第二話 学園長
その施設屋内にある白く長い廊下は、うっすらと夕刻の朱に染められていた。
窓の外に見えるのは、よく手入れされた芝生が一面に広がる中庭らしき場所。そこに数人の少女達が直立不動で輪になり、声を上げているのが伺える。
「「「ア・エ・イ・ウ・エ・エ・オ・ア・オ」」」
発声練習と思しき言葉からして、部活――おそらくは演劇部なのだろう。
ふと、その声の合間を縫って、遠くから聞こえる溌剌とした掛け声が、カオルの耳に届いた。
どこか懐かしくもある、お腹の底から出しているであろう大きな声。それはどこの学校でも聞かれていた、スポーツ系の部活動。時折聞こえるカキンッ! という金属音からして、
「野球部……いや、女子だからソフトボール部かな?」
カオルがふと足を止め、中庭の先に見えるグランドに視線を送る。
そこには、女子ソフトに青春を賭ける少女達の白球を追う姿と、健康的な笑顔が伺えた。
「スゲーよなぁ。この建物、この廊下、この景色、おまけにこの服や……俺自身。これみんなヴァーチャルリアリティーだかなんだかだろ? 知らない間に科学の力もここまできてたのかーって感じだな」
「はい。ある程度は我が主の『魔法』を発動して作り上げてはいますけどね。分かり易く言うと、仮想現実世界と言う言葉が適切でしょうか。例えて言えば、ここにいる生徒全て、そしてカオルも、一つの『夢の中の世界』を共有して、その世界で暮らしている……と言う感じです」
「そいつはすげぇな」
「はい。ですが、危険も伴います……例えば、この世界で何らかの事故を起こして怪我を負うと、現在某所にて保管されている『本体』にも怪我が発生します……生命安全装置により、怪我自体の治りは早いですが、もし許容以上の衝撃を受けると――」
「死ぬのか」
インギーが小さく頷いた。少女達においての「死」は、カオルに施された性転換措置により、男として生存の可能性もあるだろう。が、カオルの場合は違う――もう後がないのだ。
「ですが、そこまで心配する事はないでしょう。受ける感覚も与える感覚も、全て現実世界となんら変わりませんが……身体能力なんかはかなり補強されていますからね。教師達の認証さえ下りれば、この校舎程度の跳躍力は発揮できるはず……その能力を行使すれば、どんな危険も概ね回避できるハズですから。そしてその力は、ここを卒業して現実世界に戻る時、本体に付加されます……悪魔獣と戦うためにね」
「認可制の超パワーか……だろうな。そんな危険な力が付いてくるんだ、そりゃ認可制にもなるさ」
カオルが改めて、ソフトボールに興じる少女達へと視線を向けた。もし認可制ではなく、好き勝手に力を使える状況ならば、今頃彼女達の競技は、「超人ソフトボール」などと言う協議名に変更されている事だろう
(……まぁそれはそれで見てみたい気もするが)
そんな思いを巡らせるカオルの視線が、次第に優しいものへと変わり……やがてポツリと呟いた。
「なんだか懐かしいな……ほんの三年前だぜ? それまではこんな風景、どこの学校にもある、ごくありふれたものだったんだ」
カオルの美しい切れ長の瞳がどこか遠い目をしているのは、その光景が彼女にとって、郷愁を感じさせるものだったのだろう。
「学生時代、俺は友達とバンド組んでて、ギターばっかりいじってたんだ。第二音楽室占拠して、いつも日が落ちるまで演奏してたなぁ……で、その合間の息抜きのとき、窓から見えた光景がさ……こんな感じだったんだ」
言葉の端々に懐かしさを滲ませて、インギーへと語る。
「カオルは結構おセンチさんなんですね」
「バカ言え。夕日見りゃ、誰だってセンチにもなるさ……ましてや今の俺は十四歳の夢見る少女なんだぜ?」
「そうですね。ですが、十四歳の夢見る少女は、自分の事を『俺』なんて言いませんよ? 今後の事もありますので、どうか気をつけてください」
「そ、そうか……『俺』はおかしいよな。んじゃぁ『わたし』か? それとも『わたくし』? なんだかケツがこそばゆいな」
「ほらほら、『ケツ』なんてお下品な言葉もNGですよ?」
「うぐぐ……俺達の戦場での言葉遣いは、言葉の頭と最期に『クソ』を付けるのが常識だったんだぜ? 下品な言葉遣いは、そう簡単には変われなだろうさ」
「ある程度は仕方ありませんが、なるべく猫を被っていた方がいいですね」
「ああ、わかった……用心するよ」
