第八章 第三話 ホットケーキ
午後二時の、アカデミー一年生一組専用寮、三階305号室前。
わざわざ、帰ってから昼食をとる暇を設けた時間設定だというのに、カオルは昼食抜きで挑んできた。
それはひとえに――
「エリーの作った菓子を、腹いっぱい食う!」
という、密かな楽しみのためだった。
「なんか卑しいですね、カオル」
「う、うっせぇ。軍隊時代は、甘いモンとか、人目もあって縁が無かったんだ。その飢えを、今満たしてんだよ」
インギーの指摘に、正当性を主張するカオル。
実際、軍隊時代は甘いモノの配給はあまり無かったし、あってもチョコやビスケットなどといった、そっけない物ばかりだった。
カオルは、それらを人目を気にしたり(実際は誰も気になんてしていなかったが)、子供達を見かけると分けてあげたりしたために、ほとんど口にする機会が無かったのだ。
「別に、カオルが甘いモノが好きだったなんて皆知っていましたし、誰も気にも留めていませんでしたよ?」
と、インギーが、「何の気なしに」といった口調で、カオルに語った。
いや、口走ってしまったというべきだろう。
「う~ん、そうかなぁ? 結構俺って硬派で通ってたからな……って、お前。なんで俺の軍隊時代を知ってるんだ?」
カオルの傍らを飛ぶ子豚は、一瞬「しまった」という空気(インギーの表情はほぼ変わらない)を出すも、
「え? あ、ああ……えっと、それはですね……資料に、カオルの軍隊時代の事が書いてあったんですよ」
「へぇ、そんな資料とかあんだ。なんか尻の穴まで見られた感じだな」
「ほらほらカオル。またお下品な口調になってますよ?」
「いけね、気をつけなきゃだな」
彼女の「言われたまま、何でも信じる(信じ込む)主義」も手伝って、なんとか上手く取り繕う事に成功。
カオルの疑問を煙に巻いたのだった。
「もうみんな来てっかな?」
エリーの部屋のチャイムを押し、ドアノブを回す。
がちゃり、と部屋のドアを開けると、玄関口にはもう既に四人分の、それぞれに個性的な靴が揃えて置いてあった。
ブルーを基調としたカジュアルなもの、金持ちのお嬢様よろしく革製の高価そうなもの、動きやすそうなスポーティーなもの、そして可愛さが一等目を引くもの。
既に皆揃っている様子である。そこに、新たにカオルのシックなグレーのハーフブーツが並んだ。
「あ、かおりんいらっしゃーい!」
「よ、エリー。もうみんな来てるみたいだな?」
「そうだよ。一番はちーちゃんだった」
「部屋に一人でいても退屈だから、十三時に来ちゃった」
「流石は速攻に定評のある千早さんだ。何時如何なる事も、電光石火だな」
「わたくしと牧坂さんはついさっき来たばかりですわ」
そんな彩香の言葉に、カーリーは無表情で小さく頷く。
「じゃあ私が一番ドンケツか」
「カオルお姉さま。そんな汚い言葉は使っちゃダメよ!」
と、千早がカオルの「ドンケツ」という言葉を指し、注意を促した。
それはまるで、さっきインギーに注意された事のフラッシュバックのよう。
「う~ん、口が悪いのは生まれつきなんだよ……」
「でも、お姉さまには似合いません。もっとお上品にお願いします」
わざとおすまし顔で、千早は言う。
もはやちょっとしたコントといった風でもあるその仕草に、自然と皆の笑みが零れるのだった。
「それはそうと、エリー。今日のお菓子は何だ?」
「いきなりお菓子の話? がっつきすぎです、お姉さま」
「い、いいじゃないか。私はこれが楽しみで、お昼抜いてきたんだぜ?」
「え!? かおりんお昼食べてないの?」
「あぁ、エリーの手作りお菓子で腹を満たそうと思ってさ。昼飯食ってきちゃうと、満足いくまで食えないだろ?」
「ご、ごめんなさいかおりん! みんなご飯食べてくると思って、まだ準備だけしかしてないんだよ」
「「ええっ!?」」
エリーの弁解に、二つの驚く声が沸き上がる。
一つはカオルのもの、もう一つは、
「エリオット。きょ、今日はおやつ抜きか?」
モロ残念顔で尋ねるカーリーだった。
「ううん。三時のおやつに合わせて、段取りだけはしてるんだけど……」
「「ほっ。よかった」」
またしても、二人同時に声が上がる。
「で、今日は何かしら? エリー」
「えっとね、ホットケーキだよあっちゃん」
「「ホットケーキ?」」
もはや、同一思念体であるかのように、カオルとカーリーが同じトーンで言葉を零す。
そこには、幾分「残念」と言った印象が伺えた。
「あ、二人共ホットケーキは嫌いだったの?」
「い、いや……そうじゃないさ」
「好きは……好きだ」
そう。忙しい母親が、簡単なおやつとして作るイメージでしかない代物――それがホットケーキ。
そんな固定観念が、どうやらカオルとカーリーにはあったようだ。
しかしながら、そんな残念な印象を、彩香が笑って吹き飛ばすのだった。
「あなた方。仮にもアメリカ屈指の富豪のご令嬢が作るホットケーキなのですよ?」
「「……それって、もしかして」」
「そう。大金持ちが食べるような、一流シェフが作るホットケーキを想像してごらんなさい」
「「……ごくり」」
二人の生唾を飲む音がシンクロする。
形はどうあれ、この時二人が思い描いたのは――ホットケーキの上に生クリームがたっぷり掛かり、その上にちょこんと真っ赤なチェリーが鎮座している。というものだった。
「甘いモノ苦手なちーちゃんがね、私の作るプレーンホットケーキがおいしいって言ってくれるの。で、今日はホットケーキにしたんだけど……生クリームが冷えるまであと一時間ほどかかるから、それまでは本来の集まりの理由である事を先に済ましちゃおうよ」
「ほ、本来の理由……? えっと、なんだっけ」
すっとぼけて答えるカオルではあったが、結構本気でこの集まりの趣旨を忘れている嫌いはあった。
「勉強会。そして、我々のチームの『チーム名』を決める会議。ですわ」
彩香が少し呆れて言う。
そんな彼女の答えに、カオルははたと思い出し、
「そうそう! 私もチーム名考えてきたんだ」
と挙手。
「はい。じゃあお姉さまから。エリー、書記お願い」
「了解!」
「じゃあ発表します! 鬼首――」
大学ノートをテーブルに広げ、エリーがカオルの発言を待つ。
――だが!
「『鬼首ヶ原カオルとゆかいな仲間たち』だとかいう陳腐で笑えない名前だったら、エリオットのホットケーキは抜きだからな」
という、カーリーの冷めたような一言に、途端カオルの唇は沈黙を守らざるを得なくなるのだった。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!