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1】お見舞い

 2月にしては日差しが暖かく、珍しいほどに穏やかに晴れ渡った日曜日。

 私、阿川 さえの顔は曇っていた。

 それというのも、このところの寒さや疲労から胃腸炎を患い、ここ2、3日はベッドの住人だったからである。

 おまけに、今日は普段仕事で忙しい恋人と久しぶりのデートを堪能するはずだったのに、自分の体調不良が原因でお流れになってしまったのだ。

 ふて腐れないほうがおかしいだろう。

「はぁ」

 誰もいないリビングに私の大きなため息が響く。

 胃の痛みと吐き気は殆ど治まったのでこうして起きていられるが、『大事を取って外出は禁止』と、両親からきつく言いわたされていた。


「つまんない……」

―――今頃、圭太くんと水族館に行っていたはずなのに。行きたかったなぁ。


“圭太くん”こと、伊野瀬 圭太は私より6才年上の幼なじみで、●●大学病院に勤務する若き外科医で、現在大学院生活1年目を送っている私の恋人である。

 中学、高校を通してバスケット部に所属していた彼はスラリと身長が高く、そして綺麗な筋肉が付いていて、見るからにかっこいい人だ。

 顔立ちはちょっと気が強そうな感じの怖さがあるが、きりっとした眉とか、適度に通った鼻が丁度良い位置に収まっていて、なかなかのイケメンだと思う。

 つんつんとした硬質の黒髪を前の部分だけ立たせている髪型は、爽やかスポーツマンの圭太君によく似合っていた。

 そんなガッツリ体育会系の彼だが、意外にも医者という職業に収まっている。

 彼曰く、『医者だってかなりの体力仕事なんだぞ。ろくに睡眠時間は取れないし、立ちっぱなしだしな。おまけに急患が入れば、廊下を全力疾走だ』とのこと。

 来る日も来る日も患者さんとレポートに追われているそんな圭太君にとって、日曜日に丸々一日休みを取れることは本当に希。

 その貴重な休みを使って私とデートしてくれる約束だったのだが……。

 それが自分の病気のせいで予定が流れてしまったとなれば、悔しくてたまらない。

 ゆったりとした部屋着に身を包んでいる私はリビングの中央に置かれているソファーでクッションを抱えてうずくまり、そしてまた大きなため息。

「圭太くん、今頃何してるのかな?」

 昨夜ギリギリまで回復を待ったが、やはり出かけるほどには良くならず。

 なので、泣く泣く今日のデートのお断りの電話を入れた。


『分かった、大人しくしてろよ。水族館は逃げないから、また今度行こうな』


 彼は優しい口調で了解してくれた。

 普段は穏やかな圭太君だが、同僚・後輩たちから“仕事の鬼”と呼ばれているとか。

 そんな我が恋人様は、ぽっかりと空いた休日をおそらく病院で過ごしているかもしれない。

 少々寂しく思うが、そんな仕事熱心なところが好きなので、文句を言うつもりはない。

「そもそも、胃腸炎になった自分が悪いんだしね」

 そんな呟きを漏らしたところで、リビングの扉が静かに開いた。

「好きで病気になった訳じゃないんだから、自分を責めるなよ」

「え?」

 突然聞こえてきた声に驚いて振り返れば、そこには大好きな恋人が立っていた。




「どうして?あ、病院は?」

 私が真剣な顔で尋ねれば、圭太くんは少しだけ眉をしかめる。

「あのなぁ……。いくら俺が仕事の鬼とはいえ、具合の悪いさえを放って休日出勤なんかするかよ。お前、俺のことをどんだけ冷血漢だと思ってるんだ?これでも人並み以上に、お前のことを大事にしてるはずだけど」

