第三章 第二話 大天使
薄闇が晴れ、やがて元居た体育館の風景がカオルの視界に広がった。
「おかえり、鬼首ヶ原さん。どう? プログラムは正常にインストールできたかしら」
「聖川先生、それがですね――」
綾乃先生の問いに、インギーは事の次第を包み隠さず報告――しようとしたその瞬間の事。
「はい、大丈夫です綾乃先生。何も問題ありません」
カオルがインギーの言葉を制し、独断で結果説明を開始したのだった。
「そう、ならいいわ。どこも調子悪くない?」
「ええ、バッチリです」
ニコニコと、まるで営業用のスマイルを保ちながら、綾乃先生へと答えるカオル。
そんな彼女の背中に、一言ありげな小豚の姿。勿論、教師への全うな報告を果たす義務のある使い魔は、事実を語ろうとする。
と、そんな彼をカオルはむんずと掴み、いけしゃあしゃあと言うのだった。
「それはそうと先生……インギーの奴がなんだか調子が悪いようなんです。ちょっと休憩をいただけませんか?」
「あら、使い魔の体調不良なんて珍しい事もあるものね」
「それが、調整の最中になんか変なモン食ったみたいで……」
「へんなもん? 鬼首ヶ原さんの純血には毒でも混じっているのかしら」
「あ、あはは……そうかもしれません。とにかく、少し休憩を取りたいのですが」
「そうね。じゃあちょっと小休止にしましょうか……実は私も、おトイレに行きたかったの」
「あ、はい。じゃあ、私はここで待ってます」
「じゃあついでに、モニター監視お願いできるかしら?」
「え!? モニター監視って……」
「大丈夫、見てるだけでいいわ」
「なんだかテキトーだな……」
「ふふ、じゃあお願いね」
カオルとインギーは、そそくさと体育館を後にする綾乃先生を目で追い、彼女の姿が視界から消え去った事を確認して――
「一体どういう事ですか、カオル! これはれっきとした違反行為ですよ」
「インギー、頼む! 口裏を合わせてくれ」
「口裏を合わせるといっても、いずれバレますよ? それに、あなたの身体を思っての事なんですからね」
「それは分かってる。けれどさ……何と言うか、あの力を使いこなせる様な感覚があったんだ」
「そんな根拠の無い自信には付き合えませんよ」
ピシャリ、とインギーが言い切る。
だが、インギー自身も、そんなカオルの言い分に興味が全く無い訳ではなかった。
「けど……カオル。あなたが戦いにおいて、より大きな武器を欲する気持ちは分からないでもないです」
「ああ。『力』ってのは、大きければ大きいほどいいからな」
「でも、それは己の身をも滅ぼす事になるかもしれないのですよ?」
「そう。だが、切り札は持っておきたい……これは、対人間用ではなく、悪魔獣に対しての切り札だ」
そこには、悪魔獣によって一度命を立たれたというトラウマがあったのかもしれない。
その恐怖故に、偶然の事故とは言え、折角手に入れた「ソレ」を失いたくない。インギーはカオルの気持ちを察し、「今回だけ」という特例を認めたのだった。
「ありがとう、インギー。恩に着るよ」
「いえ。ですがくれぐれも無茶しないようにお願いしますよ?」
「ああ、分かってるさ。肝に命じて……おい、アレは何だ?」
カオルの視線が指し示す方向。
そこには、モニターに映る赤坂千早――と、対峙する、カオルが見た事の無い大型の悪魔獣の姿があった。
「あ、アレは! ちょっと厄介な悪魔獣です」
「どう厄介なんだ? インギー」
「はい。日本未襲来型の中でも超大型のタイプで、複数の悪魔獣を従えて登場する事から、おそらくは指揮官系ではないかと噂されているタイプです」
「指揮官系――こいつが例の……『大天使か』」
そこに映し出されている「敵」。
人型の体に白人系の人肌色ではあるものの、顔の無い、まるで人形のような姿。
大きな白い翼と、白い「トーガ」のような衣装。そして頭頂部に輝く、円形の浮遊物。
そんな見た目から、アーク・エンジェルなる異名を付けられているという。
「聞いた話じゃ、イギリス全土に子分を従えて現れ、地獄に変えちまったとか……」
「はい。ただ、これはデモ・マガバトルなので、単体での出現なのでしょう」
「そうか。でも強いんだろうな?」
「そうですね。現に――」
言って、インギーが見つめるその先。
そこには、あからさまに苦戦を強いられている赤坂千早と、エリオット・ヴァルゴの姿があった。
「二人だけじゃ、絶対的に不利だ」
「かも知れません。が、彼女達も立派な魔法戦士です……逃げるにしろ戦うにしろ、きっと切り抜け――って、カオル! どこへ行くんですか!?」
インギーがふと見ると、バトルフィールドへの入り口である「扉」のドアノブに手をかけているカオルの姿があった。
「決まってるさ! 二人に加勢しに行くんだよ」
「加勢って……」
「仲間の危機に、手をこまねいているなんて出来ねぇよ! それに――」
「それに?」
「ディープパープルの試射にはうってつけだろ?」
「そ、それは……かもしれませんが」
カオルの暴走を止めきれない様子のインギー。
きっとそこには、彼すらも気付かない「カオルなら」と言う期待感があったのかもしれない。
「ボサっとしてないで行くぞ、インギー」
「ああ、待ってくださいカオル! それならば、戦闘特化式魔法少女形態への変換を行わなければ」
「お、そうか。ならさっさとやってくれ!」
「わかりました。では――通常・制服着装解除。転、戦闘特化式魔法少女形態へ」
カオルの制服が、光の輪の通過と共に変化し、戦闘形態の魔法少女へと変える。
「へへ。よし、一丁やるか!」
同時に、カオルに気合が漲り、戦士としての顔を覗かせる。
「では、カオル。くれぐれも慎重に」
「分かってるさ!」
そして一人と一匹は、戦場へのゲートを通過する。
二人が気付かない、とある人物の「思惑」と共に。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!