episode22
暗闇の中、街灯が青白い明かりをうっすらと伸ばしている。その寒々とした明かりが、より不気味な空間を演出していた。
竹の葉が騒めく音が若林に纏わりつく。まるで闖入者である自分を威嚇しているようだ。懐中電灯があってよかった、と足許を照らしている懐中電灯に感謝した。
「くっそ、怖いじゃないか」
湧きあがる恐怖を振り払うように声を上げる。ここをいつも水島は通っていたというのか。可愛い顔して恐ろしく肝が据わっているな。聞き込みをしたバイト仲間も心配していたが、ここまでとは思わなかった。
それにしても、何故水島があの場所に現れたのかが気になる。バイトもないのに何故こんな時間に。何か思い出したのだろうか。それとも――
「ああ、もう! 修平たち、早く来てくれ!」
立ち止まるのも怖いのでひたすら走り続けてきたが、前を走っているはずの水島の姿がなかなか見えてこないことに若林はさすがに不安になる。追い越してしまったのだろうか。いや、そんな人影はなかった。
「やめてくれよ、なんか不思議な国とかに出ちゃったりするのは」
それじゃあ、まるでSFだ。苦笑しかけた時、懐中電灯の明かりが前方にある塊を照らし出した。
「……ウソだろ」
立ち止まり、塊を凝視すると人が蹲っているようだ。それはそれで怖いじゃないか。
「え……っと、水島くん?」
おそるおそる近づいていくと蹲る人がゆっくりと顔を上げた。水島だ。
「怖いよ、もう。なんでこんなところに蹲ってるかな」
早鐘のように脈打つ胸に手を当てながら尋ねると水島が、「足、挫いてしまって……」と消え入りそうな声で答えた。
「歩ける?」
手を貸そうと近づくと水島は後ずさった。
「大丈夫です! 放っておいて下さい」
「大丈夫って……足挫いているのに、こんな暗いところに放っておける訳ないだろ?」
それにこんなところで蹲っていたら、誰かが通った時に怖いじゃないか。騒ぎになったらどうする。
「平気です。いつもここ通ってますから」
その足でどうやって家まで帰るつもりなのか。若林は吐息をつき、水島の隣にゆっくりと腰を下ろした。
「ほんと頑固だね、君は。でもこんなところに座り込んでいたら車に轢かれるよ」
水島は何も答えずに顔を伏せた。若林は溜め息をつき、さてどうするか、と親指を唇に当てて思案する。
考えてみれば、わざわざ走って追いかけなくても水島の自転車を使えばよかったではないか。そうすれば、彼をうしろに乗せて――道交法違反うんぬんは目を瞑るとして――家まで送れた訳だし。修平の急き立てる声に思わず駆け出した自分に反省しつつ、彼の慌てぶりに苦笑した。
すると、今来た道の方から車のエンジン音が聞こえてきた。修平たちか、と目を向けると強い光が若林たちを照らした。眩しさに目を細める。車のライトだ。やっと来たか、と若林はホッと表情を緩めた。
座り込む若林たちの横に車が止まり、助手席の田村が窓から顔を覗かせた。
「遅くなりました。何してるんですか?」
「遅いよ。彼、足挫いたみたいなんだ。後部席に乗せたい、んだけど乗れないな」
後部席は、水島の自転車が占領していて人が乗り込める状態ではなかった。しかも入りきらず、トランクが開けっ放しだった。遅くなった原因はコレか。思わず若林は吹き出した。
「若さん、すみません。俺、焦っちゃって。この自転車使えばよかったですよね」
申し訳なさそうに言う修平に、「いい運動になったよ」と意地悪く言うと彼は照れくさそうに笑い、「じゃあ、田村と水島くんを交代させましょう」と田村に車から降りるように促した。
「そういうことだから水島くん、車に乗って」
助手席から田村が降り、水島と交代する。今度はさすがに素直に応じた。
「じゃあ、俺たちはどうしようか?」
「若林さんは自転車に乗って下さい。俺は後部席に乗ります」
