第二章 第八話 帰り道
「ハハ、奇妙な恋愛観だな。会った事も無い相手にホレるだなんて」
舞華の目を見つめ返し、カオルは言う。
「確かにそうかもしれませんね。その方のお写真と活躍ぶりを、父からたくさん見聞きしたせいで……まるで運命の
人と勘違いしているのかもしれません。けれど――」
そう前置きの後、舞華は改めてカオルに熱い視線を送りつつ、自らの思いを言葉にしたのだった。
「今日、その考えは間違いじゃないと確信を得ました」
周囲をキョトンとさせる、その一言。
まるで今日この日に、その人物に出会ったかのような――いや、この場に「その人物」がいるかのような物言い――
そんな最中の事。舞華はほんの一瞬、ふと何かに気付いたかのような表情を見せ、
「なーんてね。うふふ、今のは冗談です」
突然態度を豹変。今までの発言を無かった事にしたのだった。
「へ? 冗談だって?」
「はい。少し悪ふざけをしてみただけです」
「なんだ。生徒会長だって言うから、すごい堅物だと思ったのに……意外とバカもやるんだな。でもなんでまた急に?」
「先生のコイバナに触発されて、ちょっと背伸びをしてみたかっただけなの。ごめんなさいね」
「そうなんですか。でも、お姉さまが誰にも取られなくてちょっとホッとしたり……」
「千早。お前もお前で、なんだかアブネー発言だな。結構洒落になってないぞ」
「う、うっさいなあ。この学園中の憧れの先輩なんだから、誰だってそう思うわよ」
「クスクス。ありがとう、赤坂さん。どうやら、まだまだ私の色恋事はお預けみたい」
すると舞華は小首をかしげて笑い、視線をカオルへ――いや厳密に言えば……その後ろではためく、小さな生物へと送ったのだった。
「さぁて。そろそろ下校時間よ。みんな、愛だの恋だののお話は、帰りながらにしましょ」
「「「はい」」」
「じゃあ、恵那。私たちは帰るから、後はお願いね」
「ええ、わかってるわ。じゃあみんな、寄り道しないで帰るよ――綾乃、あなたは特にね」
「うへ~い。わかってございますよ、恵那先生」
「じゃあ帰ります、恵那先生。お世話掛けました」
「いいのよ。何かあったらまたいらっしゃい……今度は二人きりで診察してあげる」
「い、いやそれは……(お、おねがいしようかな?)」
「バカ言ってないの。さ、帰ろみんな」
「「はい先生。では花岡先生、お先に失礼いたします」」
軽い挨拶の礼を交わし、ぞろぞろと保健室を後にする四人。
既に外は西日の茜に彩られ、しんとした空気に満たされていた。
「あ~、なんだかいい感じの情景だわ。学生の頃を思い出しちゃう」
そんなセピア色にも似た景色を目の当たりにした綾乃先生が、ふと漏らす。
「学生の頃って……中学生の頃ですか?」
さっきの「中学生の頃の淡い恋の話」の続きを聞きたくて、カオルがそれとなく問う。
「そうね。あの頃が一番楽しかったなぁ~」
「じゃあ先生、高校生の頃はどうだったんですか?」
と、千早もその会話に口を挟む。
カオルとしては、自分が登場しない「アヤちゃんの高校生の頃」の話よりも、中学時代の(おそらくは)俺へ抱いていた気持ちのほうが知りたかった。
したがって、千早の問いは全くお呼びではない、キツイ言い方で言えば「邪魔」だとも思えていた。
――が、千早の問いに答えた綾乃先生の一言が、カオルの「アヤちゃんの高校生時代」の興味を俄然引き付けたのだった。
「高校生か……あの頃の事は、思い出したくも無いなぁ」
一瞬、時が止まるような感覚が三人に宿る。
それは聞いてはいけないだろう事。というのは、瞬時に理解できた。
だが、興味と好奇心の誘いに、カオルの衝動は勝てなかった様子。
「綾乃先生……高校時代に、何があったんですか?」
ピリリとした空気が、その場を支配した。
千早にいたっては「あなた、空気読めないわね。今それを先生に聞く?」と言わんばかりの目つきで、カオルに視線を送っているほどである。
「そう、思い出したくも無い、あの辛く薄暗い暗黒の日々……」
高校時代のアヤちゃんの身に、一体何が……ごくり、とカオルが息を呑む。
そして深く目を閉じ、十分な間を空けて、綾乃先生は口を開いたのだった。
「女子高だったから、男っ気が全く無くってねー♪ しかも全寮制だったから、抜け出せもし無かったわ。それがつらくってさ~」
「へ? な、な、なんだそりゃ!?」
驚きと呆れが、カオルの口から飛び出した。
「何って……あの年代の若者にとって、ソレは最重要でしょ?」
「そ、それはそうだけど……もっとこう、何か深刻な悩みとか――」
「んー……特に無かったかな?」
「……お気楽っすね。なんか心配して損した気分だ」
「あら失礼ね。でも……一つだけ、深刻な悩みを抱えていたわ」
ふと、真摯な顔つきに戻る綾乃先生。
その瞳の奥には、誰かを思う憂いが潜んでる様子。
「中学の時の好きな人と、突然別れ別れになっちゃったのよね……」
――ドキリッ。
カオルの心臓が一際大きな鼓動を打った。
それはもしかして……カオルは、喉元まで出掛かった言葉をぐいと飲み込み、平静を装う。
けれど、綾乃先生の瞳は――「その言葉」を待っているかのように、カオルには感じられたのだった。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!