第七章 第九話 鬼首ヶ原カオルをめぐる一日 9
翌、早朝。八時二十五分。
学園一年一組は、未だかつて無かった「欠席者」になるかもしれない人物の話題で持ちきりだった。
当然、それは――
「カオルお姉さま、だいじょうぶなのかしら? 超心配だよ」
鬼首ヶ原カオルの安否の情報が全く無い事に、生徒全員を代表するかの如く、音葉が不安げに言う。
「だよね。もう授業が始まるってのに、まだ登校してなみたいだし」
「カオルお姉さま監視委員会の報告じゃ、昨日も自室には帰ってないみたいだったよ」
「お姉さま監視委員会!? なにそれこわい」
「まぁ、暫くは大事を取って欠席かもしんないね」
「え~っ! そんなのヤだよぉ」
半べそで声を上げる音葉に、静音が「よしよし」となだめる。
「あ、もう授業始まっちゃう。とりあえず教室戻るけど、鬼首ヶ原さん来たら教えてね」
「「「うん」」」
音葉が、そして傍にいた千早とエリーも頷く。
――と。
そんな彼女達の心配に、明るく闊達そうな声が答えた。
「はは。私が居ないと、そんなに寂しいか?」
その声の主に、教室に居た全ての生徒が振りかえり、驚きと嬉しさの表情が「その人物」を迎え入れるのだった。
「 「 「 カ オ ル お 姉 さ ま !! 」 」 」
千早が、音葉が、そしてカオルファンの生徒達が、思わずその名を叫ぶ。
「鬼首ヶ原さん!」
「かおりん!」
「鬼首ヶ原」
次いで、チームメイト達も、彼女の姿を目にして、安堵と共にその名を口にした。
「悪いな。心配かけちまったみたいだ」
「うん、うん! いっぱい心配したんだよ!?」
エリーの言葉に、カオルは照れ笑いを一つ。
「特に、ちーちゃんはね」
そんなカオルに、エリーは少し悪戯っぽく付け加えるのだった。
「ちょ、な、何言ってんのよエリー」
「えへへ。でも、本当の事でしょ?」
『素直になりなよ、ちーちゃん』
そんな言葉が伝わるようなエリーの微笑みに、千早の心は軟化を見せ、
「う、うんまぁ……」
チラリと、視線をカオルへと送る。
その瞳の奥には、そういった類の察知に疎いカオルでも感じ取れるほど、彼女の感情の高ぶりが伺えるのだった。
それはつまり――千早は、心の底から嬉しさと安堵がこみ上げてきているのだ。
「本当に、無事でよかった。鬼首ヶ原カオル……おねえさま」
きっと他にも、言いたい事はたくさんあったのだろう。
けれど、実際には何も言葉にできず……ただ、安心したという気持ちだけが口を突くのだった。
「ああ。お前もな、千早」
カオルは、そんな千早の気持ち優先な言葉に、優しい微笑みで返す。
『自分のせいで、カオルお姉さまは意識を失った』
『自分のせいで、一年一組から優秀チームを出しそびれた……いや、合同演習自体が流れてしまった』
様々な『自分のせい』が、昨日から千早を責め立てていた。
けれど、カオルから送らてた笑顔は、昨晩から心労続きの千早にとって、全てを癒してくれる最高の薬となった。
「お姉さま!」
千早の抑えていた感情が、洪水となって一気に押し寄せ、思わず駆け寄ろうとする。
と、そんな彼女に、ストップをかける声がした。
「ちょおっと待ったぁ!」
ピクリ、とその場に居た全ての生徒の身体が硬直し、時が止まったかの様相を見せる。
「な、何? 音葉」
そう、それは音葉。
嬉しさの感情そのままに、カオルへと駆け寄ろうとする千早。そんな彼女の前へ、通せんぼの如く踊り出たのだった。
「何? じゃないよ、千早! あなた、さっき何てった?」
「え? えっと……お姉さま?」
「そう! お姉さま。千早、いつからあなたカオルお姉さまを『お姉さま』って呼ぶようになったの!? ずっと『鬼首ヶ原さん』だったじゃん」
「そ、それは……まぁ、昨日から……かな?」
「もしかして、カオルお姉さまに抱きしめられたから?」
「え!?」
「そう言えば、昨日の演習の最後。千早ってば、カオルお姉さまにギュって抱きしめられてたよね!」
「キャ~! 何かが始まる予感」
「もしかしてさ、カーリーや樋野本さんも、そうやって篭絡されたんじゃない?」
「おいおい、人聞きの悪い事を言うなよ」
カオルは、やれやれと笑って流す。
しかしながら、音葉はそんな外野の野次を「静かに!」と一喝した。
「千早。にわかカオルお姉さまファンのくせに、お姉さまに抱きしめられ――もとい、独り占めなんて許せない!」
プンスカと怒る級友に、いつもとは違ってタジる千早。
が、言い返せないのいは……自分自身、そこに引け目があるのを自覚していたからに他ならなかった。
「ご、ごめん」
申し訳なく、千早が零した言葉。その一言は、クラスの誰しもを驚きの中に陥れた。
「ちょっと……あの赤坂千早が、『ごめん』って言ったよ?」
「千早が素直に謝った……」
「これは天変地異の前触れか!」
酷い言われ様ではあるが、九ヵ月共に暮らした生徒達には、新鮮な驚きに満ち溢れている「事件」だった。
そして、件の原因を作った音葉でさえ、
「あ……えっと。こ、こっちこそごめんね、千早。うそうそ、冗談だよ」
いつも通り「口喧嘩」に発展するであろうと、思い描いていた展開。が、それとは真逆の対応に、音葉も思わず、しどろもどろで詫びるのだった。
「う、うん」
「はは、何言ってんだよ二人共。どんな呼び方だって、おれ――あ、いや私は構わないぜ?」
と、二人を笑い飛ばすカオル。
けれど、千早の変わりように正直一番驚いているのは――思わず地の一人称が出そうになった彼女かもしれなかった。