まるで無理難題を押し付けられたようにやれやれと肩をすくめ、「ふぅ」とため息をつく。
けれどここは、女性しか存在しない世界。教師達や、街にあるお店の店員などの生活観を演出するモブキャラクターを除けば、十四歳から十六歳までの「少女達」しかいないのである。そこで男っ気がある言葉を使えば、それがもたらす結果がどうあれ、たちまち特異な存在になるのは考えるまでもないだろう。
「とにかく、ここの学園長に挨拶をしましょう。この学園で私以外にカオルの素性を知る、唯一の人間です。くれぐれも粗相のないように気をつけてくださいね」
「オーライ……って、学園長室? なんだ目の前にあるじゃないか、ここでいいんだろ?」
足を止めた場所の、窓とは反対側にある扉。そこの表札には「学園長室」と書かれてある。カオルは一つ咳払いをして、コンコンと控えめなノック。程なく「どうぞ」と、温和な優しい声が招き入れた。
ドアをあけ、中を覗き見る。まず目に付いたのは、壁に紺地に金糸の刺繍がなされている学園旗が掲げられ、室内中央には来客用の革張りソファーと格調あるテーブル。その奥には威厳を誇るかのようなデスクがあり、一人の年配と思しき女性が書類に目を通しているのが伺えた。
「失礼します。学園長、本日付でこちらに転入となる『プロジェクトTS』の被験者第二号体、鬼首ヶ原薫をお連れしました」
入室と同時に、インギーが畏まった挨拶を見せた。と、その言葉の意味するところに、カオルは少し腹を立てた様子。一瞬ムッとした表情となり、インギーをにらみ付けたのだった。
「おい、なんだよ。まるで俺が実験体のような言い分じゃないか?」
「そう。失礼な言い方だけれど、あなたは実験体なのよ」
「な、なんだって? 俺がモルモット……ん、どこかで聞いたことがある声?」
怒り心頭のカオルが、どこか聞きなれた声に頭をひねる。そして書類を読み終え顔を上げた女性を改めて伺い、驚きの一言を上げた!
「げっ! アンタは寮母のババアじゃないか!」
「ようこそ、我が学園へ。久しぶりね、鬼首ヶ原カオルくん……そう、今はカオルちゃんかしら? まぁ~綺麗なお嬢さんになっちゃって。その我が学園の制服もよく似合ってるわよ」
確かに。インギーによって通常・制服着装してもらったフロスティーホワイトのデザインブレザーとボックススカートは、思いのほか似合っていた。いや、彼女のためにデザインされ、しつらえたとさえ言っても過言ではないだろう。
が、カオルはそんなお褒めの言葉を感謝するより、
「な、なんでババァがここにいるんだよ! また俺達を門限制裁でイジメようってか?」
驚きを隠しきれずに言う。
それは五年ほど前の事……日本防衛軍大学付属の高校に籍を置くカオルの住まう学園寮の寮母として、悪ガキ共の世話を焼いていたおばさん。それが今現在、このバーチャル世界での最高責任者として君臨しているのだから、驚くのも無理はない事だ。
「うふふ、そうだったわねぇ。あなたは特に門限破りとギターの騒音に、手を焼かされたわ」
懐かしさを楽しむかのように、学園長が言う。
「せっかく現役を退いて、第二の人生を寮母として迎えていたのに……あまりにも人が死にすぎて、私のようなおばあちゃんまで引っ張り出されてしまったの。仕方のない事なんだろうけど、嫌な時代になったわね」
「そ、そうか……そう言えば、ババァ――あ、いや学園長は昔、軍部の偉いさんだったんだっけか……ダマスカスナイフのお京さん。美しいさと切れ味を兼ね備えた女幹部として有名だったよな?」
「あら嫌ね、そんな大昔の事なんか引っ張り出して」
少し照れを見せつつ、デスクの上にある電話の受話器をとる学園長――向町京子・元日本防衛軍三佐。
「聖川先生、新たな生徒がみえましたよ。至急学園長室までいらしてください」
その丁寧な物言いと、歳の割にはチャーミングな容姿からは、過去の通り名のような殺伐としたイメージは伺えない。むしろ気のいいおばあちゃんと言った感じだ。
「ところで学園長。今さっき俺をモルモットって言ったよな? そいつはどう言う事――」
「言葉通りよ。あなたはまだ実験体なの……しかも二番目のね」
「に、二番目? っつー事は、一番目も?」
「はい。被験者初号体は存在しました。が、不安定な自我に耐え切れず、多層精神の大海で溺れ朽ちたと聞きます」
