第四章 第三話 樋野本彩香
その日の一年一組は、朝からとある話題で賑わっていた。
「私はだんっぜん、鬼首ヶ原さんだな」
「でもさ、カーリーのシヴァ、アレもおっかないよ」
「そんなのノープロだよ。カオルお姉さまなら難なく倒しちゃうって!」
わいわいと騒ぎ立てる内容は、今日の放課後に行われる、鬼首ヶ原カオルとパールバティ牧坂のデモ・マガバトルについての事。
「「「カオルお姉さま。ぜぇ~ったい勝ってくださいね!」」」
中には休み時間に、他のクラスからカオルへとエールを送りに来る生徒達も見受けられる程だった。
「えらく大層な事になってきたな。なんだか祭りのような気分だ」
かしましいほどの賑わいを、まるで第三者が傍観するかのように零すカオル。そんな彼女に、あまり聞き慣れない声が掛かるのだった。
「なんだか他人事のようですわね。そんなに余裕なのかしら? 鬼首ヶ原カオルさん」
「ん? えっと……お前は確か――樋野本彩香だったか」
「これはこれは。フルネームで覚えてくださってくれて恐縮です」
少し気取った風な会釈と、気品のある笑みが、カオルに振りまかれる。
「確かに、余裕コイてる場合じゃ無いさ。けど、戦いの前にあれこれと考えて気落ちするよりはマシだろ?」
「確かにそうですわね」
「それに、対カーリーのシミュレートは、脳内で幾度も繰り返してあるんだ……八割方の勝率は揺るがないと思うぜ」
「その言いよう、戦い慣れしている感がありますわね? もしかしてあなた、軍関係にいたとか」
カオルの目を覗き込むようにして言う、樋野本彩香。一瞬、カオルは言いようの無い感覚に見舞われ、鼓動が早まるのを感じた。
「ば、バカ言うなよ。たかが14歳の女の子に、そんな慣れがあるはずも無いじゃないか」
彼女の視線のあまりの鋭さに、少しオドオドとしながらも、カオルは誤魔化しの言葉を紡ぐ。
「うふふ、これは失礼。でも、あなたが勝てば、彼女はあなた方のチームに加入するという約束なのでしょ?」
「まぁ、一応はね」
「それは残念。お仲間が減ってしまいますわ」
「お仲間?」
頭上に疑問符を浮かべて尋ねるカオル。
そんな彼女に、樋野本彩香はコロコロと涼しげな笑いで答えるのだった。
「ソロ活動のお仲間ですわ」
「あ、ああ。そうだな……お前さんには悪いが、カーリーは是非とも欲しい人材だ」
「クスクス。それは冗談ですけれど、彼女を仲間に加える事、そう易々とはいかなくってですわよ?」
「ああ、それは分かってるさ。何か良い手段があれば教えてくれよ」
カオルが冗談めかして尋ねる。
と、目の前のお嬢様は、ウェーブの掛かった長く美しい髪をかき上げつつ言うのだった。
「アナタが今思っている事、それが最善の策だと思いますわよ?」
カオルが考えている、最善と思しき手段。
それは――ただひたすらの懇願。
(ソレを分かって言っているのか? だとすると……)
なんだか心の中を見透かされたような感覚が、カオルの心中に、小さな疑問を芽生えさせた。
『もしかすると、コイツも只者じゃないのではないか?』
今まで、カーリーとの事に専念していた思考。
そこに、新たなキーワードが組み込まれる……『樋野本彩香』
綾乃先生曰く、「ソロ活動でも、下手なチームより良い戦績を挙げている防御魔法の使い手」
そんな評価の魔法少女を、そのまま野放しにしておく手は無いだろう。
「なぁ、彩香。もし良かったら、お前の防御系の力……私達の助けとなってはくれないかな?」
カオルの真摯な瞳が、願いを伴って彼女を射抜く。
が、樋野本彩香は、その視線を受け取りつつも、丁寧な物腰で言うのだった。
「折角のお誘いですが、わたくしはあなた方のチームに加わることは出来ませんの」
「何故? そんなに一人がいいのか」
カオルが食い下がるようにして、ワケを尋ねる。
だが彩香は、その理由を「自分の意思では無い」かの如く言うのだった。
「わたくしは……誰ともチームを組めませんの」
「組めないって……どういうこった?」
「折角のお誘い、無にしてごめんなさいね。ではまた」
そして、お上品な笑みと芳しい香りを残し、樋野本彩香は自分の席へと戻っていく。
カオルは、なんだか彼女の背後に大きな影が見えたような気妙な気分になり、
「なんだろう……アイツ、えも言われない『大きさ』を感じるぜ」
傍らを飛ぶインギーへと零すのだった。
「カオルもそう感じましたか?」
「ああ。インギーもか?」
「はい。なにやら曰くありげな物言いでしたね……もしかかすると、カオルの素性を知っているとか」
「マジかよ!? そんな事あり得るのか?」
「いえ。あり得ないとは思いますが……なにせこのプロジェクト自体、私も知らされていない事がありますし、予想外の出来事も起こる可能性がありますので」
「俺の魔法攻撃力の無制御のようにか?」
「ええ。まぁいずれにせよ、それが良い方に転がれば結果オーライで済むかもしれませんが……」
インギーの言葉は、いつに無く歯切れが悪かった。
この世界の案内役であり、彼女達魔法少女の使役マスコットであるにもかかわらず、本人達にも分からない事が多いこの現状。
だが、それをどうこう出来るという訳にはいかないジレンマが、「彼」に少なからずの負担をかけているのだった。
「まあいいさ。そんな事よりインギー、この後に控えるメインイベントに全神経を集中しよう」
そんな使い魔の苦悩に気付いたカオルは、思考のメインを放課後の戦いへとシフトチェンジ。
「そうですね。それが一番です」
インギーも、カオルの気遣いに触れ、気分を新たにするのだった。
そしてこの後。
放課後を迎えたアカデミー内、一組専用体育館にて。
一年生達が見守る中、話題のカードの対戦の幕が切って落とされる。
影に漂う、いくつかの「否定的」な思惑が関与しているとも気付かずに。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!