第二章 第十話 カーリー
カオルの目の前に立ちはだかる褐色の少女は、それがさも当然のように、ぶしつけな物言いを放つ。
当然、いきなりの不条理な先制口撃に、カオルも黙ってはいない。
「いきなり出てけって……カーリー? だったか。モノには言い様ってモンがあんだろ」
「……」
カーリーは沈黙で答えた。それはまるで、『聞く耳を持たない』と暗に語っているかのよう。
「あー……とにかくだ。突然、そんな高飛車にお願いをされても――」
なんとなく目つきが悪い彼女。それ故に、言葉の印象もキツく感じているんじゃないのか? カオルはそう自分に問い正し、当たり障りの無い言葉を選んでの交渉を試みる。
けれど、そんな考えは的外れだと言わんばかりの返答が、カーリーの口からもたらされたのだった。
「お願い? これは『命令』だ」
「はぁ!? 命令、だと? 大人しく聞いてりゃあ、コイツ調子に乗りやがって」
「この『大浴場さざんか』には、この時間、私以外は風呂に入らないという暗黙の了解がある」
「暗黙の了解? んなモン知らねーよ!」
「なら、これからは覚えておけ」
「いやいや。頭ごなしに命令されて、『はいそうですか』と言えるとでも思うか?」
「お前の意思は聞いていない。お前の選択肢は二つ……今すぐ立ち去るか、この時間に入浴する権利を、私から奪い取るか、だ」
「まったく、意味分かんネェ……」
首を振り、ヤレヤレと言う表情を見せるカオル。
と、そんな彼女に、カーリーはさらに目つき悪く言い放った。
「そうか。なら明日、この時間帯の入浴の権利を賭けて、デモ・マガバトルを申し込む。異存は無いな?」
「だーかーらー! どうしてそうなるんだよって聞いてんだ!!」
「私は――一人で入浴したいんだ。誰の目にも晒されずに、風呂を楽しみたい」
二人の間に、一瞬沈黙が漂う。
と、カオルの笑い声が、その沈殿するかのような空気を払拭したのだった。
「く、くくく。あはははは! あー……そっかそっか。うんうん、ならしゃーないな」
「同意した、と考えていいんだな。では明日、聖川先生にその旨伝えて――」
「いや、それには及ばないさ。私が今、この場から出て行く」
「――ッ!!」
「なんだよ、驚いちゃって。出てって欲しいんだろ?」
「お前――戦わないのか?」
「ああ、戦わない」
「お前は……喧嘩を売られたのに、尻尾を巻いて逃げるのか?」
「別に逃げるわけじゃないさ。ただ、気持ちは分かるから、譲歩する。ただそれだけさ」
「気持ちは分かる、だと? 譲歩する、だと?」
「私だって、一人でのんびりと風呂に入りたい。けれど、お前のほうが先客だから――」
たかだか風呂の順番で、しかも実年齢で言えば、年下の女の子のかわいいワガママだ。目くじらを立てて怒るまでも無いだろう。
そう思ったカオルの、少し大人な目線からの衝突回避の言葉だった。
だが、褐色の少女パールバティの「闘争スイッチ」は、全く別のところにあった様子で――
「お前に……お前のような美しいボディラインを誇るヤツに、私の気持ちなんか生涯わかるものかッ!」
まるで嘲笑を受けたかのように、烈火の如く怒りを露にした。
「ハァ? 私の体が……どうしたって?」
「そんな見事な体型、さぞや誇らしい事だろう」
「いや……話が見えない」
「うるさい! この屈辱は晴らさせてもらう。改めて明日、勝負を挑むから覚悟しておけ!」
凶悪そうな目つきに似合わず、どこか可愛げのある声での宣戦布告。
「我が相棒――『シヴァ』の脅威を、その身に刻んでやる……覚悟しておけ!」
最後にそう言い残し、カーリーの小さくか細い身体は、一人湯気の向こう――脱衣場のほうへと消えていった。
「結局、テメーが風呂から出て行っちまった……なんだありゃ?」
「さぁ……なんなんでしょうか?」
二人して、頭にハテナマークを浮かべる、カオルとインギー。
けれど、カオルには一つだけ分かる事がある。
それは――
「アイツは多分、身体にすっごいコンプレックスがあるんだな」
「劣等感、ですか」
「ああ。小柄で華奢だが、しなやかさのある『少年』のような体躯。ちょっとガサツな感じのある髪の毛に、無愛想な目つき。それにペッタンコな胸。大方、自分が男の子に見られる事への『好奇の目』が、不快なのだろうさ」
「酷い言い様ですね……」
「だがまぁ、俺から言わせれば、可愛い女の子なんだがな……小動物的な?」
「さらに追い討ちをかける酷い言い様ですね。まぁ、それ故本人は気にしているんでしょうね」
「ああ、そんなところだろう……しゃあねぇな、明日はワザと負けてやっか」
「手を抜くんですか?」
「んー、あからさまには手を抜かないさ。アイツの戦闘能力を調べる意味も兼ねて、そこそこまで付き合ってやる。けれど、程よい所で勝ちを譲ってやろう。アイツのプライドが傷付かない程度にな」
「……そうですか」
「ん? 何だよインギー。その気の無い返事は?」
「いえ、なんでも」
少し意味ありげに、インギーが答えた。
それは、カオルがまだ戦ってもいない相手に対して、「自分のほうが実力が上」だと思い込んでいる節があるように思えたからである。
「ですが、明日はまだ戦えないでしょうね」
「ん、何でだよ? インギー」
「忘れたんですか? あなたの基本魔法攻撃は、まだ調整が付いていない。という事を」
「……あ、そうだったな」
カオルが頭をかきつつ、へへへと笑って誤魔化す。
「でもさ、アヤちゃんはちゃんと覚えてるだろうから。きっと彼女が、明日のバトルの申し出に待ったをかけてくれるよ」
「……そうですね。きっと」
「ま、折角一人にしてくれたんだ。今日は一人でのんびり風呂に入って、鋭気を養おうぜ?」
頭にタオルを乗っけて、一人暢気に鼻歌を口ずさむカオル。
その暢気さは、彼女「パールバティ」の情報を一切知らないが故の暢気さだった。
『きっと、このクラス……いや、この学園には、自分より強い生徒はいないだろう』
口にはしないまでも「そう思っているのでは?」というインギーの心配は、次の日の昼休みに現実のものとなるのだった。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!