人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆえに もの思ふ身は
後鳥羽院(99番) 『続後撰集』雑・1199
和歌の解釈は
ttp://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin.html
このサイト様のものを引用させていただきました。
「毎日つまんない」
彼女はむっつりとした表情で頬杖をつき、僕を睨んだ。くるりとシャーペンを華麗に回し、書き始めるのかと思えば、また数秒後にくるりとペン回し。その繰り返しで、日誌は九行目から埋まる気配がない。
「はいはい、そうですねえ。で、僕を睨んで何になるの」
「睨んだら、あんたの背骨が伸びて脳天から突き出てくるんじゃないかと思って」
「そんな物騒なことを考えている暇があるんだったら手を動かしなさい、手を」
僕はシャーペンの芯が出る反対側(消しゴムがついていて柔らかいほう)で、彼女、佐伯の手の甲を小突いた。そしたら、彼女はまた、くるりと華麗なペン回しをした後、シャーペンの芯が出る側(しかも尖ったシャー芯を出している)で僕の手の甲を突いてきた。痛い。血さえ出ていないものの、まるでちくちく針で刺されている気分になって、マゾでもなんでもない僕は、さっと手を引っ込めた。
何で僕は彼女みたいな奴を好きになったのだろうかとつくづく思う。
佐伯は、クラスで浮いている存在だ。必要以上に人と関わろうとしないし、いつも憂いた視線を窓の外に投げていた。最初は少し気になる程度だったけれど、気づいたら惹かれていた。今となっては黒板に日直として僕の名前と佐伯の名前が並んでいるだけで胸がもやもやするし、今この瞬間も、佐伯の表情を見逃さまいと観察してしまっている自分がいる。これが恋の病というやつなのだろうか。本気で治療薬が欲しい。
そんな僕のもやもやの元凶は、心底つまらなそうな表情で日誌を睨んでいた。
「大体、日誌に感想十行ってとこがふざけてるのよね。しかもビッシリとか。教師が思ってるほど、生徒はファンシーでドラマティックな生活なんて送ってないのよ」
愚痴やら文句やらは必要以上に発せられるくせに、肝心の日誌は一向に進まない。
「別に佐伯のファンシーでドラマティックな感想なんて、先生も求めてないと思うよ。フツーの日常を適当に書いとけばそれでいいだろ。それに、八行は僕が書いてあげたんだから、あと二行頑張れよ」
佐伯は、うーん、と唸った後、ようやくシャーペンを動かした。『つまらない』。そこまで書いて、ぴたりと動きが止まる。
「ほら、五文字で終わった。それ以上でもそれ以下でもない一日だったもの」
「それ以上でもそれ以下でもない一日ってのを入れればいいんじゃないのか?」
「あ、そっか!」
彼女は、まるで世紀の発見をしたとばかりに華やいだ笑顔でそんなことを吐いた後、さらさらとシャーペンを走らせた。さっきの顔、個人的にけっこう可愛いと思った。
「……実はバカだろ、お前」
「うるっさいなあ。……あ、ほら、二行いった。はい終わり」
佐伯は女子のくせに、書き殴ったような乱暴な字を書く。それに比べて、僕は丸まった小さい字だ。女子と男子が書きました、と言って見せれば大半の人が、佐伯の字は男子、僕の字は女子だ、と言うだろう。しかも、二行目は「日。」で終わっている。せこい。と心の中で呟いた。口に出さなかったのは、佐伯に睨まれるから、というのもあるのだけれど、僕もこのやり方を使ったことがあるからだ。例えば、寝坊して無断遅刻をしてしまい、生徒指導で反省文を書かされたとき。「た。」「す。」これで一行分丸々使って、原稿用紙二枚埋めれば許されるのだから楽なもんだった。
「はあ、つまんなかった」
佐伯は大袈裟なため息を吐いて、分厚い日誌を勢いよく閉じた。ばふんという音がして、塵が舞ったのが見えた。その塵は、教室の窓から照らされる琥珀色の光によって、ちらちらと輝いている。
そんなにつまらないなら、僕に全てを押し付けて、さっさと帰ってしまえばいい。けれど、佐伯はそんなことはしないのだ。日誌だけではない。提出物はきちんと出すし、無遅刻無欠席だし、基本的に真面目な毎日を送っている。思うに、僕は彼女の、日常を壊したくても壊せない、特別な人間になろうとしてもなりきれていない、そんな中途半端さに惹かれたのかもしれない。
「あんたもさあ、少しは平穏を壊してみなさいよ。あたしが面白いと思うようなこと、して見せてよ」
筆箱をリュックに入れ、早々に帰る準備をしながら、佐伯はそんな挑戦じみた言葉を僕に向けて吐いた。僕は瞬き一つして、彼女を見つめる。
僕と佐伯は対照的だ。僕はいつだって不変を望んでいて、目立って悪いことがない代わりに、目立って良いことが無くてもいいと思っている。起伏の無いフラットな日常。そんな日常に一滴の異質が落とされたのだ。それが、佐伯。
毎日へらへら笑って、適当に過ごせば良い。毎日が平穏で淡々と過ぎていけば良い。そう思っている僕に、平気で佐伯はつまらないと言う。そんなことを言われると、毎日流されて過ごしている僕は、その言葉に流されて、望んでいるはずの平穏を壊したくなってしまう。
「佐伯は本当に偉そうだね」
僕が肩を竦めてそう言うと、彼女は、ふん、と鼻で笑った。なんでもないって風に得意げに、にやりと口許を緩めている。僕はそんな彼女に対して続けてこう言った。
「それでも、僕は佐伯が好きだよ」
僕の言葉に、彼女はみるみるうちに笑みを消して、鋭利な視線を僕に向けた。けれど、その視線が一瞬だけ動揺で揺れたのを、僕は見逃さなかった。今度は僕がにやりと口許を緩める番だ。
「平穏を壊してみたんだけど」
佐伯は眉を吊り上げて唇を尖がらせた。
「つまんない。マイナス百点を差し上げるわ」
「それはどうもありがとう」
僕は頬は緩めたままそう答える。佐伯の頬は夕方の日差しに照らされて赤く染まっていた。
ここまで読んで頂き、有難う御座いました。
感想や評価をいただけると嬉しいです。