第七章 第六話 鬼首ヶ原カオルをめぐる一日 6
同日、十九時三十分。
学園長室、室内。
生徒は全て下校済みの静まり返った学園も、この一室だけは煌々と明かりが灯り、三人の人影を照らし出していた。
「忍海一尉。それは防衛軍・悪魔獣研究班の長として言っているの? それとも吉野開発部室長に端を発する、個人的な私怨に基づくものかしら?」
学園長の、穏やかながら、それでいて凛とした口調が、学園長のデスクの前で直立不動の姿勢をとる女性――悪魔獣研究部部長・忍海郁子一尉へと掛けられた。
「お言葉ですが、学園長。これは私怨などではなく、学園を――いえ、世界を憂う一科学者の見地から申し上げているのです」
忍海郁子は、目の前のデスクに座る可憐な老淑女に負けじとばかりに、胸を張り答える。
そんな姿を、そしてその答えを受け、学園長は一つ小さな溜息を零すのだった。
「いきなり『悪魔獣のコアを研究対象に加えろ』と言われてもねぇ。確かに悪魔獣のコアを研究するというのは、今後の模擬戦での憂いを取り除く要素、ひいては悪魔獣を倒す早道ではあるかもしれないわ……でも、ルールはルールよ? 『彼等』との約束事は守らなきゃ」
「そう。絶対に悪魔獣のコアへの研究・干渉はしない……このヴァ・ヘル世界に魔法少女の学園を築く際に交わした制約、忘れてはいないでしょうね?」
来客用のソファーに腰かける、もう一人の人物。
年のころは学園長が歩んだ人生の半分ほどではあるが、その威厳に満ちた佇まいは、学園長にも負けず劣らずといった具合。
そんな女性・広陵佐和子特別情報官が、忍海郁子へ諭すように言う。
「無論! 判ってますとも。そこを押して――」
「押して、彼等との信頼関係を損ね……その先は?」
「もはや、二年生には既に戦えるほどの技量が備わっていると思われます。一年生には、被験者二号体・鬼首ヶ原もおります」
「戦闘部隊として、数が少なすぎるわ」
「ですが! さわこ先生……あ、いえ特別情報官。魔法少女のノウハウを科学的に取得すれば、事は解決できます! 既に概ねの目算は立っているのですよ?」
「化学魔法隊計画の事? あれは運用・思想的に危険すぎるわ」
「そう。その件は学園長の権限で、永久凍結と申し上げた筈よ?」
「凍結解除を提案します! いえ、軍部に権限の譲渡を申請します、学園長」
「まったく、困った子ね。何故あなたはそう、危険を承知で早道ばかり進みたがるの? 学生の頃から全く変わらない」
「時間がないのですよ!? 今、打てる手は打っておくべきでしょう」
「焦る気持ちはわからないでもないわ。けど、そのせいで折角の『魔法』という力を失ったら? 世界はきっとおしまいよ」
やれやれと首を振りつつ答える、広陵佐和子特別情報官。
しかし、郁子の眼鏡の奥に見える鋭くも熱い瞳は、なおも己の我を通そうと燃え盛る。
「賭事はできない、と仰るのですね」
「この学園自体、大きなバクチよ。リスクぎりぎりのね」
「我々はコメカミに、銃口を突き付けられている状態なのですよ? まずはこの状況を脱するべきではないでしょうか!?」
些か興奮気味にまくし立てる、忍海一尉。
が、それでも学園長は冷静な口調で返すのだった。
「脱する方法はそんなに難しくはないわ。でもね、この戦いに勝った、その後の世界を考えなさい。忍海一尉」
「……防衛軍が、侵略軍になり、軍事帝国が誕生する。と仰りたいのですか?」
「どう受け取るかはあなた次第よ」
目を伏せ、学園長は穏やかに語った。
けれど、そんな曖昧な答えに苛立ちを覚えたのか、忍海一尉は声を荒げて問うのだった。
「第一、『彼等』がいつまでも友好的とは限らないじゃないですか! 大体、彼等とは何者なんですか!? 得体の知れない敵を倒すため、得体の知れない者達の協力を得るなんて……」
「悪魔獣を倒すためには、なくてはならない協力者よ」
「だから、『彼等』は何なんですか!?」
「 協 力 者 、 よ 」
学園長の声が荒ぶる。
途端、忍海一尉の表情は硬直した。
「し、失礼しました……学園長」
「いいのよ。でも、もうこのお話はこれでおしまいね。あと何もなければ、今日はもう上がってちょうだい」
「はい。それでは失礼します」
忍海郁子一尉は、敬礼の後、キビキビとした動きで学園長室を退出。
その姿を視線で見送った学園長は、彼女がドアを閉めた途端、大きな溜息を一つ零すのだった。
「厄介な子たちね、さわちゃん……あなたの教え子は」
「申し訳ございません、お京先生。なにぶん、がむしゃらに突き進むのが、防女(防衛軍付属女子専門高等学校)の伝統ですから」
「ふふ、あなたもそうだったわね」
「ええ。先生の教えを守っただけですよ」
笑って返す、広陵佐和子特別情報官。
しかし、瞬時にその笑顔を収め、緊張の面持ちをまとう。
「些か、情報の解禁が小量すぎやしませんか? 学園長。このままでは、堪え性の無い者から、不満が噴出しやしませんかね」
「あらあら。悪魔獣のコアを解明すると、それは即ち、『彼等』の弱点を公にすると同義である……なんて事、皆に教えろというの?」
「いえ、そこまでは……」
と、そんな折。
突然デスクの上に置かれた電話機から、内線呼び出しの音が鳴った。
「はいもしもし……うん……そう、それは重畳ね……ごくろうさま。その後の経過で、何かあったらすぐに教えてちょうだい」
学園長は小さな笑みと共に、受話器を置く。
その内容を、広陵特別情報官は公私共にはらんだ「興味」で問うのだった。
「学園長、今の電話はもしかして……?」
「ええ、そう。鬼首ヶ原カオルへの、A-PAS実装が成功したそうよ」
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!