第七章 第八話 鬼首ヶ原カオルをめぐる一日 8
同日、十一時十分。
アカデミー内学園長室は、教師達でさえ知らない一面を曝け出していた。
重厚な学園長のデスクを中心に、左右二つ、そして正面に一つ、空間投影式モニターが展開。
そしてデスクに座る学園長・向町京子の傍らには、鬼首ヶ原カオルの使い魔であるイングウェイが、音も無く羽ばたいていた。
「どうかしら? あちらの人達は、先程送った資料に目を通してくれたかしらね?」
「現実世界と架空世界自体の時間流同期は、一時間前から完了していますから……おそらくはもう読まれていると思われます。学園長」
「そう。ではそろそろ繋いでちょうだい、インギーくん」
学園町の静かな一言と共に、インギーの瞳が赤く光る。
同時に、室内にある五つのモニターが目を覚まし、一モニターに一人ずつのシルエットを映し出した。
「皆さんお久しぶり……と言っても、あなた方にとっては数日の時間経過もないでしょうけれど」
左右のモニターには、軍服姿の男性二人と、スーツ姿の男女。
そして中央のそれには、威厳と風格に満ちた、初老の男性が映し出されている。
『なに、我々にしてみれば二日ぶりだ。で、お京さん……例の『イレギュラー』が起こした騒動とやらは収集したのかね?』
学園長の正面のモニターから、若干低い、それでいて良く通る声が聞こえる。
穏やかで落ち着き払ったその言葉に、左右のモニターの面々が、ぐっと緊張をまとい出した。
「はい、総理。被験者二号体、鬼首ヶ原カオルについての詳細は、先ほど送った通りです。が、ご心配なく……既に制御プログラムにて修正は完了いたしました」
『そうか。それならよい』
『イレギュラーに大いなる力を与えられても、それを我々が御し得なければ、何の意味も無いですからな』
右サイドに映し出された背広の紳士が、些かニヤけて言う。
「あらあら三郷さん。国防大臣としての本音が零れましたわね」
学園長が上品な笑いで返す。
『そりゃそうさ。私のような小心者は、常に武器を持っていなければ落ち着かない……君が一番良く知ってるだろ?』
そこには、お京さんに対しての小さな嫌味が含まれていた。
けれどそれは、長年の付き合いからくる「冗談の類」に含まれるであろう言葉だ。
『それはさておき、学園長。マギカ担当省の立場から言わせていただくと、イレギュラー体の存在もさる事ながら、その事態の引き金ともなった、デモ・マガバトル中の悪魔獣の暴走――これも捨て置けませんね』
右サイドの高齢を思わせる背広女性が、あまり感情無く、といった具合で新たな質問を投げかけた。
「その件に関しましては、たんにこちらのプログラム的ミスです。ご心配ありません」
『そうですか? 忍海郁子一尉からの報告では、悪魔獣のコアに関わる、重大的な懸念事項との意見がありましたが?』
学園長は、鋭い指摘のその奥に漂う、彼女への私怨めいたものを感じていた。
非公式行政機関、マギカ担当相。その大臣を務める新庄京香と向町京子は、軍時代から「二京」と呼ばれ、ライバルとされてきた間柄だった。
故に、因縁も少なからずある様子である。
「忍海一尉の言葉をそのまま引用すれば、デモ・マガバトル自体――いえ、ヴァ・ヘル自体が危険となるでしょうね」
『ねぇ京子ちゃん、本当に大丈夫なの? 彼等との約束は大事だけれど、肝心の生徒達が実戦配備前に消滅、なんて事にはならないでしょうね?』
「そう願うしかありません」
『そんな無責任な!』
つい言葉を荒げてしまう、新庄マギカ担当相。
だが、そんな彼女の追及にも、学園長は平然と返すのだった。
「あらあら、京香ちゃん。リスクは承知の上のハズよ? それとも、今更少女達の安全第一なんて言う、ハチミツと砂糖にまみれたような、甘ったるい善意の警鐘を鳴らすのかしら?」
『わ、私は何もそんな議論を――』
『やめたまえ、二人共。今はそんな議論を交わしている状況じゃないだろう』
「「は。申し訳ありません、葛城総理」」
中央のモニターに映る男性・葛城勇内閣総理大臣の一声で、両者の喧騒は収まりを見せた。
が、新庄マギカ担当相大臣だけは、未だ少々燻っているように見受けられる。
『ともかく、学園長。被験者二号体の制御、よろしくお願いしますよ? 実戦で使い物にならなければ困りますからな』
「はい、わかっております」
軍服に「将補」を示す階級章の男性が言う。
その言葉が、この会議の終了を意味するかのように、
『では、今回の特例会議はここまで。で、よろしいですかな? 総理』
と、会議の終了を示唆。
『そうだな。学園長、また何か報告があればすぐ寄越したまえ』
「はい」
学園長が一言答えると、一つ、また一つと、モニターが沈黙する。
と、最後に一つだけ、とある人物を映し続けるモニターがあった。
「あら、どうしたの? 大隊長さん」
「ははは、大隊長はよしてくださいよ。お京姐さん」
そろそろ四十の声が掛かるかという年齢の、軍服姿の男性。
その人物は、少し申し訳ないといった面持ちで、学園長へと尋ねるのだった。
『娘は、元気にやっていますかね?』
「ええ、もちろんよ。学園の生徒会長として、そして学年筆頭として、皆を引っ張ってくれているわ」
『そうですか、それはよかった。それで……アイツは本当に使えそうですか?』
「カオルくんの事? 勿論、あなたのお眼鏡に適った子ですもの。今後が楽しみな逸材よ?」
『……私の部下ですからね』
「それに、この子だって……今もこうやって、私達と『彼等』との懸け橋に粉骨砕身してくれているわ」
言って、はお京さんは傍らを飛ぶ小さな豚を指差すのだった。
『そのようですね。当麻一等陸士……いや、今はイン……イン……ええと、なんだったか?』
「イングウェイです。米嶋中隊長殿」
『ああ、そうだった。イングウェイ、この先も鬼首ヶ原を補佐してやってくれ』
「了解しました。どうぞおまかせください」
短い敬礼の後、プツリとモニターが沈黙する。
同時に、すべての空間投影式のモニターが消滅。いつもの学園長室へと戻るのだった。
「学園長、時間流同期はすべてカットされました。現在、ヴァ・ヘルは遅延時間流となっています」
「はい、ごくろうさま……それから、インギー君。米嶋君は現在、大隊長よ」
「そうですか、申し訳ありません。なにぶん、人間だった頃の記憶を、使い魔用の記憶に書き換えられているものですから……時折、無意識にソレが現れるのかもしれません」
「古い記憶の残骸かしらね」
「私もカオルと同じく、見切り発車の被験者ですからね。何が起こるか……」
「新たな使い魔としての記憶だけでは、何かと苦労するわね」
「そんなこともないですよ、学園長。どのみち記憶の大部分を、あの時に消失してしまった訳ですから。それに、こうしてお役に立てているだけで、私は満足ですので」
「そう……被験者一号体、当麻光咲君。キミには、本当に申し訳ないと思っているわ」
「よしてください、学園長。では、私はこれで」
そう語ると、インギーは学園長へと小さな礼を見せ、カオルの元へはたはたと飛んで行った。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!