田村は平然と言い放った。
「……お前。俺、先輩だぞ?」
「ええ、そうですね」
顔色ひとつ変えずに答える田村。
「……解った。ちょっと待ってろ」若林は運転席側に回ると運転席のドアを開けた。「俺が運転するから修平たち自転車であとから来て。はい、降りて」
目を丸くして驚いている修平を運転席から引っ張り出した。
「若さん……本当に警部にそっくりになってきましたね。信じてたのに」
ブツブツぼやきながら車から自転車を降ろす修平。
すまん修平、かわいい子供を千尋の谷から突き落とす親獅子の気持ちを解ってくれ。ていうか、田村の相手は自分には無理だ。
「じゃあ、アディオース」
若林は車を発進させた。
「あの……いいんですか?」
水島がうしろを振り返りながら不安そうに尋ねてきた。
「大丈夫だよ、君の自転車があるから」
「はぁ」
「自転車、買ったの?」
にしては細かな傷がいくつもあったが。盗まれた自転車が見つかったのだろうか。
「え? あ、いえ。大学の友人に貰ったんです。ないとやっぱり不便ですから」
「そう。ところで、どうしてこんな夜中にあの場所にいたの?」
水島は目を伏せる。若林は慣れた様子でそれ以上何も訊かずに運転を続ける。
車中に沈黙が流れる中、水島は親指のつけ根を擦り始めた。居心地悪そうに何度も若林の方に視線を向け、口を開きかけては何も言えずに顔を伏せて黙り込んだ。
「言いたいことがあるなら言った方がいい。でないと誰にも伝わらないよ」
若林が言うと水島はハッとしたように顔を上げたが、すぐにまた顔を伏せてしまった。
若林は吐息をつく。
これまでの聞き込みでも水島は自分の意見を言うことができず黙り込み、その度に左手の親指つけ根部分を責め続けた。癖なのだろう。そこだけ皮膚が黒く変色していた。
馨から頭ごなしに責められ続けたことが原因ではないか、と里見とも話していた。存在を否定され、言い返すことも許されなかった水島親子には、ただじっと我慢するしか術がなかったのだろう。そして、その馨の呪縛が未だに彼を縛りつけている。
既に車は竹林の中を抜け、住宅街に入っていた。家から溢れる温かな明かりを見て若林はホッと心が和んだ。こんな気持ちになるのは何年ぶりだろう。
「……信じて、もらえないから」
顔を伏せたままの姿勢で水島が沈黙を破った。
「そんなことはないよ」
「警察は……僕を疑ってるんですね」
「関係者を疑うのが警察の仕事なんだ。因果なものでね。――でも君が犯人でないのなら堂々としていればいい。『違う』と言えばいいんだ」
水島は、そのまま口を閉ざした。若林もそれ以上、あえて何も言わなかった。
「……僕は姉さんを、たったひとりの僕の家族を、殺したりなんてしません」
「犯人は必ず逮捕する。だから、無茶をするのだけは止めて欲しい」
若林の言葉に、水島は手の甲で涙を拭いながら何度も頷いた。
車はそのまま住宅街を走り抜け、しばらくすると目の前に見慣れた建物が見えてきた。水島のアパートだ。
「到着、と。彼らが来るまでここで待とう。……今日も誰もいないみたいだね」
アパートのどの部屋にも、明かりがついてはいなかった。ここでも水島は独りだ。学費と生活費を稼がなくてはいけない彼は、友人たちと過ごす時間を取ることもままならないでいた。学校とバイト先、そしてこのアパートを往復する毎日。
美奈以外、誰にも頼ることなく独りで生きてきた彼は、この部屋の中で何を思って過ごしているのだろう。
若林は水島の部屋のドアをじっと見つめ続けた。
「――水島くん。どうしてあの場所へ?」
じっと黙り込んでいた水島は、これまでになく真剣な表情で若林に向き直る。
「僕、思い出したことがあるんです」
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