第二章 第六話 恵那先生
ほどなくして、カラカラと静かな音を立てて、引き戸が開かれる。
「あら、カオルちゃん。気が付いたのね?」
養護教諭の花岡先生が保健室へと帰ってきたのだ。
「あ、恵那先生。すいません、なんか迷惑かけてしまって」
「いいのよ、これもお仕事なんだから。それよりもどう? どこも不調を訴える場所は無い?」
「はい、全然」
「そう。それならよかったわ」
笑顔と共に一安心のため息を奏でる恵那先生。
そこには少なからず、カオルの異変を心配していた、という気持ちが伺えた。
「で……私の身体はどうなってしまったんですか?」
「恐らくだけど、初期段階からの調整不良ね。ごくごく稀にある可能性があるらしいわ」
「へぇ。って事は、過去にもそんな特殊な事例があるんですか? 先生」
カオルが興味深げに尋ねる。
「ま、それは極秘案件だから教えられないけど……そうね、無くはなかったわ」
カオルの脳裏に、ひとつの可能性が閃く。前例がある――それはつまり、対処方法があるかもしれない。
「じゃあ先生、この魔法力をコントロールする方法があるんですね?」
「ええ、あるわ。良くは知らないけれど、マニュアル化されているらしいから、聖川先生にレクチャーしてもらってね」
「そうか、あるのか……分かりました。じゃあ、早速綾乃先生に――」
「今日は駄目よ! あなた、まだ病み上がりなんだから」
千早がそう言って、起き上がったカオルの肩をむんずと掴み、無理やりベッドへと寝かしつける。
「い、いや、だけど……」
「そうね。しばらくは大人しく寝てなさいな」
そして米嶋舞華が、カオルの身体にそっと布団をかけた。
少々ゴワゴワだが、清潔感溢れる白が気持ちいい布団カバーの擦れる音が、やさしくカオルの耳に入る。
ずいぶん昔に感じた、まだ世界が平和だった頃の、そして、カオルの家庭が平和だった頃感じた「優しさ」に似ている……カオルにはそう感じられた。
「そう……だな。ちょっと休んでくか」
「それがいいですね」
インギーも賛同の意を見せ、カオルの傍らへと降り立った。
それは、どんな時も行動を共にするという意思表示に見える……のだが、
「インギー……だっけ? あなたは消えてもいいのよ?」
千早が、そんなインギーへと語りかけたのだった。
「おいおい、千早。俺の相棒に消えろだなんて……そんな言い方ないだろ?」
その言葉にムっとしたカオルが、千早へと言葉を返す。
確かに。千早の言い方を素直に受け取れば、それは少々酷い物言いかもしれないだろう。
けれど、
「そ、そんな意味じゃないわよ。だいたい使い魔ってのは、用事が無い時は特殊な空間に帰ってしまうものなのよ?」
「へ、帰る?」
「そう、自らの意思で帰っちゃうの。私や舞華お姉さまや、他の子の使い魔も、用がないときは姿を見せていないでしょ?」
「そ、そう言われてみれば……だよな?」
カオルは、横でちょこんと座っているインギーへと目配せをして、事の次第を伺った。
「まぁまぁ。私の事はお気になさらずに」
まるで人事のように言うのだった。
「気にするなって……気になるだろ! 何でお前はずっと俺の傍に居続けるんだよ」
「それはその……そう、カオルの事が心配なんですよ。ほら、今日の事のような事例があるかもしれないじゃないですか」
「だからって。そうやってずっと、俺のプライベートを侵害し続けるつもりか?」
「見られて困る事でもあるのですか?」
「あ、あ、あるかもしれないだろ!」
少し照れを見せつつ、カオルがムキになる。
その思考は、完全に男性のソレになっている事に、自身気付けずに居た。
「あるのですか? それは何です?」
「あーいや……そ、それはだな……」
「まぁ、折角あなたの使い魔がそう言ってくれているんだから、傍にいさせてあげたら? カオルちゃん」
「せ、先生までそんな事を――」
少しむくれて言うカオルに、恵那先生は耳元に唇を近づけ、そっと小声で言うのだった。
「今、言いかけてたようだけど……指や異物の膣内挿入を伴った自慰的行為はご法度よ。魔法少女の権利を失っちゃうわ」
「――ッ!」
カオルが驚き、身を硬直させる。
ソレはまさしく、さっき口にしようとして、周囲の目が気になり、思い止まった言葉だ。
少し違うとすれば、その「行為」の基準が男性のソレに関していたところだろう。
「処女を失う……って事ですか?」
カオルがヒソヒソと、千早と舞華の二人に聞こえないように返した。
と、その言葉に、小さな頷きをもって答えとする恵那先生。
「そいつは……ヘヴィな生活だな」
カオルは不意に、まだ男性だった同学年時代の、毎日のようにソレに耽っていた自分を思い起こした。
そして、奇妙な懐かしさと、この先の「縛り」への不安感にさいなまれたのだった。
「まぁ、どうしようもなくなったら……先生のところへいらっしゃい。スッキリさせてあ・げ・る・わ」
またカオルの耳元で、甘く囁く恵那先生。
その一言一言と共に届く熱い吐息に、カオルの中の何かがジンジンと痺れ始めたのだった。
「い、いやそれは……まだちょっと無理です!」
「うふふ、冗談よ。あなたも綾乃同様、イジリ甲斐があるわね」
「え……か、カンベンしてくださいよ、先生」
意地悪い表情で、カオルの苦言を受け流す恵那先生。
けれど、その表情の奥深く。ほんの小さな瞳の揺らぎに、カオルはただならぬ違和感を覚えた。
『この人は……何かを知っていて、そして隠している』
それは、彼だった頃の本能、そして直感が、何かを訴えかけているかのよう。
漠然とした感覚だが、カオルにはそう感じられたのだった。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!