挟み切る。割け目を入れたところから湯気が立ち、美味そうな匂いが空きっ腹を刺激した。
ここは猪又の行きつけの〈椿や〉という居酒屋。店主は無愛想なオヤジだが、安い、早い、しかも美味いということもあり、いつも会社帰りのサラリーマンで店内はごった返していた。さすがに今夜は深夜近いということもあり、サラリーマンの姿は少なく、代わりに学生らしき若者の客が多かった。
「で、どうだ? 加賀は」
揚げ出し豆腐を頬張りながら猪又に尋ねると、ビールを半分近く呷った猪又が満足そうにジョッキをテーブルに置いた。
「素直に取調べを受けてるよ。明日、地検に送致する予定だ。詐欺の方も、加賀の自供から大池の逮捕状が明日にでも取れそうだ」
逮捕状が取れ次第、国際刑事警察機構を通じてモルディブに潜伏している大池の国際手配をする手筈となっているそうだ。
「そっか、よかったな」
「まぁな。けど、もう少し足固めしなきゃだめだけどな」
「寺田の死が大きいか」
「ああ。大池が詐欺事件に係わったとする証拠がまだ出ていない。寺田の遺書と加賀の自白だけだ。これだけでも起訴までは持ち込めるが、やっぱり確固たる物証が欲しい」
「そっちも、まだまだ大変そうだな」
「そうだぞ。だから、こういう息抜きが必要なんだよ」猪又はそう言って、かぶの含め煮を美味そうに頬張る。「美味っ! あのオヤジが作ったとは思えねぇ。イケるぞ、これ」
なるほど、納得。猪又にとっての息抜きは飲んで食べることだった。しかも、なんでも美味そうに食べるもんだから見ていて気持ちがいい。俺も、どれどれ、と鶏つくねとかぶが綺麗に盛られた鉢に箸を伸ばす。
これは、美味い。上品な味つけで、しっかりとかぶに味がしみ込んでいる。次に鶏つくねを口に入れると肉汁が口の中に広がり、仄かに効いたゆずと絶妙な味わいを出していた。細かく刻んだレンコンのサクサクとした食感もいい。確かにあのオヤジが作ったとは思えない。
「で、望月はなんで本部にいたんだ?」
通りかかった店員に二杯目のビールを注文した夏目が、枝豆を口に放り込みながら尋ねてきた。
「明日までに提出しなきゃいけない書類があったんだよ」
緑署から帰る直前にそれを思い出し、本部に戻ってきたのだ。その書類をなんとか作成して帰ろうとしたところに、運の悪いことに猪又たちと出くわした。
「あの山積みの書類か」
猪又が笑った。
「ああ」
自転車――しかも田村という錘つき――に交番勤務以来、久し振りに乗ったものだから体が重い。本当は早く家に帰って明日に備えるつもりだったのだが、今日はどうもこういう役回りの日らしい。
「で、若さんは?」
猪又が美味そうにビールを呷る姿を横目で見ながら、捜査本部で頭を寄せ合っているであろう若林たちを想像する。こんなところで飲んでいていいのだろうか、と申し訳ない気がして肩を窄める。
「今頃、警部たちと頭抱えてるんじゃないかな。捜査はふり出しに戻るしさ。大変だよなぁ、デスクも」
「でもお前、昇任試験受けるだろ?」
「まぁ、時期がきたらな。お前だってそうだろ?」
猪又が曖昧に頷く。それを見て俺は苦笑いを浮かべる。気持ちは解らなくもない。重責が重く圧しかかり、朝から晩まで忙殺されるデスク陣の姿を見ると俺も躊躇してしまう気持ちが正直ある。
「なんで昇進したがるんだ?」
向いに座る夏目が訊いてきた。座りっぱなしの管理職より第一線で捜査に係わる方がいいじゃないか、と彼女は言う。
「そりゃあ、男だし。上昇志向くらいはあるさ」と俺。
鼻で笑われた。
「くだらない。捜査なんて現場に出てなんぼだろ? それを座りっぱなしの奴らに何が判るんだよ」
げその唐揚げをつまんだ箸を上下に振りながら夏目は顔を突き出す。あまりに力を込めて振り過ぎたせいか、げそが箸からすっぽ抜けて俺の顎にヒットした。それを見た猪又が声を上げて笑った。
「お前なぁ」
おしぼりで顎を拭きながら夏目をひと睨みすると、彼女は不貞腐れたように顔を背け、届いたばかりの二杯目のビールを呷った。
「なんだよ、どうしたんだ?」
夏目が不機嫌になった理由が解らないでいる俺に猪又が角煮を頬張りながら、「男とか女とかって言うのが嫌いなんだとよ」と言ってきた。
「はぁ?」
「お前、今言ったろ? それに、女として扱われるのも嫌なんだと」
「おいおい、女として見たことも扱ったこともないぞ」
「だよな」
「なぁ」
黙って俺たちの会話を聞いていた夏目が眉を吊り上げて睨んできだ。
「お前ら、人が大人しくしてれば」
「大人しくなんてしてねぇじゃん」
俺と猪又が同時に突っ込む。夏目は苦々しげにビールを一気に飲み干した。
「まぁ、確かに今どき女も男もないか。じゃあ、言い直すよ。自分の納得する捜査をしたいから、かな。下っ端じゃあ、上司の命令は逆らえないからな。的確な判断力を持った上司ならいいけど、そうじゃなかったら最悪だ。それに俺たち捜査員は自分の担当する班の情報しか細かなことは得られないから事件の全体像も見えにくい。だから、すべての情報が集中するデスクで事件の全体像を把握したい。もちろん人を統率する面白さもあるしさ。クセのある連中ばかりだからやり甲斐ありそうだろ?」
「あー、解る。班によって流す情報と流さない情報もあるからな。頭でっかちで使えない上司もいるし」
猪又が頬杖をつきながら頷いた。
「すべてはデスクが握っている。俺たちは所詮、彼らの駒に過ぎないんだよ」俺はニヤリと笑う。「でも、それじゃあつまらないだろ?」
「へぇ」夏目が感心したように声を漏らした。「ただのひょろっちい優男かと思ってたけど、案外ちゃんと考えてるんだな」
「……お前、ほんとひどいな。猪又も笑ってないでなんとか言えよ」
俺は顔を顰めながら、テーブルを叩いて面白がっている猪又を睨みつける。
「いいじゃん、褒めてんだし」
「褒められた気がしないんだよ」
「夏目が人を褒めるのは珍しいぞ。有難く受けとっとけよ」
笑い終えた猪又がそう言って枝豆を口に放り込んだ。見れば、あらかた料理は片づいていて他に食べるものがなくなっていた。
「やっぱり今日は厄日だ」
俺は残りのビールを呷った。
「もう日付、変わってるぞ」
「じゃあ、今日も厄日だ」
「なんだよ。美味い飯食っといてそう言うか?」
猪又が呆れ顔になる。
「これから本部に泊まって残りの書類を片づけることにした」俺は伝票を手に取り立ち上がる。「お前らは帰って休めよ。じゃあ、おやすみ」
「ごっそさん」
猪又はいつものように片手を上げた。不満そうにしている夏目に苦笑し、「犯人逮捕の祝杯だ。俺の方が解決したら奢れよ」とレジへ向かいながら肩越しに言う。すると、「ごっそさーん」と夏目の満足そうな声が背中に届いた。
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