第七章 第五話 鬼首ヶ原カオルをめぐる一日 5
同日、十八時二十分。
ヴァ・ヘル空間内、プログラム開発部社屋。
学園とは少々離れた場所にあるこの施設は、ヴァ・ヘル内を構築する全ての仮想物のプログラムを一手に引き受ける、言わば心臓部のようなものである。
その施設の最重要機密エリアの一室にて。
物々しい医療機械に囲まれたベッドに横たわる、検査衣姿の鬼首ヶ原カオルの姿あった。
頭部には、幾つかのコードが接続され、電脳世界における「これから何がしかの医療行為が行われる」といった趣である。
そんな部屋に隣接するブースには、三人の女性の姿があった。
「おっしゃあ! プログラム実装準備完了」
一人気合の入る、赤い眼鏡と白衣姿――吉野恋開発部室長。
肩までの黒髪に、デフォルメされたピンクのネコの顔の髪留めと、少々のそばかすが幼さを印象付ける、かわいい女性である。
「本当に大丈夫なの? 恋ちゃん」
「ん、何が?」
「鬼首ヶ原さんに、そんな物騒な新開発の必殺技を実装しても、ってコト」
「A-PASの事? だいじょうぶ、問題ない問題ない……と、思う」
「『思う』ってアンタね。もしかして、私の生徒を実験台にしようって腹なんでしょ? もう。保険医の立場として、恵那からも何か言ってやってよ」
「そうね。もし何かあったら……『世界』と『あなたの人生』が終わる。という事だけ、肝に銘じておいてね」
「おいおい、物騒な事言いっこナシだよ。一応、私だって一生懸命この計画には取り組んでるんだよ? 軍部の連中とは違ってさ」
「また軍部批判? そのうち、軍への悪辣な批判とか何とかでしょっ引かれるわよ」
聖川綾乃教諭が、呆れ顔で言う。
「軍部批判? 違うよ。これはきちんと筋の通った、忍海郁子への個人批判だよ」
と、吉野恋は真顔で胸を張り答えた。
「なんでアンタ達は、そう仲が悪いのかね。高校の頃からずっとじゃない? いい加減、大人になりなよ」
「仕方がないよ。幼稚園の頃から、事ある毎に何かと対立してくんのね。あのバカ」
「幼稚園時代からって……それって、仲が良いって事なんじゃない?」
「腐れ縁ってヤツかもね。でも正直、アレとの対立があったからこそ、ここまでやってこれたかも……」
そう小さく言葉を零す、吉野恋。
そこにはちらりと本音が見え隠れしているのを、聖川教諭は笑顔で見逃してあげたのだった。
「それはそうと……A-PASって、一体どんな攻撃技なの?」
「さぁ、それはわかんないよ」
「わかんない?」
「ちょっとソレどういう事!?」
綾乃と恵那が、同時に吉野開発部室長へと詰め寄った。
「ああ、ごめん。言い方が悪かったかな? このA-PASってのは、被験者の深層心理に直接働きかけるのよ。故に、どんな形状・攻撃方法・威力になるかは、実際実装された者が使ってみるまで分からないのよね」
「鬼首ヶ原さんの……深層心理、か。なんか興味あるな」
少々悪戯っぽく笑みを見せ、綾乃はベッドに横たわるカオルを見る。
それは、カオルの深層心理の奥底に誰かが居て、その断片でも垣間見せてくれたら……という、期待にも似た微笑みだった。
「そう言えばさ、この被験者二号体ちゃん。アヤの元カレってホント?」
突然、恋が突拍子の無い質問を投げかけてきた。
「うぐ!? い、いきなり何言い出すのよ!」
これは、聖川綾乃にとって、かなりの危険球である。
にもかかわらず、平然と言ってのけるのは、吉野恋という女性が、至極空気の読めない天然であるが故だろう。
「そ、そんな空気読めない事言うから、忍海郁子と衝突しちゃうんじゃない?」
「郁子の話で誤魔化さない。どうなの? マジなところ」
一瞬たじろぐ綾乃だったが、すぐさま気を取り直し、
「恋人なんかじゃないわよ。幼稚園の頃から仲の良かった幼馴染なだけよ。私だって、ごく最近学園長に聞かされて知ったばかりなのよ……心の動揺だって、まだまだ整理出来てないんだから」
「でも、向こうはあなただって知ってたわよね。最初に見た時、かなり動揺していたもの」
「確かにね。今思えば、見事にあたふたしてたっけ」
「そうそう。今すぐにでも、アヤをベッドに押し倒しかねない感じだったわね」
恵那も、綾乃を茶化して言う。
「バカ。お互い『好き』の言葉も交わしてないのに……大体、今も昔のままの気持ちだとは限らないわよ?」
「いやいや、アヤちゃん。それでもまんざらな仲じゃなかったんでしょ?」
「まぁ、確かにね。あの人は必死になって隠そうとしていたけど……って、何を言わせるのよ! さっさと作業を進めてちょうだい」
「はいはい。こりゃあ将来、旦那を尻に敷くタイプだな」
「将来、があればね」
恵那の一言は、苦しいほどの重みに溢れていた。
特に、綾乃達にとって「将来」というものがいかなるものか。それは、考える事すら拒否したくなる言葉だった。
「ところでさ、アヤ……カオルちゃんだっけ? 彼、っていうか彼女。私達が仮想現実世界へ落っことされた経緯、知ってるの?」
「まさか。そんなトップシークレット、生徒達の誰一人、知らない筈よ」
「ふぅん、まぁいいか。んじゃあ、早速始めましょうかね?」
慣れた手付きで計器類を操作する恋を、門外漢の二人はただ黙って見入るだけしかない。
そんな不安しか感じない空気に、綾乃は次第に苛立ちを覚えるのだった。
「吉野開発部室長、本当に大丈夫なのですね?」
「何? 改まって」
「もし、もしも鬼首ヶ原さんに、A-PASを実装して、何がしかの問題が起こったら――」
「そんなの知らないよ。全責任はお京さんがとってくれるんでしょ?」
「そんないい加減な!」
「今更そんな事言わない。この子のバグによる、あの魅力的な魔法力を我々マギカがコントロールするには、これしか道はないんだから」
「……」
綾乃は唇をかみしめ、それ以上の「反論」を抑え込む。
『カオルの、限界まで利用可能な基本魔法攻撃能力を生かしたい』
自らが言い出した事とは言え、それは彼女を人ではなく「兵器」として考えているのではないか? という自戒の念が、綾乃の心をただ悪戯に乱しているのだった。
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