「う……男女の魂変換ってのは、もしかしてスッゲェヤバイんじゃないのか?」
「それは否定しません。が、カオルの場合は大丈夫です! あなたは既に、男性としての魂を失っていましたので、二つの魂に苛まれる事はないですから」
さらりとインギーは言う。だがそれは、被験者初号体だった者は生きたまま魂の性転換処置を受けたと言う事になる。
つまり……このプロジェクト自体、見切り発車的な実験だと言う事に他ならない。
「な、なんだかアブネー実験だな? 大丈夫なのか、俺?」
前例の無いプロジェクトへの強制参加に、なんだか自分の将来に光明を見失しなったような表情で言う。
「ふふふ、君は昔から心臓に毛が生えたような子だったでしょ? きっと大丈夫よ」
「そ、それって褒めてないよな? つか俺、今後ずっと女として暮らしていくんだよなぁ……自信無くしそうだ」
「ダメよ、弱気は。あと……もうすぐあなたを受け持つ先生が見えるわ。きちんと『十四歳の少女』を演じて頂戴ね?」
まるで、散々受けてきた「迷惑」を、ここぞとばかりに返している気もしないでもない……学園長の言葉は、カオルにはそう感じられた。
――コンコン。
と暫くの後に、不意に聞こえたノックの音。それは先程、学園長が呼び寄せた、カオルのクラスを受け持つ教師の到着を意味していた。
「どうぞ、入って頂戴」
「はい。失礼します、学園長」
規律正しい所作でドアを開け、そして学園長のデスクへと歩み寄って姿勢を正した美女――いや、見た目はまだ美少女と言ってよいほどの幼さがある女性。ハーフロングの美しい亜麻色の髪にちょこんと乗った、正面にこの学園の校章が刺繍されているエーデルワイス・カラーのベレー帽。そして帽子と同色のワンピーススーツが、この学園の教師を意味している。
「鬼首ヶ原さん、この方があなたのクラスを受け持つ聖川綾乃先生よ」
この世で嫌いなものは? と聞かれれば、即座に「教師と悪魔獣」と答えるカオルにとって、彼女の存在は特に興味無いものだった。が、その教師の名前を耳にして、カオルの表情が一変! まるで電撃に撃たれたかのように身体を硬直させ、呼吸までも忘れて彼女――聖川綾乃先生を凝視したのだった。
「あ、アヤちゃん……!」
「――アヤちゃんって。初対面の年長者、しかもあなたの担任となる教師に、いきなり『アヤちゃん』はないでしょ? 鬼首ヶ原薫さん」
少し怒った表情で諌めの言葉をかける、聖川先生。と、カオルはその言葉に、我に返ったような表情で返した。
「あー……も、申し訳ありません。ただ……知り合いのお姉さんによく似ていたものですから」
「へぇ、そうなの?」
「あ、えっと――はい。名前は『綾香』といいまして、いつも『アヤちゃん』と呼んでいたものですから、つい……」
シレっと嘘をつき、この場を切り抜ける。
「そう。実はね、私もあなたとよく似た感じの幼馴染がいたわ……同じ『薫』と言う名前でね。でも、その人は男性なんだけどね……今はどこで何をしてることやら」
にっこりと微笑むその顔からは、カオルが昔からよく知る、そして捜し求めていた「優しさ」が滲み出ていた。
カオルにとってその笑顔は、懐かしさ以上に心を揺さぶるものがあったのだ。
それはつまり――幼馴染の少女であり、初恋の彼女。カオルは余程言いたかっただろう……ソイツならここにいるぜ? と。
ふと、学園長に目を移す。普段と変わらぬ和やかな微笑みにもかかわらず、口元だけは無邪気に、悪戯っぽく緩んでいた。
(こ、このババァ……知ってやがったな?)
一瞬見せた「やられた!」という表情に、学園長が「うん」と、満足げに頷く。
「では、鬼首ヶ原さん。あとの詳しい事は聖川先生から聞いて頂戴ね。先生、以後の事はよろしくお願いいたします」
「はい。お任せください、学園長」
丁寧な会釈と共に、整然と踵を返す聖川先生。
「さぁ、鬼首ヶ原さん。行きましょうか?」
「あ、ああ……いや、はい!」
そして二人そろって、学園長室を後にした。
(うぅ……なんだよこの緊張感は!?)
一人心の中で叫びながら、夕暮れに染まる長い廊下を歩く。
カオルの胸に去来する、奇妙なモヤモヤと――なんだか甘酸っぱい気持ち。
それが何なのか、恋愛経験の少ない……いや、ほぼ無いといっていいカオルにとって、今は恐怖の対象でしかなかったのだった。
最期まで目を通していただき、まことにあとうございました!