 呆れつつも微笑んでくれる彼に、私の心臓が小さくドキンと跳ねた。

 物心付いた時には既にそばにいて、しかも“彼氏と彼女”という関係になってからもう5年になるというのに、いつまで経っても彼の笑顔にドキドキしてしまう。

「あ、うん……」

 妙に照れくさくなって、私はクッションに顔を埋めた。

「昼前にでも見舞いに行こうと考えていたら、おじさんとおばさんが来てさ。ここの家の鍵を渡してくれたんだよ。“さえが盛大にふくれているから、慰めてやってくれないか”って」

 両親は朝食を済ませた後に、妹と弟を連れて親戚の新築祝いに出かけていた。

「もう、お父さんとお母さんたら!家を出る時は、そんなこと何も言ってなかったのに」

 ずっとご近所さんで、互いに家族ぐるみでお付き合いのある圭太君の家族と私の家族は、本当に仲が良い。

 だからこそ、圭太くんに家の鍵を渡すことにためらいはなかったのだろう。

「それで、具合はどうなんだ?」

 ソファーの背中側にやってきた圭太くんが、私の頭をポンポンと軽く叩くと、明るい茶色のポニーテールが少し揺れる。

「胃のあたりが少し痛いかな。気持ち悪いのはかなり治まってきたんだけど、まだ食欲がわかないって言うか」

「まぁ、仕方ないな。あと2日もすれば良くなるから、それまで辛抱しろ」

 またポンポンと叩かれ、私は小さく「うん、大人しくしてる」と答える。

 無理して回復が遅れるのは馬鹿馬鹿しいしね。

 とは思うものの、やはり圭太君とのお出かけがなくなってしまったのは相当にショックで、ついついため息が出てしまう。

「でも、2日かぁ。今日のデート、すっごく楽しみにしてたのになぁ」

 ボソリと呟けば、

「俺だって、すげぇ楽しみにしてたんだぞ。イルカのショーとか、ペンギンの餌やりとか」

 と返ってくる。

「だったら、今から行ってきたら?まだ、時間はいっぱいあるんだし」

 背後に立つ彼を見上げて当てつけでも何でもなくそう言うと、軽く握った拳でコツンと頭を叩かれた。

「ばぁか。俺はお前と一緒に水族館へ行くことを楽しみにしてたんだ。一人で行っても意味ないだろうが」

 彼のセリフに再び心臓が跳ね、抱えているクッションにまた顔を埋める。

「そ、そっか……」

 顔を埋めたまま動かない私に圭太くんはプッと吹き出す。

「さえの耳、真っ赤だぞ」

 ポニーテールから覗く私の耳に、彼の少し荒れた指先が触れた。

 たったそれだけのことなのに、私の心臓は煩いほどに暴れ出す。

「う、うるさいな、見ないでよ!」

 私は今更ながらに両手で耳を隠した。

 それを見て圭太くんはもっと大きく吹き出すと、ソファーを回り込んで私の隣に座る。

「早く治ると良いな」

「だったら、圭太くんが治して!」

 恥ずかしさを隠すために思い切り拗ねた様に言えば、苦笑いされる。

「何言ってんだよ。俺、外科医だぞ」

「それでも、少しくらいは内科のことも分かるでしょ?」

「そりゃぁ、そうだが」

「じゃぁ、パパッと治してよ。そしたら今からでもデート出来るのに」

「今日の俺は非番で、医者業はお休みなんですぅ」

 おどけて言う圭太くんの様子がおかしくて、クスッと笑ってしまった。

「何それ。目の前に患者がいるっていうのに、ひどいなぁ」

 冗談混じりにチロリと睨めば、クスクスと笑い続ける圭太くん。

「だが、“さえの恋人”は年中無休だ」

 そう言って、圭太くんは私に向けて腕を伸ばし、その広い胸に私を抱き込んだ。

「け、圭太くん!?」

 突然のことに驚いて彼の名前を呼べば、こめかみにチュッとキスされた。

「早く治ってくれ。じゃないと、心配で仕事にならない」

 私の肩に回された彼の腕が、更に力を込めてくる。

 圭太くんの温もりに包まれ、さっきよりも真っ赤になる私。

 彼のシャツの胸元をキュッと握りしめ、コクンと頷くのが精一杯だった。


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