第五章 第九話 参入
程なくして、部屋へと戻ったカオル。
ベッドの上に身を投げ出し、ついさっき聞いた樋野本彩香の言葉を思い返した。
『この学園内に、敵のスパイがいる』
生徒か、先生か。それとも、外部からの第三者が潜んでいるのか。
彩香は「まだ詳しくは掴めていませんの。ですから迂闊な事は言えません」と返し、詳しい話までは聞けなかった。
「スパイか。誰だろうな?」
仰向けに寝転び、ただ空ろに天井を見つめつつ、カオルは零した。
「そうですね。私も初耳でしたので、少々驚いています」
インギーも、その件に関して自らの思いを述べる。
「ただ、教師という線はないかと思われます」
「何でだ? インギー」
「はい。教師は……あ、いえその……これはちょっと言えない事になるかと」
と、インギーまで、なにやら隠し事に言葉を濁すのだった。
「お前までかよ。まぁいいさ、お前の権限では言えない事なんだろ?」
「すいません……ですが、これは保障できます。教師、ましてや学園長が、悪魔獣側に加担しているという事はありません」
「だろうな。あのババァが悪魔獣に組しているなんて、ぜってーありえねぇ」
からからと笑って答えるカオル。
その心の奥には、もう一言、言いたい事があった。
(アヤちゃんだって、きっと……な)
綾乃先生の笑顔を思い浮かべ、カオルは自分に言い聞かせる。
「となれば、生徒の中に紛れてるって事になるな。おい、インギー。お前ら機関のチェックは大丈夫なのか?」
「一応は……ですが、なにぶん『心の中』までは調べる事ができませんので」
「心の中?」
「はい。敵そのものが進入する事、そして敵が生徒に何らかの作用を起こし、操っている。という事はチェックできます。が、敵と通じ、自らの『意思・理念』で、我々マギカの妨害活動を起こそうと考える人物かどうか……までは調べられないのです」
「まァ確かにな。あちらさんが尻尾を出すまでは、キメ撃ちもできないか」
「そうです。ですが、ここまで誰にも正体を見せない辺り、今後もソレは難しいのではないかと」
「そこだよ。彩香が、幼馴染であるエリーにまでわざわざ距離を置いて接しているんだ。それほどまでに、アイツに下された指示は厳重で用心を期するものなんだろうな……敵の狡猾さ、厄介さが伺えるってもんさ」
一つ溜息をつき、カオルは目を閉じた。
「それにしても……」
「なんです? カオル」
「俺たちの『敵』ってなんなんだろうな?」
「え……そ、それは」
「いやさ、悪魔獣ってのは分かってるさ。けど、学園内にスパイがいるって事は、悪魔獣と意思の疎通を行っている個人・もしくは組織があるって事だよな?」
「え、ええ」
「まったく、とんでもねぇ事しやがる。メイワクな奴等がいたもんだな」
「そうですね、そのとおりです」
と、ほんの一瞬だが、インギーの目が泳いだようにカオルには感じられた。
「インギーは、敵の事を何か隠している」という思いがふと浮かんだが、
(ま、それを知ったところで、今すぐ戦局が変わる訳でも無し)
と、頭を振って、余計な考えや思いを、心の奥底に沈めるのだった。
「じゃあ、俺は寝るよ。インギー、またいつもの時刻に起こしてくれ」
「カオル、目覚まし時計って知ってます?」
「う~ん、寝ぼけて止めちまうんだよ。もしくは壁にブン投げるか」
「そう言えば、私の事も一度ブン投げようとしましたね」
「……そう……だっけ……?」
うつろに答えながらも、その語尾を言い終わるまでに、カオルの意識はもうなかった。
「……ぐぅ」
「さすがはカオル。あっという間に寝るんですね」
呆れながらも、インギーの言葉には優しさがあった。
いや、優しさというよりも――それはどこか、感謝や、申し訳ないといった謝意に見える。
「すいません、カオル。私に発言の権限があれば……」
既に夢の中へと旅立ったカオルへ、インギーは言葉を掛けた。
が、このとき。
もしインギーに、件の「権限」があったなら――事は一段階早く、動きを見せたかもしれなかった。
次の朝。
エリーや千早、静音に音葉という、いつものメンバーに部屋まで襲撃――もとい、誘われ、寝ぼけ眼で登校するカオル。
「う~……眠ぃ」
「眠い、じゃないわよ。ほら、シャンとして」
「無茶言うなよ千早……」
「かおりん! カバン忘れてる」
「んあ? あ、ああ……」
「カオルお姉さまって、案外おねぼうさんだよね」
「へいわなときは……だみんをむさぼりたいんだ……」
日々、平和な生活が続く中。
カオルの体内時計も、油断から大幅に狂ってきている様子。
そんな中。
カオルの眠気を一瞬で覚まさせる人物が、405号室の前でこちらを見据えていた。
それは、その部屋の主――
「あ……っと。彩香、おはよう」
「おはようございます、鬼首ヶ原さん。そしてみなさんも」
「お、おはよう……あっちゃん」
おっかなびっくりと、エリーが彩香へと挨拶を送る。
普段、エリーからの挨拶は、ほぼ無視されている現状にあった。
けれど今回は、彼女から、皆に対して挨拶を送ってきたのだ。
「おはよう、エリー。ごめんなさいね、今まで嫌な思いを掛けてしまって」
「う、ううん!」
まるで今までとは打って変わった、別人かのような振る舞いを見せる彩香に、戸惑いつつも嬉しさが先んじて、満開の笑顔となるエリー。
「何? 樋野本さん。えらく愛想が良くなったわね」
無論、千早が警戒心から突っかかる物言い。
けれど、そんな事は周知の事とばかりに、彩香は笑顔で返すのだった。
「昨日ね、誰かさんに諭されたの。肩肘を張った生き方よりも、仲間を信じ、助け合おうって」
カオルの目を見ながら、サラリと歯の浮く台詞を語る。
「彩香……そんな恥ずかしい事を真顔で……」
「な、何を言ってますの!? 仰ったのはアナタでしょう?」
「あははは、すまない。あまりにも嬉しくて、ちょこっと茶化したくなっただけだ。かんべんな」
「えっと、えっと! それはつまり、あっちゃんは私達のチームに入ってくれるって事なの?」
「ええ。皆さんさえよろしければ、ですけど?」
と、彩香は少し意地悪く、千早をチラリと見る。
「そ、そんなの……ありがたいに決まってるじゃない」
千早は、プイッとソッポを向きつつも、嬉しさに口元が緩んでいた。
「へぇ。これで樋野本さんも、ソロ卒業だね」
「千早のチームもこれで5人かぁ。よかったね!」
「この場に牧坂さんはいませんが……皆さん、どうかよろしくお願いいたしますわね」
「う、うん」
「あっちゃん、よろしくね!」
「ああ。よろしくな、彩香。きっとカーリーも喜ぶと思うぜ?」
千早達のチームに、思いがけず新たな戦力が加入した。
――が、カオルの心の片隅には
(なんだろう? 彼女の心の氷解が、えらく早すぎるな)
そんな小さな疑問符を浮かべた想いが、顔を伺わせていたのだった。
最後まで目を通して頂き、まことにありがとうございました!