第八章 第一話 妹
カオルにとって、昼休みの時間は、ちょっとしたパラダイスだった。
「ん~ンマい! 流石はエリーだ。今日のベイクドチーズケーキも最高だな」
男性だった頃は、「男のくせにケーキ食ってる」という周囲の野郎達の目(ただの自意識過剰ではあるが)が気になり、甘党である自分をひた隠しにしていたカオル。
が、今は14歳の少女。誰の目も憚る事無く、甘いもの大好き宣言を行動にて表現できるのだ。
「本当にね。エリーの作るお菓子は、昔からおいしかったわ……いえ、更に腕を上げているといっても過言ではないかも」
「異議なし」
笑顔でエリーの作品に高評価をつける彩香と、同意の頷きを見せるカーリー。
チーム結成当初は、カオル達が誘っての昼食だったが……最近では、二人とも自ら進んで「仲間での食事」を楽しんでいる様子である。
そんな二人からの賛辞に、顔を赤らめてエリーは答えた。
「そ、そんなことないよ。誰が作ったって、おんなじ味だってば」
「謙遜謙遜。エリーにしか出せない、奇跡の分量と焼き加減だよね」
「うんうん、難しい事はよくわかんないけど、だいたいそんな感じ」
そして、音葉と静音も、エリーのお菓子作りの腕前を讃える。
「最近はコレが楽しみで、毎日昼休みが待ち遠しいよ」
「そんな、大げさだよかおりりん」
「そんなに楽しみなら、あまりデモ・マガバトルで無茶はしちゃだめよ。お姉さま」
と、千早が、わざとすました口調で注意を促す。
「う。それを言われると辛い。これからは気を付けるよ」
という、予定調和染みた掛け合いが、皆の笑顔を誘うのだった。
「そういう赤坂は、ケーキへのさじの進み具合があまり芳しくないようだが。口に合わないのか?」
ふと、カーリーが、千早のケーキの減り具合を指摘する。
皆がそろそろ一つ目を完食しようというのに、まだ半分も食べていない様子なのだ。
「あ、んとね。ちーちゃんは甘いのってそんなに食べないんだよ」
「甘いものを食べない? 千早はダイエットでもしているのか? んなコトやってると、人生の半分以上を損するぞ」
「ううん、お姉さま。ダイエットなんかじゃなく、甘いものはあまり好みじゃないってコト」
「えッ!? う、嘘だろ? 世の中に、スイーツが嫌いな女子がいるってのか」
カオルは本気で驚いた
彼女の中では、「女性は甘いものに目が無い」という固定観念があった様子。
それが否定されたとき、カオルの「甘いもの大好きという行為を、また笑われるのでは?」というトラウマ(笑われた事など一度もないのだが)が過るのだった。
「あはは。うん、私は特殊みたいなの。甘いものよりも、乾き物のほうが好き」
「乾き物ってお前……まるで飲兵衛みたいな言い草だな」
「うんそう。私の家系って、酒豪ばかりなんだ。お父さんもお母さんも、すっごくお酒に強かったんだよ。だから、私も千夏も、将来大酒のみに……」
ふと、千早の言葉がか細く消える。
さらに、彼女の瞳から、楽し気だった色が鳴りを潜め、代わりに悲しみの色が、ちらちらと見え隠れするのだった。
「ん、どうした千早?」
「え!? な、何でもないよ。ちょっと甘いものに胸焼けしただけ」
「大丈夫? ちーちゃん。無理して食べなくってもいいよ?」
「そうそう。千早、残りは私が食ってやるから」
「うん……うん。じゃあ、そうしようかな?」
「あ、ずるいぞ鬼首ヶ原! 私もこっそり狙ってたのに」
「へへーん、悪いなカーリー。早い者勝ちだ」
「カーリーには、次残す時あげるね」
そう言うと、千早はまだ半分以上は残っているチーズケーキの乗った皿を、カオルへ手渡した。
「へへ、じゃあいっただきま~す。モグモグ……ああ、うめぇな」
「お姉さま、紅茶のおかわりは?」
「ああ、頂こうかな」
千早の気配りに、カオルは専用のローリング・ストーンズのロゴマークの入ったマグカップを差し出す。
阪神タイガースカラーのマグボトルから注がれるダージリンが、薫り高い湯気を立ち昇らせた。
「ところで千早。千夏って誰?」
不意に、カオルが尋ねる。
その問いに、一瞬紅茶を注ぐ千早の手が、ピクリと反応した。
「え、うん……妹」
「へぇ。千早には妹がいるのか」
「そうだよ、かおりん。ちーちゃんにはね、双子の妹がいるんだよ」
「双子!? そりゃまたおっかねぇ……二人揃ったら、ステレオでガミガミ小言を言われるのか」
「にゃははは。でもね、かおりん。ちなちゃんはね、物静かで、おっとりしてるの」
「どうせ私はガサツでおこりんぼですよ」
と、千早はエリーの言葉尻を捉えて、「ぷぅ」とむくれる。
「あ、ごめんちーちゃん! そんな意味じゃないんだよ」
「ふふ、ウソウソ。エリーの言う通り、千夏は私と違って、おしとやかで、優しい子なんだ。でも、剣の腕前は、私と互角なほどの才能を持っている……だから、選ばれたんだよね……」
また、千早の言葉がか細くなる。
そこには、さっき見せた瞳の色が、「ちらちら」ではなく、今度はしっかりと姿を現した。
「選ばれた……って、何にですの?」
彩香が心配そうに尋ねる。
千早は、悲しみの色に打ちひしがれながら、「自らの恥」と心に秘めたその根源を語るのだった。
「……飛天赤坂流を……次ぐ資格」
その重い一言に、一同が口を紡ぐ。
千早をよく知るエリーはもとより、彩香にも「家を継ぐ」という大きさ、重さ、そしてそれらを担う矜持は、嫌というほど分かっていた。
カーリーは国際的なハーフ故、それに似た「しがらみ」を知っており、彼女の苦悩が我が事のように辛かった。
静音は、天性の機転により、彼女の置かれている立場を瞬時に理解。千早の悲しみに触れ、自らも気落ちする。
カオルも、一応は大人であるが故、そのあたりについての配慮は持っている。
が、一人。
「だから……だから何!?」
「「「えっ!?」」」
皆が、その一喝に驚愕した。
千早は、彼女の言葉に驚きはしたものの、不意に食らった平手打ちのように、「キッ」と睨んで身構えるのだった。
「家を継げない? それがどーしたっての!?」
「お、おい……音葉」
「だってそうでしょう、お姉さま!」
そう。それは郡山音葉。
彼女の、どんなしがらみにも染まっていない、純真無垢なものの考え方は、逆に、皆にとって斬新だった。
いや、斬新を通り越して、危険とさえ感じていた。
「そりゃあ、あなたが『家の流派』を継げないってのは辛いかもしんないよ? それは私にだってわかる! ……と思う」
「と思う」という言葉に、皆「……だろうな」と納得する。
「何よ、何も知らないくせに! 私はね、いらない子だから、流派を継げなかったのよ。妹にその地位を取られちゃったのよ。私には、その資格がなかったのよ!」
声を荒げ、千早は胸の中にずっと仕舞ってあった暗雲を開放する。
だが、そんな感情に任せた怒気に怯みもせず、音葉は返すのだった。
「子供をいらないと思う親なんていないよ!」
(確かにそうだろう)と、皆の心の中に音葉の言葉が響く。
「きっとご両親は、あなたが御家の流派を継ぐより、魔法少女に選ばれた事に『適材適所』を見出したんじゃないかな」
意外にも、音葉がもっともらしい事を言う。
だがその意外性は、千早の、思いもよらない、そして考えもつかなかった思考の鍵を開けたのだった。
「わ、私は……魔法少女として戦うほうが……合ってる?」
「少なくとも、私にはそう思えるよ。千早」
普段は、いつもお気楽な行動・言動ばかりの郡山音葉。
そんな彼女が、真剣そのものといった表情で、千早に語っている。
カオルは、そんな音葉にホッと胸を撫で下ろし、
「そうだな。俺も、千早は一流派の継承者で終わるより、もっと大きな――そう、お前は世界を救う『勇者』が似合うと思うな」
カオルの突飛な発想は、どこか「少年」を彷彿とさせた。
それが、千早には馬鹿馬鹿しく、それでいて、とても愛おしく感じたのだった。
「プッ……ウフフ……あははは。そうだね、お姉さまの言う通りかもしんない」
「千早……」
「お姉さまが最初に来たとき、私に言った言葉『お前は考えが固い』って、今思い出した。私って、型にはまった考えばかりみたい」
「そうだよ。物事はもっと自由に考えたほうが、人生楽しいよ!」
屈託のない笑顔の音葉につられ、千早にも笑顔が戻った。
「……バカってすごいな」
「ええ、本当に」
カーリーの皮肉も、この時だけは本当の感嘆として皆に伝わるのだった。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!